予感はあった。
もしかしたら随分前から予感はあったのかもしれない。
例えば直哉の忙しさとか、あの時直哉が明楽を腕に抱きながら「次の夏が終われば」と云ったことだとか。
予感があった。
そして夏が来た。
高校二年の夏。忘れられない暑い夏が来た。

直哉に呼び出されて渋谷に行っておかしいとは思った。
あの直哉が外で会おうなんて、それも篤郎と柚子まで一緒で変だと思った。
それでも久しぶりに直哉に会えるのが少し嬉しくて明楽は渋谷の待ち合わせ場所に向かった。
其処で柚子に直哉から預かったと云うCOMPを渡されて、篤郎がプロテクトを解いて悪魔召喚プログラムが起動した時に全てがわかった。
「これって・・・」
「トーキョーデビルサバイヴ・・・」
茫然とする。直哉が寄越したCOMPから出てきた悪魔と契約をして、何かの悪い冗談だと。
次の日には家に帰れるとさえ思っていた。けれども封鎖は始まった。
ゲームと全く同じ状況。
トーキョーデビルサバイヴというゲームをご存知だろうか?
封鎖されたトーキョー内で悪魔を召喚して戦って決められた期間内を生き残るサバイバルバトルゲーム。
サバイバーとなったプレーヤーは悪魔を駆使して封鎖を生き抜くゲームだ。
オンラインで絶大な人気を誇ったそれ。開発者は明楽の従兄である直哉だ。
そして直哉が寄越したCOMP、あのゲームと同じ状況、同じ展開。
これが悪夢でなかったら一体何なのか、恐ろしい程酷似した内容。
だからこそ直哉が関係していないわけが無いと明楽と篤郎には確信があった。
ゲームと同じ状況、直哉は少なくともこうなることを『知って』いた。
直哉が関わっていないなんて綺麗事絶対に云えるわけが無い。
余命表示システム、ラプラスメール、全てが仕組まれている。出来すぎているほどゲームと同じだ。
青山の直哉の家には勿論行った。なのに直哉の家の鍵が替わっていて入れない。
そして直哉からの意味深なメール。
明楽は混乱した。混乱したが周囲の人間よりは遥かに適応した。だって明楽はこのゲームでは上級者だ。
システムも殆ど同じ。だから適応した。けれどもそれに慄く。
だってこれは現実だ。リアルに人が死んで、暴動が起こって、それこそリアルタイムで人の生死が決まっている。
明楽達だってそうだ。余命表示に慄えながらも立ち向かって、必死だった。
そしてベルの王。
その王位争い。

「・・・こんなことまでゲームと同じなんだな・・・」
イベントでそういうイベントがあった。上級者向けの高難易度の期間限定イベント。
悪魔の名前こそ違うが、同じイベントがあった。悪魔の王を決める争い。だからこそ明楽には直哉がわからなかった。
一体直哉は明楽達に何をさせたいのか。そして明楽はこの結末を想像してもっと嫌な予感がした。
直哉は何も明楽に云わない。いつもそうだ。明楽には何も云わない。
誰にも何も云わずにさっさと行って仕舞う。明楽にはそれがもどかしい。
そして考えれば考える程怖い考えに行き着く。
「カインとアベル・・・」
直哉のハンドルネームと明楽のハンドルネーム。
全て直哉の意図したことなら、この名前にも意味がある筈だ。
デフォルトで設定されていた明楽の名前『アベル』、そして開発者である直哉は『カイン』。
最初から全て答えがあるのではないだろうか。トーキョーデビルサバイヴというゲームの中に。
ありがちな名前。旧約聖書の兄弟の名前。カインが兄でアベルが弟。
その弟をアベルを殺した人類最初の人殺しのカイン。
「何故この名前なんだ・・・?」
考えれば考える程嫌になる。
だって、そんなの、まさか、直哉は自分を明楽を殺したいのかとさえ疑って仕舞う。
だってそうだ。旧約聖書通りならカインはアベルを殺す。
その為にこんなことを?封鎖内で悪魔を?でもそんなのおかしい。直哉が明楽を殺したいのなら簡単だ。
直哉の家にバイトに来る明楽を殺せばいい。事故にでもなんでも装えた筈なのだ。
だからおかしい。辻褄が合わない。
だから直哉には何か別の目的がある。
そんな気がする。
ベルの王位争いのイベントの続きはどうだっただろう?
そのイベントの後直ぐに明楽は直哉によって引き籠りを矯正されたのでやっていない。
明楽は結末を知らないのだ。
だから嫌な予感がする。
考えるのがこわい。

「・・・直哉を探そう・・・」

天使、そして悪魔、自衛隊、ベルの王の話。
直哉がどうしたいのか明楽はずっと考えている。
そして五日目に議事堂で直哉に再会して直哉は去り際に云った。
何故と問う明楽に云った。
「着いてきたら教えてやる」
直哉!と叫ぶ明楽の声は届かない。手を伸ばしたい。直哉の背中に抱きついてわけがわからないこの状況に明楽は聲をあげて泣きたかった。でもそれじゃ終わらない。簡単に現実は終わってくれない。
選択の時は来た。六日目の夜に、怯えながら進む明楽に全てを決める瞬間がやってきた。
天音は救世主になれと明楽に云う、柚子は此処から逃げたがっていて、篤郎は新たな道を模索して、ジンは人の手に世界を戻そうと云う。
そして直哉。
直哉だ。

「俺に魔王に成れって云うのか・・・」
「そうだ、俺の手を取れ、明楽」

簡単に、云ってくれる。
冗談じゃない。
一年前の自分なら迷わず魔王になったかもしれない。
引き籠りで友達がいなくて、世界なんてどうなっても良かった。一年前の明楽なら深く考えることなんてしなかった。
当たり前にダークヒーローを気取って魔王に成った。
でもこれはリアルだ。
現実の話で、これを選べば世界が変わって仕舞う。
「・・・直哉は俺を殺したいのか?」
「莫迦な、俺はお前の為に生きている」
「でもアベルって・・・」
「ふふ、気付いたか、それも俺の手を取れば教えてやる」
だから手を取れと直哉は明楽に云う。
それがどれほど怖いことか直哉にはわからないだろう。
これはオンラインゲームとは違う。違うのだ。
世界と直哉を天秤にかけることがどれほど恐ろしいことか明楽にはわかっている。
「直哉は卑怯だ・・・」
明楽が真っ直ぐに直哉を見据えた。
それに息を呑むのは直哉だ。
卑怯だという誹りはいくらでも受けよう。明楽にはその資格がある。
直哉が巻き込んだのだ。直哉の都合で、アベルの魂の欠片があるからというそれだけの理由で。
兄弟の因縁と云えばそれまでだが、明楽は違う。アベルの魂の欠片が入ったアベルとは別の人間だ。
けれども直哉が巻き込んだ。
そして明楽を自分の物にすると決めた。
どうあったって直哉は明楽を自分のテリトリーから出すつもりなんてさらさらない。
一度決めたのだ。明楽を自分のものにする。他の誰にもやるつもりなんて無い。
無いくせに直哉は明楽に説明をしない。
明楽が卑怯だと直哉を罵るのは当然なのだ。
直哉は一切の説明をせずに明楽を巻き込んだ。
卑怯な手を使って明楽を王にしようとしている。
けれども直哉は明楽がどの道を取っても明楽の為に生きるつもりだった。
どの道を、たとえ救世主になったって直哉の弟は明楽だ。直哉は明楽の為に生きると約束した。
だからこそ直哉は明楽に何も云えない。
本当なら明楽は世界を戻したがっている。
戻して、そしてそれでも直哉と生きたいと云うのだろう。
それが正常な人間の反応だ。誰だって違う現実を選択するのは怖い。世界を決めれる筈が無い。
明楽が世界を戻したいというのなら直哉はそうするだろう。明楽の望み通り生きる。
けれども直哉は選んでほしい。だから明楽には何も云わない。卑怯だが何も云わない。
明楽に自分を選んでほしい。
明楽に、他でもない明楽に直哉は『世界と自分を天秤にかけて自分を選ばせたい』のだ。
既に直哉の目的は神殺しとはずれている。明楽をベルの王にして神殺しをさせ人類に永遠の自由を与えるのが直哉の目的の筈だ。
けれども直哉は明楽を自分のものにすると決めてから手段と目的が摩り替った。
目的が手段になった。
明楽に、直哉は明楽に自分を選ばせたい。
世界の全てを犠牲にしても岬 直哉という自身を選ばせたい。
それがどれほどの傲慢か。
どれほど罪深いことか直哉には十分にわかっている。それでも選ばせたい。
直哉は明楽の骨まで自分のものにしたい。だからこそ何も云わずに賭けに出た。この無謀な賭けに出たのだ。

「選べよ、明楽」
酷い、ことを云う。直哉はいつも明楽に酷い。
直哉は意地悪で、酷いことをする。
でもあの日の直哉が、あの時、直哉が明楽を抱き締めて、次の夏が終わったら、いくらでも明楽の為に生きると云った直哉が・・・明楽には見捨てられない。その先にあるのが、仮にカインによるアベル殺しの再来でも、途方も無い果てにあるどんな未来でも。

「怖い、凄くこわいよ。直哉」

・・・コマンドを入力。


   直哉を取って魔王になりますか?

 ▼ それとも世界を戻しますか?



ピッピっと単調な電子音。それを上下に動かして明楽は選択しなければならない。
選択できる時間は決まっていて、刻限は迫っていて、それでも明楽は選ばなければいけない。
「だってこれはゲームじゃない」
オーケイ、そうだ。これはゲームじゃない。

「俺の人生だ」


 ▼ 選びますか? 


「世界を選ぶなんて怖いことだと思う。俺は本当に怖い。出来ることなら何も選びたくない。直哉は、ずるい。ずるいよ直哉。直哉はこんなことする奴で意地悪で陰険で最低で・・・俺は直哉が嫌いだ。大嫌いだと思ってた。でも好きなんだ。俺は直哉が好きなんだ。
これはゲームじゃない。現実で、死んだら終わりで・・・そう死んだら終わりだ。俺はアベルじゃない。魂の欠片だかなんだか天使が云っていたけれど仮にそうだとしても俺はアベルじゃない。直哉だってそうだ。カインなのかもしれない。でも今は違う。直哉は直哉だ。岬 直哉で、俺は岬 明楽だ。俺達は俺達だ。これがどれほど怖いことなのか俺はわかってる。そのつもりだ。じゃなきゃこんな怖いこと出来るわけが無い。選べるわけが無い。世界と直哉を天秤にかけるなんて怖いこと、俺にできるわけが無い」
一気に明楽は言葉を紡いだ。
直哉は黙ってそれを訊く。誰も何も言葉など挟めるわけが無い。
今此処で世界の運命が決まるのだ。
莫迦みたいな話。まるでこれは明楽が主人公のゲームみたいな話だ。
「ゲームは簡単だった。失敗すればやり直しがきく、リセットボタンを押せばどんなに辛いことがあっても選択肢を間違えてもちゃんと無かったことになる。でもこれは違う。これはゲームじゃない、リアルで、俺の人生だ。生きるってことだ。怖いよ、直哉に手を貸して欲しいよ、だって俺は弱くて甘ったれで、莫迦で・・・ちょっと前までただのネトゲ廃人で、やっと最近まともになれたかなって思ったくらいで、本当に駄目で、ああ本当に、泣きそうだ・・・。泣きそうで怖くて、でも俺はこれが現実だってちゃんとわかってる、どうして俺なんだって思うけれど、それでも俺が選ばないといけないってわかってる。それが俺の責任なんだ」
明楽は直哉を見据えて云った。決意を。これから先の運命を。

「だから、俺は直哉と生きるよ、直哉が好きだから、世界と直哉を天秤にかけて、俺は直哉を選ぶ」

愚かな選択だと許して欲しいと明楽は云う。
誰に向かって云ったのか、それは今まであった世界へだ。そこに生きる全てのものへ向けた言葉だ。
世界を選ぶという最も罪深く傲慢なことを明楽は直哉と成すだろう。明楽は偶然その選択の力を得て仕舞った。世界を選択できるだけの大きな力を得ることが出来て仕舞った。誰にそれを責められよう。どれほどの非難があろうとも世界を変えられるのは明楽だけだ。明楽だけが今全てを決められる。そして怯えながらも明楽は決めた。
これが恐ろしいことだとわかっていながら、それでも明楽は直哉を取った。
直哉が望むから、明楽は直哉を選んだ。
明楽は世界と直哉を天秤にかけて遂に直哉を選んだのだ。
その言葉に直哉の全身が震える。今、直哉は何もかも全てを投げ打っても構わない。あらゆる呪いが、あらゆる恨みが、罵詈雑言が明楽を襲おうとも直哉は持てる全ての力で明楽を守るだろう。明楽を守り通す。そうしなければならない。そうしなければ明楽に世界を選択させた罪を共に背負う資格が無い。明楽の選択に、その重さに直哉は魂を震わせた。
直哉は賭けに勝った。遂に賭けに勝ったのだ。
直哉は明楽を引き寄せる。誰の目だろうともう気にするものか。
これは俺のものだ。
明楽に口付けてその震える手を取り直哉は誓う。

「今この時、この場所で聴いたお前の言葉を俺は生涯忘れまい、この時よりお前は俺の全てで、俺の永遠だ明楽、俺はお前を愛している。他の何者にも俺とお前を阻ませはしない。明楽、お前は俺と世界を作るんだ、俺は永遠をお前に捧げよう」


此処に新たな王が立った。
全てのベルを統べ、世界を変える王が生まれた。


***


そして世界は変わる。魔界の扉が開き悪魔が跋扈する世界に成った。
人類の生存圏は縮小され、悪魔は天使と戦争をする。そんな世界に成った。
そして魔王の居城、旧六本木ヒルズにて、新たな日常がある。
魔王ア・ベルとして部屋のソファに寝そべるのは明楽だ。COMPを手に直哉の作った試作のゲームをしている。
実際のところ魔王と云ってもそれほどすることがあるわけでも無く、悪魔達には人間に手を出すなと厳命してあるし、ひっそり人類を守るように手厚い保護もお願いした。それに明楽の力は強すぎるからと魔王としての力を揮うことも少ない。勿論柚子は安全圏まで送ったし、明楽の両親の無事も確認した。だから明楽は今のところ暇なのだ。
魔王になったからといって耳が尖ったり、背中から黒い翼が生えてくるわけでもなく、至って普通の冴えないいつもの明楽であった。
そもそも魔王っぽい仕事の殆どは直哉の仕事である。直哉は弟子の篤郎と共に毎日プログラムを組んだり、新しい仕組みを作ったりと常に忙しい。
だから明楽は以前の運営のバイトよろしく、直哉の秘書まがいのことをして過ごす日々だ。
魔王兼秘書というのもなんだか微妙な肩書である。
故についゲームに力が入る。元ネトゲ廃人をナメないで欲しい。自信満々に明楽は自慢できないことを胸の内で思っている。常駐十五時間は既に廃人の領域だ。直哉は従弟をゲームで廃人にするプロである。
けれどもちょっと明楽はシステムに不満があった。こう痒いところに手が届く機能が欲しい。昔なら誰かがパッチを作ったりしてそれを当てればシステムが不安定になるかもという多少のデメリットがあっても、それよりもメリットのある機能の追加などが簡単に出来たものだが、今このゲームをするのは明楽や極一部の意思を介する悪魔くらいなので、直哉の手を借りないと痒いところには手が届かないのだ。
だから明楽は傍らで仕事をしている直哉に向かって云った。ネトゲ廃人らしく、要望を云った。

「これでさー、もうちょっと悪魔とか合体できて、キャラのバリエーションがあって、なんか魔王とか勇者の力的な凄い必殺技のグラフィックが派手で自由度の高いゲームって無いの?」
直哉は云った。
キーボードを弄っていた手を止め、呆れたように云った。

「外へ出ろ」

外は悪魔が跋扈して、天使と戦う大変スリリングな世界だ。
しかもこれが現実なんて信じられるか?そしてその俺が魔王の世界なのだ。
だから明楽は云った。ちょっと茶化したように、それでいてこれから先の未来を見据えるように、云った。
これを見ている誰かへ、居るかもしれない誰かに向かって。


「ようこそ、
サバイバーの世界へ」



明楽はスタートボタンを押す、始まる其処はリセットボタンなんてない究極のリアルだ。
明楽は、明楽達は其処で生きていく。
どんな困難があっても迷いながらも、先へと手を伸ばす。
サバイバーとして、真っ直ぐなその未来に向かって生きていく。

読了有難う御座いました。

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