※主人公設定違いです。

カタカタとキーボードを叩く音が響く。
室内は暗く、モニタの画面が眩しい程だ。けれども部屋の主はそれを気にした様子も無く傍らのペットボトルの蓋を開け中のミネラルウォーターを飲み干した。
時刻は深夜の二時過ぎと云ったところだ。
寝静まった家の中、彼は笑った。
さあ、これからだ。
彼の時間はここから始まる。

岬 明楽(みさき あきら)。あきらく、と書いてあきらと読む。
パソコンのモニタの前に張り付いている少年とも青年ともつかない年齢の明楽は高校一年生だ。
クーラーをフルに効かせた室内で、ヘッドフォンから響くのはもう嫌と云うほど耳に馴染んだ音である。
明楽は慣れた手付きでキーボードを軽快に叩いて画面を動かした。
トーキョーデビルサバイヴというゲームをご存知だろうか?
知ってのとおり知る人ぞ知るというゲームだ。
ベータ版が公開されるやいなや忽ち人気に火が付いた有名オンラインゲームである。
正式版はまだだがベータ版だけでも充分に遊べて、今時ありがちな酷い課金も無い。非常に優秀なソフトで既に正式版としてリリースできるのではないかとさえ言われている究極のオンラインゲーム、トーキョーデビルサバイヴ。略してTDS。
高校合格祝いにと中学三年生の冬に買ってもらったパソコンでこのゲームをやり始めてから明楽はゲームに夢中になった。
嵌ってから以降昼も夜もずっとこのゲームに張り付いている。
最も最初から明楽はこのゲームに夢中だったわけでは無い。最初は名前の登録だけして放っておいたのだ。
けれども色々あって学校に馴染むことがなんとなく莫迦らしくなってからなんとなくやり始めたら本格的にのめり込んで仕舞った。
四月に一週間ほど学校に行ったきり明楽はこのゲームの為に家から一歩も出ていない。
所謂引き籠りというやつだった。ネトゲ廃人と云ってもいい。
故に明楽は高校に上がって友達を一人も作ることのないままTDSに没頭している日々だ。
勿論明楽だってずっとこのままでいいと思っているわけじゃない。人との交流は苦手だけれど友達だって欲しい。
それでもこのゲームの世界が居心地が良くて一歩外に踏み出せずにいるのだ。
けれどもそんな明楽にも友達はいる。勿論ネット上に、だが。
今日だってレアアイテムを取りに行く約束をしていて、今も明楽は相手が来るのを待っているのだ。
「来た、来た!」
ログインの表示が鳴って、明楽は画面を操作する。
ログインしてきた相手の名前は『カイン』だ。
ハンドルネーム、カイン。
TDSをやっているプレーヤーなら知らない人はいないのではないかというくらいの伝説的プレーヤー。
ヴァージョン初期からいる伝説のプレーヤーで、巷ではクローズドベータ版から居たらしいって話を聴くくらいだから開発関係者なのかもしれない。最も明楽もヴァージョン1.1.2から常駐しているので既にヴァージョン3を越えた今それがどれほどのものか察してもらいたい。明楽自身もこのTDSの世界ではちょっとした有名プレイヤーなのだ。
明楽のハンドルネームは『アベル』。その時偶々明楽が入力したとき任意の名前が入力できずデフォルトで『アベル』になっていた。名前の変更が出来なかったのだ。ヴァージョン1.1.2は直ぐに新しいヴァージョンになったからやった人の方が少ないんじゃないだろうか。とにかくその段階では今みたいに大規模なベータ版だったわけでも無くどちらかというとマイナーゲームだったのでそのモニターも兼ねていたから名前の入力ができない仕様だったのだと明楽は思っている。
勿論ヴァージョンを重ねて知名度もあがって正式版と遜色無い今は好きな名前にできるけれど、このヴァージョンがマニアの間ではちょっとしたレア扱いになっているから明楽はステータスの意味でそのままにしている。ゲームの知名度でアベルとカインと云えばちょっとしたものだとわかってもらえただろうか。
勿論、アベルである明楽は現実のカインを知らない。でもこれはゲームであり、ネット上の話だ。
現実はそれに反比例する。
ネット上では凄いプレーヤーでも現実ではただの引き籠りだ。
でもカインと居ると明楽はそれを忘れられる。
カインともっと仲良くなりたい。
明楽はゲームをしながらカインについて想像した。
オンラインで現実のことを訊くのは野暮というものだ。だから想像する。
男なのか、女なのか、とか。まあ男だろうけど。TDSではキャラクターを三人までメイクできる。だから明楽も女の子キャラクターを作っていたし、全部を可愛い女の子キャラクターで作っているプレーヤーだっている。カインは女を一人だけ作っていたけれど、ネカマを装っている奴もいればまんま男の話し方で女キャラを動かす奴だっている。つまりそういう物であって、現実には男だと思っていたら女とか女と思っていたら男だとかよくある話だ。
それにそんなこと関係ない。カインが男でも女でもそんなことは気にならないくらいカインのゲームプレーは凄い。
今だって画面の敵を一掃している。このゲームはオートで進行できるモードとリアルタイムで戦闘をこなすモードがある。初心者が前者で上級者になればなるほどリアルタイムモードにのめり込む。とにかく良くできているのだ。頑張れば頑張った分だけ報われるシステムで、だからこそ明楽もTDSにのめり込んだ。
実際の地名が出てくるのもこのゲームの特徴だ。池袋に渋谷、新宿に浅草、悪魔が出てきたトーキョーを驚くほどそのままに再現したグラフィックの中冒険する。封鎖されているトーキョーで決められた期間内をサバイバーとして生き残ることを目的としたゲームだ。
「来た来た!カインお得意のアタックフォーメーション!」
画面の中で明楽が操作する『アベル』と『カイン』は見事な連携でイベントボスを倒した。
少し呆気ないくらいだけれど、この爽快感がいいのだ。
難易度Sだってカインとならお手の物だ。
だから明楽はカインがリアルでどんななのかを想像する。
男だったらきっと兄貴みたいに面倒見が良くて頼れる感じなんだと思う。ゲームでのカインは色んな手助けをしてくれるし本当にいい奴なのだ。助け方もさり気なくて嫌味が無い。スマートな感じで、そういう風に出来たらといつも明楽は思っている。
『カインマジでカコイイ!』
カコイイ!と茶化して云えばカインはそれをさらりと流した。
『次を取りに行こう。まだイベント終了まで時間がある筈だ』
『三つ取れるかな』
『取れるだろ、俺達なら』
俺達ならなんてさらりと云うカインにぐあああ、と明楽は画面越しに悶絶した。
『ウホッ!俺カインになら抱かれてもいい\(^o^)/』と返せばカインは笑顔のアイコンを投げて寄越した。
こういうとこも恰好良いのだ。だから明楽のカイン像は膨れるばかりだ。
きっと年上で、何でも出来て明楽みたいに引き籠りじゃなくて友達も多い。多分。これで如何にも秋葉原に居そうなただのオタクだったら幻滅だがカインに限ってそんなことは無いと明楽は信じている。
盲目と云えばそうであった。
故に今日も今日とて明楽はカインとレアアイテム収集の旅を続行しているのだ。
だらだらと画面を進めながらも明楽はカインとチャットをする。
『明日法事があってどーしても行かないといけなくてさー・・・親戚って面倒臭いよなー。母さん達も世話になったじーちゃんの法事だから絶対行けっていうし・・・行かないとパソコン取り上げるって云うんだぜ・・・』
『親戚が苦手か?』
カインの問いに明楽は画面超しに顔を顰めながら文字を打ち込んだ。勿論オートモードでの戦闘の操作指示も忘れない。
『面倒に決まってんじゃん、それにあいつ来るし』
『あいつ?』
『従兄弟でさ、すっげーヤな奴がいるんだ』
そう従兄である。明楽には七つ年上の従兄が居る。
色々事情があって明楽が七つの時に岬家に引き取られたのだ。
『嫌味なくらい顔がイイんだけどすっげーヤな奴で何でも出来るしあいつがウチに来てから散々で、俺の好きになった子は皆あいつに鞍替えするし、父さんや母さんだってあいつは特別扱いで・・・俺が残しておいたショートケーキの苺を我が物顔で食べるわ、俺の楽しみにしてたゲームを勝手にクリアするわ挙句セーブデータ飛ばすし、学校でも比べられるわ・・・とにかくあいつが俺の前に現れてから碌なことが無い・・・!』
『それは散々だな』
カインが同意してくれたことで明楽は勢い付いた。
『そう!そうなんだあいつは俺のこといつも鼻で哂うし、皆あいつの本性に気付かないのが不思議だよ、嫌味で陰険で外面だけがイイ悪魔なんだ!』
その後もイベントが終了するまでカインに愚痴って明楽は朝方TDSをログアウトした。
カインは色々明楽を宥めてくれたのでそれだけでも救われる。実はちょっと言い過ぎたかもと反省したのだ。赤の他人に云うことじゃない。けれども明楽はカインに散々愚痴を零した従兄が苦手であった。あの従兄と顔を合わせるかと思うと今から気が重い。
元凶である従兄は一年ほど前に大学を卒業すると同時に出て行ってくれたからまだ良いけれど未だに会うのは苦手なのである。
苦手苦手とは思っていてもいやいや用意された服に袖を通して赴いた先でその従兄に会うのは明楽には避けられない運命であった。

そしてそれは早速訪れた。
法事が終わって、亡き祖父の家に親戚一同が集まって、これから飲み会だの食事だのが振る舞われて皆好き勝手に色んなことを云う。既に独立している従兄は勝ち組で、引き籠りの明楽は負け組だ。どう考えたってそのことを親戚に揶揄されるのは目に見えているので明楽は胃が痛かった。居た堪れなくなって廊下に出たところで明楽はその元凶に出遭った。
「げ」
「久しぶりだな、アキラ」
明楽と名を呼んでくるのは従兄だ。
明楽の大嫌いな従兄。
その名を岬 直哉と云う。
嫌味なくらい整った顔に長身ですらりとした体形、それだけでも腹が立つのにその上天才ときたもんだ。
こいつが七歳の時岬家に引き取られてきてから明楽の人生は転がり落ちた。
明楽とて最初は兄に夢を見ていたのだ。不幸があって引き取られた直哉に同情もある。
まだ七つだった明楽に詳しい事情はわからなかったが新しい家族ができると聞いてしかもずっと欲しかった兄だと云われ、子供心にも明楽ははしゃいだ。明楽なりに楽しみにしていた。兄弟への憧れもあった。毎日どんな『兄』ができるのかとわくわくしていた。
でも現実は全然違った。
直哉はいつも明楽を見下したし、本当の天才というものは明楽の努力など歯牙にもかけない。
周りは直哉を特別扱いしたし、明楽の周りは皆直哉に夢中になった。そして誰も明楽を気にしない。勿論父や母は明楽をおろそかにしなかっただろう。でも子供の明楽には直哉は眩しすぎた。何でも出来る完璧な兄。本当に何でも完璧なら良かったのにこの従兄の嫌なところは外面だけが完璧なところだ。外面が完璧な癖に直哉は明楽の前でそれを崩した。
散々意地悪をされたし、明楽の好きなものは皆取られた。思えば直哉は直哉なりに明楽に構おうとしたのかもしれないがその全てが裏目に出た。結果明楽は直哉に多大なコンプレックスを抱くことになったのだ。
何でもできる完璧な天才の兄。容姿も何もかも優れた従兄。反対に平凡で、大して秀でたところが無い地味な明楽。その差がどんどん広くなっていって明楽はいつの間にか周囲から置いてけぼりになった。
僻みと云ってもいいのかもしれない。けれども明楽の一方的な劣等感だけじゃない筈だ。
直哉は明楽のものをいつでも我が物顔で自由にできるし実際にした。明楽が嫌がってもいつも過干渉してきた。
だからこそ明楽は直哉が苦手になった。こんなのは欲しかった兄じゃない。
これを兄と認められない。だから直哉はいつまで経っても明楽には『嫌な従兄』なのだ。
「元気そうだな」
「煩いよ、直哉、トイレ行くから退いて」
背の高い直哉を避けるように明楽が狭い廊下を行こうとするとあっさり直哉が明楽を避けた。
「ケーキ買ってきたぞ」
「いらない」
「苺が沢山乗ってるショートケーキ」
ぴたっと明楽が止まる。
ショートケーキ、今更なんだ。子供の頃、明楽が大事にとっておいた苺を「嫌いなのか?」とあっさり食べた直哉がどの面下げてそれを云うのか。機嫌なんか取ろうとして、明楽が文句を云おうと口を開く前に奥の部屋から母の声が聞こえた。
「明楽ー!直哉くんがケーキ買ってきてくれたわよ!青山の有名店ですって!ワンホールあるからいらっしゃい!」
その声に行かないわけにもいかない。
直哉の外面の良さにつくづく嫌になりながら明楽は親戚が集まる奥の座敷に向かった。
亡き祖父の家はとにかく古くて広い。
明楽が黙って直哉の前を歩いていると不意に後ろから従兄に話しかけられた。
「おい、明楽」
無視だ。無視。
でも次の言葉に明楽は振り返らずにはいられない。

「嫌味で陰険で、外面だけがイイ悪魔、なんだって?」
嫌味で陰険で、外面だけがイイ悪魔・・・。
あれ?これなんか知ってる・・・。最近、つい数時間前に見た。
正確には明楽が打った言葉だ。
そうTDSオンラインで、チャットで愚痴った言葉だ。
「なんでそれを・・・!」
直哉は勝ち誇ったように明楽を見下ろし、それから手にしたノートパソコンを明楽に見せた。
其処には見知ったTDSの画面に見知ったアバター・・・見慣れた筈のそれ・・・。

「カイン・・・」

嘘だ。そんなのあるわけない。
だってカインはいい奴で、陰険直哉なわけが無い。
あの伝説的プレーヤー、『カイン』が直哉なわけが、絶対無い。
毎日のように話している唯一の友達が直哉なんてそんなこと・・・。

「嘘だろ・・・」


絶対あるわけないのだ。


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