※主人公設定違いです。
直哉=22歳、主人公=15歳からスタート。
※関西弁主人公です。ご注意下さい。だいぶバカ。


「あんた直哉さんとこ行って呉れる?」
その一言から全ては始まった。
え?え?とうろたえる俺を他所に母は
父は元々フランスの方でずっと仕事をしているし、母も仕事の拡大の関係で
香港行きが決まっていて当分は国内にいないこと、そしてそれは長く続くこと、
この件を相談したら従兄弟である直哉が自分を『快く』引き受けたということまで
事の仔細を話して呉れた。
「暫く東京やから、向こうの高校受けて貰えるやろか」
母が決めたらしい学校の願書を一方的に渡されてそして俺の東京行きは決まった。

直哉は俺の従兄弟だ。
7つも年上で、確か7歳くらいの時にうちに来た。
逝去した直哉の母親は俺の母の姉にあたる。
直哉の父親は俺の生まれる随分前に亡くなっていて、
直哉は最後の家族である母も失い、当時は自分達一家も東京に住んでいたから
その家で少しの間、5年半くらいだろうか、一緒に過ごした。
直哉とは特に仲が良かったわけでも悪かったわけでも無い。
何せうちに来た時は既に直哉は中学生だったし俺よりずっと大人だった。
只でさえ大人びた考えや振る舞いをする直哉だ。
だから俺はいつまでたってもこの従兄弟が何を考えているかなんて
想像もつかなかったし、ただ時折宿題なんかのわからないところを
訊くのに便利な兄貴みたいなもの的な認識で、
現に携帯を持つ今になっても従兄弟の番号はおろかメールアドレスさえ
知らない。その程度の関係だ。
それに正直に云えば俺はこの従兄弟が苦手だった。
何もかも見透かしたように鼻で哂う癖や、人を見下した態度、
そして何処までも俺を捕えようとするようなねちっこさみたいな
そんなどろどろしたものを感じて距離を取るようになっていた。
だから(これも仕事の都合で)大阪へ引っ越しが決まって、少しほっとしたのも
事実だ。その時には直哉はもう大学生で二十歳も過ぎていた。
俺の両親は直哉に東京の家を預けて俺は幼馴染や友達にサヨナラをして
大阪の中学へ通った。生まれた時から過ごした家から離れる
寂しさや不安はあったものの、引っ越してみれば
あっという間に大阪の気質に慣れてしまい(母の出身も、もともとは大阪だ)
すっかり関西のノリが身についてしまった俺に今更東京へ戻れと
しかもあのクセのある従兄弟と二人で同居しろなどと云われて、
絶望的な気持ちだ。
けれどもこの決定は絶対だし、移動の多い母は無理でも
せめてフランスに居る父の元へ行く、と云ってもよかったが
どっちにしても学校は向こうなのだし、それなら同じ日本語が通じる場所の
方がまだマシなのかもしれない。運よく幼馴染や友人にも再会出来るかもしれない。
だから俺は止むなく、3年ぶりに東京の硬いコンクリートを踏んだ。

俺の名前は霧原直刀、きりはらなおと、だ。
今此処でピンと来た人は笑ってくれていい。
霧原直刀と霧原直哉、何の冗談か俺達は某超能力兄弟と同じ名前だ。
子供の頃から厭っていうほどビデオ(今時ビデオだ)を母さんに見せられたので
すっかり覚えて仕舞った。頭が痛いよ兄さん。
名前の漢字が違うけれどこれはもう母さんたち確信犯だと思う。
ナオトとナオヤ、立場は逆で俺の方が弟分だけれど、直哉がうちに
来た時、「あら、逆にしてしもうたわ」なんてあっけらかんと
笑った母に俺も直哉もただ内心深い溜息を吐きながらその話題には
触れないようにした。別に俺達は兄弟でもないし、兄弟っぽい従兄弟であって、
特別な絆は何も無い。
霧原直刀と直哉、直哉が兄で直刀が弟、そうして育っただけ、
それだけだ。

東京駅に着くと3年ぶりに逢う直哉が改札を出て直ぐのところに立っていた。
嫌でも目立つ風貌の直哉だ。
黒のちょっとミリタリーっぽいコートにジーンズ、それだけなのに
ちらちらと辺りの人間の視線が直哉へ向かっているのがわかる。
何せ髪の色素は生まれつき何かの病気かと疑うほど薄いし、
目も赤い、アニメかゲームのキャラクターみたいな配色だ。
その上凄く長身で手足も長い、自分もそこそこ伸びてきたな、と自負は
していたがそれでもこの従兄を追い越すのは無理だろうと今確信した。
その上顔の出来がすこぶるいい。
口を開けば終わりだと俺達兄弟を母が揶揄したが、
とにかく直哉の顔は恐ろしく整っていた。
直哉の母もそこそこに綺麗な人だったと記憶はしているが
それでもトンビが鷹を生みまくったみたいな、そんな印象である。
そんなわけで一般人の視線に晒され駅の注目全部を集めていると云っても
いいくらいの直哉は平然とその視線を無きものにして突っ立っていて、
自分はと云えばそんな目立つ直哉と歩くのは億劫だった。
けれども送った分以外にも荷物は結構あって、これを持って一人で
生家に帰れと云われる方が堪える。
渋々俺、こと直刀は直哉に近付いて、
「久しぶり」と云ってから黙って荷物を差し出した。
「三年ぶりか、少し背が伸びたか」
「ほんまは来週にしたかってんけど・・・」
「試験ぎりぎりに来てどうする、」
「母さんと同じこと云うな」
受験の関係で、一足早くこっちに来ることになった。
大阪へは卒業式にだけ帰る予定で、厭々東京の生家へ行けと
母に云われてこうして此処に立っている。
「それにしても随分向こうの言葉が移ったな、義母さんの影響か」
元々家では母が関西弁を使うので、癖になっていたが、
幼稚園の時に当たり前にその言葉を使ったら、
「直刀くん、変」と云われ非常にショックを受けたので、( トラウマやねん )
それ以降家の中以外では使わないようにしていた。
けれども大阪では皆この言葉使いである。
だから半分標準語、半分関西弁の中途半端な自分は
すっかり関西に馴染んで仕舞い、今では生まれも育ちも大阪ですと
云えそうなくらいになって仕舞った。
「注意せんとあかんかな・・・」
「言葉など通じれば問題ない」
ばっさり切る直哉の性格は相変わらずであった。


突然の再会
/ next / menu /