清夏が気付けば直哉は身体を起こして煙草を吸っていた。
一体いつまでしたのか、清夏は気を失っていたらしい。
テレビの横のデジタル時計を見ればもう夜中だった。

「煙草、見つけたんだ・・・」
掠れる聲で清夏が問えば直哉が「起きたのか」と清夏の髪を優しく撫ぜた。
「ラックの中にあった。あまり感心しないな」
「直哉だって吸ってる・・・」
だからいいのだ、という風に清夏が云えば、直哉は意地悪に口端をあげた。
「俺の吸ってるやつだな、寂しかったか?」
直哉は意地悪だ。清夏は拗ねたように唇を尖らせた。
そう清夏が吸っていたのは直哉の吸っていた銘柄だ。
何でも無いセブンスターの箱。
直哉が吸っているのを見ると清夏は安心する。
だからつい気が緩んで、口を開いて仕舞う。
「・・・思えば俺、初キッスも直哉だったもんな・・・」
「あれは・・・酔って・・・待て清夏、お前十四の時、初めてじゃないって・・・」
直哉が驚いたように清夏を見る。
清夏といえば罰が悪そうに直哉から顔を逸らした。
「・・・初めてが従兄で、直哉なんて恥ずかしくて云えるわけないじゃん・・・」
そう、恥ずかしかったのだ。だから咄嗟に訊かれた時、まさか初めてじゃないだろうな?なんて直哉が云うから、清夏は咄嗟にその時付き合っていた女の子の写メを直哉に見せたのだ。

「・・・悪い・・・責任を取る」
焦ったように直哉が云うので、清夏は口を尖らせたまま直哉に問うた。
「どう、取るの?」
直哉の顔が近付いてくる。ちょっと色っぽい男のそれ。
唇が近付いて、直哉が甘い聲で清夏に云った。
「・・・どうって、返すとか」
そう云って直哉がキスをしてきた。
返された初めてのキスに清夏は微笑みながら直哉に返す。
「じゃあ俺も返す」
「なんだ、返し合いのラリーか?」
「そう、」
ふふ、と笑いながら清夏からキスを仕掛けると直哉は楽しそうに舌を絡めてくる。
首筋に抱きつきながら、その応酬をしていると徐々に直哉が口付けを深くしてきた。
あれ?と清夏が思った頃には、直哉の手が嫌な動きをしている。
「・・・っ・・・〜〜〜っ!」
どん、と直哉の胸を叩けば直哉がやっと唇を外す。
「何、して・・・もう無理だからね、本当、無理だから!」
だって身体はくたくただ。もう動かすのだって辛い。
なのに直哉は意地悪く笑って云った。
子供の頃からちっとも変わらない意地悪な笑顔で。
「呉れるといったんだろう?」
「それとこれとは・・・ちょっ・・・このっ絶倫・・・!」
「光栄だな」
「ひあっ・・・イっ、」
何時の間にゴムを装着したのか、また直哉が入ってきて、清夏は悲鳴を上げる。
「覚えがいいな、清夏。自分から腰を振ってみろ」
ぐいぐいと中を直哉のそれに押されて、清夏は啼いた。
あとはもう駄目だ。
清夏が何を云っても、何をしても直哉は清夏を離さず。
「あっ、もっ、ッ!」
「俺がどれほど我慢したと思ってる」
「そっれとこれ、とじゃっ・・・」
「もう我慢なんてしない。お前は俺の物だからな」
それこそ清夏が失神しても、直哉はそれをした。


そしてその結果、清夏は三日間学校とバイトを休む羽目になった。
勿論理由は疲労である。
更に云えば今清夏は穴があったら入って埋まりたかった。
「いやー進化論によると人類は猿から進化したらしいけど、本当!猿だよねぇ!一晩で八回もするなんて!」
ぱちぱちと目の前で拍手をするのは間口だ。
「あ、清夏ちゃんは無理しないでね、喉痛いでしょう?喉に効く飲み物を用意しようねー!ナオヤくんが!」
直哉は先ほどから剣呑な視線を間口に投げていて、清夏は居た堪れない。
もっと居た堪れないのは何故間口がそれを知っているかということだ。
それに間口は悪魔の筈で悪魔は皆魔界へ戻したのにどうして居るのか…。
「え?なんでわかったかって?そりゃあ、悪魔だからねぇ、これでも魔王の一員だからねぇ、千里眼というか、まあぶっちゃけ見えてるからねぇ!どうして僕が此処に居るかって、まあ抜け道は色々あるんだよねぇ、おかげで時間がかかったんだけど!」
もう・・・死にたい。
「煩いロキ、死ね、滅ぼすぞ」
不機嫌な聲で直哉が清夏に蜂蜜入りのジンジャーミルクのカップを渡してきた。
それを零さないように清夏が受け取れば間口はいよいよ愉快だと云わんばかりに聲を上げて笑う。
「知ってた?清夏ちゃん、ナオヤくんねぇ、あの後事後処理するついでに調理師の免許とか取ってるんだよ」
「貴様っ!」
「え?」
清夏が顔を上げれば、直哉は罰が悪そうに自分の為に淹れた珈琲を啜る。ちなみに間口の分は無い。
「・・・お前が云ったんだろうが、お前が作って、それを俺が調理する、そういう風に生きていきたいって・・・」
「覚えて・・・たんだ・・・」
「どうせ、此処は店舗にするつもりだろう?伯父さんとはもう話はついてる。清夏が卒業したら内装に手を入れて、俺とお前の店にしようと思ってる」
「直哉・・・」
目頭が熱くなる。
そんな些細な事、他愛も無いこと、でもそれはこの上なく幸せなことだ。
「じゃあ、僕が内装を手掛けてあげるよ、」
「貴様の手は借りん」
「今なら清夏ちゃんに同じ魔王の好で『魔王割』したげるけど」
直哉は顔を顰めながら云った。
「五割だ」
「五割引きって君、悪魔だろう・・・」
「なら六割」
「より酷いよ、ナオヤくん・・・」
そんな二人の遣り取りに清夏は笑った。
聲を上げて。そして確信する。
それはきっと素晴らしい店になるだろう。
清夏が作ったものを直哉が料理して、それをお店で出す。清夏がウェイターをして、二人でそうやって生きていければいい。
そんな未来。
そんな輝かしい未来が其処にはあった。


そしてそれがずっと続けばいいと、清夏は願った。
直哉を一人にしたくない。叶うのならずっと直哉の傍に在りたいと願った。


「ね、直哉、俺ね・・・」


あれはいつだろう?確かそんな話をしていた時だ。
リフレインする。清夏の言葉。
あの時清夏はこう云った。
全ては懐かしい話だ。ベッドの上で、互いに無邪気にじゃれ合いながら、清夏は云った。

「直哉はさ、植物と一緒なんだよ」
「植物はね、ううん、動物も全て、命は死んでまた繰り返す。種を植えればまた翌年には芽吹くんだ。時間がかかってもいつかまた芽吹く、俺も直哉もそれと同じだよ、死んでまた生まれるそういう命だ」
命だと清夏は云う。
「記憶を継承し続けて、また俺に生まれるのがまともと云えるのか、人間では俺以外にそんな呪いも罪もあるまい」
「それは違うよ、直哉、俺も同じ。死んでいつかまた生まれる。それは直哉の知っている俺じゃないかもしれない。けれどまた必ず生まれるよ」
命は土に返りまた生まれる。そういうものだと清夏は云う。
「俺は『また』お前を探すんだな・・・」
「隣にいるよ、ずっと」
隣にいるよ、と清夏は云う。そう、その時確かに清夏はそう云った。
それがどれほどの救いかきっと清夏にはわからない。永遠を渡る直哉にしかわからない。
「清夏、俺のアベル、俺の清夏、その言葉だけで俺は生きていけるだろう、どれほど孤独であろうと、どれほどの暗闇でも、どれほどの地獄でも、お前がそういうのなら俺は俺で有りつづけるのだろう」
「約束」
清夏は指を差し出した。無邪気に子供の頃、朝顔を植えたように、そんな風に、透明で優しい絆を湛えながら、彼は云う。
「・・・果たせるかもわからないのに約束をするのか?」
「果たすよ、俺は、ずっと、直哉の傍に居る、約束」
「ああ、・・・待っているさ、お前がそういうのなら、ずっと俺は・・・」

待っている。
いつだって、ずっとずっと、ずっとお前を待っている。
お前が死んで、灰になっても、また生まれるというのなら直哉は永遠に清夏を待つだろう。

そして、随分時間が過ぎた。
あれから幾度か、大きな環境の変化や何度かの戦争があって、途方も無い時間が過ぎた。
それでも直哉は生き続ける。それが直哉に課せられた運命だ。
アベルを殺したカインが呪われ、罰を受けた姿だ。
それでも直哉は清夏に出遭った。
清夏を愛した。
その奇跡が今も直哉を生かしている。
それだけが直哉の救いだ。
ふと、街中で、擦れ違う。いつの時代も人の営みは変わらない。
なんでもない人混みの中で、その瞬間だけ全てが止まって見えた。

「すみません、突然でおかしいんですけど、なんだか貴方を見ると懐かしくて・・・」
小さな背、歳は十五くらいだろうか。少年とも青年ともつかない子供。
「あの、変ですよね、こんなの」
彼は真っ直ぐに直哉を見た。懐かしさを覚える眼差しで優しさを湛えて。
そしていつも花を携えて。
姿形は変わっても記憶が無くなっても、お前はいつも、あれからいつも、傍に居た。
彼の中にもうアベルの因子は無い。ただの人間だ。けれどもそれはいつも奇跡のように其処にあった。
或いは彼が唯一行使したベルの王の力なのか、彼はいつもそうして現れた。
いつの時代、どんな形でも、彼は傍に居た。

「あ、俺・・・名前は」
「知ってる」

此処に一つの奇跡がある。ずっと昔に約束した清夏。その約束は今も生き続けている。
カインは呪われた。
呪われた生の中で救いがあった。それは光だ。
あの夏の日、遠いとおい夏に手にした奇跡だ。
その奇跡は今も自身を包む。
笑みを浮かべながら直哉は云った。

「さやか、だろう?」

彼の約束は、違えることなく、今も此処にある。
花のような笑みと、光を携えて、此処に直哉の軌跡がある。


10:直哉と清夏

読了有難う御座いました。

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