※主人公設定違いです。


小学二年生―七歳、朝顔を植える。
種、発芽せず。

小学三年生―ホウセンカを植える。
矢張り種発芽せず。教師、不審に思うが種の所為にして処理。

小学五年生―ヘチマを育てる。
途中までは人に任せた為順調だったが、授業でどうしても触れなければならず土に触れる。直後ヘチマ急速に枯れる。不審に思われるのを避ける為周囲のヘチマもついでに枯らす。

小学六年生―ヒヤシンスの球根を育てる。
いつまでたっても芽が出ない。不審に思われないよう、自分と遠く離れた位置に置かれているものも数個同じ状態にした為疑われず。

十二歳、小学校卒業。苦痛であった植物を育てる授業から開放される。


01:
枯らす男、咲かす男



その日、的場直哉はある場所に向かっていた。向かう道中に何度も携帯を手にして確認する。
携帯電話から聴こえる無機質なコール音が数回鳴って、それから留守番電話に切り替わった。
もう何度目のことだろうか、やや呆れながら溜息を漏らし、直哉は携帯を切る。
サイドボードに放ってあった煙草の箱に手を伸ばし、直哉は火を点けた。先日から車内に置きっぱなしであったので少し湿気っていてあまり美味しくは無い。それを二度ほど吸い、そしてもう一度携帯電話の画面を呼び出した。
何度コールしても通じない、電波は立っているのだから通じないわけが無い。電波状態良好―…つまりこれは直哉の都合ではなく相手の都合なのだ。
直哉は手にした携帯をやや乱暴に置いて、苛立ちを隠そうともせずにその整った顔を盛大に顰めた。
呼び出すべき相手は本当ならもうとっくに二時間も前に会えていた筈で、しかしどうしたことか直哉の再三の呼び出しにもかかわらず繋がらない。これでは携帯を持たせた意味は無い。
さて、どうしたものか、と直哉が思考を巡らせていると、やっと携帯の着信を告げるバイブレーターが震えた。
無機質な画面に直哉をコールしている相手の名が表示される。

『 清夏 』

清い夏と書いて『さやか』、それが直哉の目当ての人物だった。
「何処だ?」
何処だ?と挨拶も抜きに直哉が些か剣呑に問えば当の清夏は間延びした声で、『何処って、渋谷だけど……』と至って軽い口調で応えた。
直哉のことなどまるで気にしていない様子だ。
「予定が変わるなら連絡しろとあれ程・・・」
『ああ、ごめんね』
文句を云おうと直哉が口を挟む前に清夏がその透明な声で直哉の耳を慄わせる。
『直ぐ帰る筈だったんだけどさ、途中で知り合いにあっちゃって、株分けしてくれるって云うからつい』
「・・・つい、長居したんだな・・・」
今現在、清夏は直哉の隣にはいない。車を駐車させてから直哉はやや早足に、清夏に告げられた場所へと向かった。
『先に帰っててよ』
この場合の「帰る」は青山にある直哉の家では無く、山手線沿線から少し外側にある清夏の家を指す。
当たり前のように直哉に言い放つこの憎たらしい『清夏』こそが直哉の七つ年下の従弟であり、また兄弟でもあり、直哉が目をかける唯一の存在であった。
『鍵のスペア、ドア横の緑色のプランターの中にあるから』
「いい」
『だからプランターのスペアキー持っていったらいいのに、元々は直哉のものでしょう?』
「だいたいスペアキーをそんなところに置いておくと不用心だろう」
『大丈夫だって、盗ったってそんないいもの置いてないし』
「・・・下に居る」
はいはい、と電話口で適当に返事する清夏にやや苛立ちながらも直哉は電話を切った。目的地は目の前だ。
洒落た感じのテラスのついた白い建物はレトロな概観でテラスの黒い鉄柵には凝った造りの装飾が施されている。
一階にはfavori(ファヴォリ=お気に入り)というBAR and CAFEが入っていた。
その隣に店の入り口とは別になったドアがある。表札は「MATOBA」つまり二階から上が的場家だ。
家のドアの前には店と一体になっているような蔦科の植物が植えられ、プランターがいくつも置かれている。
直哉は隣接した駐車場に手際良く車を停めてから少し乱暴に扉を閉めて改めて的場邸の前にある清夏のコレクションに目を遣った。
色取り取りのプランターに植えられた花達はどれも店のインテリアかと思うほどに整えられている。派手すぎず景色に調和する植物達は如何にも清夏らしいとも云えた。清夏の言に寄るとこの中のどれかに家の鍵が埋まっているようだったが、直哉はプランターには目もくれずにオープンテラスとなっている一階のカフェに顔を出した。

「あれ、直哉くん?」
「清夏が帰っていない」
「はは、清夏ちゃんのことだからまた植物だろう?珈琲淹れようか?」
軽く直哉が頷くと店主は空いている時間帯なのか手ずからサイフォンを取出し珈琲を用意し始めた。この店のオーナーである気さくそうな男は直哉の養父、つまり清夏の父である伯父の友人でこのカフェの店主であり、清夏のバイトの雇用主でもある。
幼いころから的場家と交流もあり、気兼ねせずに直哉もこの店を利用するのが常だった。
直哉は手にした鞄からノートブックを取り出し店内のLANに接続する。スリープ状態のものを立ち上げただけなのでものの数秒で本体の起動音が静かに響いた。直哉は軽くメールをチェックした後、運ばれてきた珈琲を受け取りながら今朝方まで取り掛かっていたプログラムの構築を再開する。清夏のことだ、あの様子だと暫くかかるに違いなかった。


「遅い」
「ごめんごめん、でもほら、綺麗でしょう?」
案の定直哉はたっぷり三十分以上待たされてから漸く待ちかねた人物がやってきた。
直哉の文句など聴く様子も無く清夏は笑顔で知り合いに分けて貰ったという苗を袋から取り出して直哉に見せる。
世間では所謂イケメンと云われる部類に入るこの高校生が、的場 清夏(まとば さやか)、つまり直哉の従弟であり、弟でもあった。
「あまり近づけるな」
緑色の葉を出した苗は瑞々しかったが、直哉はそれを厭わしそうに避けるように首を振る。
「あ、ごめん、それでどうしたの今日?」
「学校の書類を預かっていただろう?サインはしておいたから持って行け」
「それなら郵便受けにでも入れてくれればそれで・・・」
「様子見も兼ねている、監督不行き届きで伯父さんにどやされるからな」
「心配だって正直に云えばいいのに・・・素直じゃない」
可愛くないの、という清夏の柔らかい髪に指を入れてから直哉は清夏の頭をがしがしと揺さぶった。
「男に可愛いもくそもあるか、行くぞ」
「はいはい、煙草、ちゃんと消してね」
じゃあ、また後で、と店主に清夏が聲をかけるところを見ると今日は夜からシフトが入っているらしい。
直哉は手早く荷物を纏めて清夏を促した。

清夏は目と鼻の先にあるカフェの隣の玄関のドアを開けて、部屋にあがる。
一階部分は店舗のフロアになっているので二階に階段で上がらなければならなかった。
リビングである板張りの空間は吹き抜けになっていて三階の清夏の部屋を含めて扉の区切りが無いロフト構造になっている。ワンルームであるがそれなりに広い空間だ。
通りに面した窓側は店舗の直ぐ上ということもあって、テラスになっていて窓を確り閉じて仕舞えば冬は簡易的な温室にもなる其処に清夏は思い思いの植物を植えて楽しんでいるらしかった。
「・・・部屋中に置くから俺が来にくいんだ」
また増やして、と直哉が小言を云えば清夏はロフトをあがって自室で制服を着替えたらしく、直哉の小言を簡単に流して仕舞う。
「え?何か云った?」
直哉は肩を竦めてから荷物を乱暴にソファに投げ、それから冷蔵庫の中身をチェックした。
「直哉は最近父さんに会った?」
「いや・・・今は関西の方に出店するとかで忙しいだろう。電話くらいだ、養母さんには一昨日会ったがな」
「へえ、何か云ってた?」
「別に何も、清夏を頼むと、相変わらずだ、今は西海岸だかに出張中だ、用でもあるのか?」
「ううん、相変わらず忙しい人たちだと思って」
その通りだ。直哉は冷蔵庫にあるペリエの瓶を開けて軽く喉を潤した。
そして清夏に渡すべき書類をダイニングテーブルに置き、改めて的場家について思う。
清夏の両親は多忙だ。直哉の伯父である清夏の父は国内でも知る人ぞ知るという類のこだわり派の有名レストランの店舗をいくつか経営しているし、清夏の母である直哉の義理の母はインテリアの輸入関係の仕事で、年中海外を飛び回っている。
一昨年までは直哉と清夏と一応両親とで同じマンションに住んでいたが、東京の少し郊外に新しいマンションを購入してからは其処が両親の住まいになり、清夏は高校入学と同時に新しく建てたこの店舗の二階部分に通学に便利だからと、越してきた。
最も直哉も直哉で仕事が忙しくなってからは青山に借りた事務所兼住居の方に入り浸っているので実質この家は直哉と清夏の家というよりも清夏の一人暮らしである。
故に直哉は清夏の生活ぶりを見る為にこうして定期的に清夏の家に顔を出すのが常だった。
清夏の家は裕福である、直哉も両親が死んで的場の清夏の家に引き取られたが金銭的な面で苦労を感じたことは無い。清夏の暮らしを聴けば大概の人間が羨ましがるような要素が多いのも頷ける。けれども的場家は裕福な分金銭にはシビアであった。
実際直哉は独立してフリーのプログラマーをしているし、清夏は清夏でこの家を与えられたものの、食費と学費以外、いわゆる小遣いの類を一切貰っていない。自分のお金は自分で稼ぐのが的場家のルールだ。だから清夏は下の店舗でウェイターのバイトをして月六万から7万円程度の金額を自分で稼いで凌いでいる。同学年の子供よりも清夏が大人びているのはその所為でもあった。
「夕飯食べるだろ」
「うん、まだ時間あるから、作ってくれるの?」
「座ってろ」
直哉は手際よく冷蔵庫の中にある食材を確認すると、吊るしてあった調理器具を手にして食事の用意を始める。
基本的に清夏はあまり調理の類をしないのだ。大抵は下の店で賄いがあるし、朝食などパンを焼いて何か挟めばいい。昼食は直哉が作った弁当か、無ければ買う。清夏は集中したり忙しかったりすると食をおろそかにする傾向があるので直哉がマメに管理するのが常である。反して直哉は料理の類が得意であった。意外がられることも多いが、清夏の家に直哉が引き取られてから、何かと仕事で忙しい両親の代わりに生活の類の一切を引き受けたのだ。清夏は直哉の手料理で育ったと云ってもいい。
常ならば面倒な筈のそれも直哉には苦では無かった。直哉は今後の目的の為にも清夏を健康的に育てることに注視したのだ。
そしてそれは今も続いている。
直哉は手際良く食材を取り出して洗った後一定のリズムでそれを刻み始める。
清夏はそれを心地良さそうに見つめてから、直哉のサインの入った書類をファイルに直した。

清夏と直哉は七つ年の離れた従兄弟同士である。けれども直哉は清夏が物心ついた頃から的場家に引き取られた為に清夏としては従兄というより実の兄に近い存在だ。寧ろ兄であると云った方がわかりやすいほどである。清夏からすれば直哉は頼りになる兄という感覚で実際直哉は幼い頃から清夏の面倒をよく見たし、仕事で忙しい両親に代わって清夏にとって直哉は一番近しい家族だった。
「出来たぞ」
直哉は手際よく卵をフライパンの上でくるくると巻いて、ぽん、と皿に乗せた。それから別の鍋で作ったソースをかけて、清夏が屋上で育てている野菜から簡単にサラダとドレッシングを作って完成。あっさり作るのに塩加減が上手いというか、とにかく直哉の食事は美味しい。直哉のことだからバランス良く中に具を入れているのだろうとも想像に容易かった。昔からこの従兄は器用だ。
「オムレツ?」
「なんだ?もっと腹に溜まるのが良かったか?」
「いや、ちょうどいいよ、今日七時から下に降りるし」
既に六時半を過ぎているからこのぐらいでいい、と清夏が伝えれば直哉は頷いてから煙草に火を点けた。
その仕草が如何にも直哉らしくて清夏は笑って仕舞う。
「何時までだ?」
「え?上がる時間?」
顎を軽く動かされてそうだ、と云われれば清夏は携帯に入れてあるシフト表を取り出して確認する。
「今日は十時までかな、後片付けも入れれば半くらいになりそうだけど、忙しくても十一時には上がれると思うけど」
「なら待つ」
「珍しい、泊まるの?」
「いや、お前が帰ってきたら青山に帰る、ストックが無いからな、適当に作っておいてやるさ」
ストック、とは清夏の食事のことだ。直哉はこうして何日かおきに清夏の所へやってきては、数日分の食事を用意していく。大抵は冷蔵庫と冷凍庫をそれで一杯にして帰るのだ。朝食用、夕食用、お弁当の分など、細かく分けられているので清夏としては有り難かったがこの所仕事が忙しい直哉の手を煩わせるのは気が引けた。
「忙しいなら別にいいよ、俺適当に食べるし」
「適当に食ってこれか」
呆れたように直哉にゴミ箱を指さされてみれば、インスタントのラーメンだった。
「それは俺じゃなくて、篤郎が・・・」
事実である。篤郎は高校にあがってから出来た友達で向こうも両親がシリコンバレーで働いていて一人暮らしの所為か行き来が多いのだ。昨日も篤郎がうちに来てゲームをしていた。篤郎はジャンクフードで出来ているのだ。
「いい、気にするな、お前の面倒を見るのは俺の趣味みたいなもんだ、金は足りてるのか?」
オムレツの乗った皿を渡されて、清夏は有り難く兄の作った食事を頂くことにする。
プロ顔負けと母や父に云わせるだけあって直哉の作るご飯は美味しい。これで彼女がいないのが不思議なくらいだけれど、直哉はストイックに仕事をするだけで、あまり他人と関わりを持とうとしない。
「お金なら自分で稼いでいるよ、いくつだと思ってんの?」
中学の頃なら、やんごとなき事態に陥って直哉に泣きついた事もあったが流石に高校にもなってそれは無い。そもそも小遣いが貰えたのは中学までで、高校に上がってからは家の方針で自分の個人的なお金は自分で稼ぐルールだ。
けれども直哉はそれでも清夏の生活ぶりが気になるらしく、こうしたことを訊いてくる。これでは兄でなく父親みたいなものである。
「足りてるならいい」
「携帯代払ってもらってるのにこれ以上お兄様にお強請りはできないよ」
揶揄するように清夏が云えば直哉は珍しく機嫌が良さそうに鼻を鳴らして、安いお強請りだ、と煙草を燻らせた。
「ごちそうさま、美味しかったよ」
サラダも食べ終わればちょうど七時十分前、バイト先は降りて直ぐだから五分前に出れば充分である。
直哉はガタガタと冷蔵庫の中身を確認しては、状態をチェックしてついでに清夏が朝に収穫した野菜籠も見ている。
清夏の趣味は園芸である。花以外にもこうして自分で育てた野菜を収穫しているのだ。
だから時々食事が面倒になると清夏は育てた野菜を洗って丸かじりして終わる。この暮らしになって何度かそれを直哉に目撃されてからというもの直哉はマメに清夏の食事の面倒を見るようになった。
「清夏、洗濯物は出しておけよ」
母親のような物言いに清夏は思わず笑みを漏らした。ちなみに的場家の母はそんなことは天地がひっくり返っても云わない。
まるで母のような、父のような、直哉はそんな兄だ。

「行ってきます」
清夏は微笑みながら階下の仕事場へと足を向けた。
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