※別設定主人公。

「お前は王になるんだ」
「おうさま?」
「そうだ、俺の弟、お前は王になって神を殺し俺と共に新しい世界を築くんだ」
「かみさまをころすの?」
「ああ、お前にしかできない」
「どうしてかみさまをころすの?」
「お前が神を討つことに意味があるからだ、お前だけが世界を変えられる」
「なおやはかみさまがきらいなの?」
「ああ、そうだ大嫌いだ」
「じゃあ、ぼくがんばるよ」
ぼく、なおやのためにがんばるね、と幼い弟は云った。
まだ膝に乗せられるほど幼い弟。この弟の健気な言葉に直哉は確信した。
彼の口からもたらされる甘い未来の約束に、輝かしい栄光の人生に、直哉はそれが叶うと疑いもしなかった。
それが叶うのだと微塵も疑いもしなかった。



忘れもしない五月九日十八時二十三分、その日その時、その場所で、全てが決まった。
順風満帆だった筈だ。全ては順調だった。
これ以上なく順調であり、直哉が構築した悪魔召喚プログラムの完成も間近であった。
そして何より直哉の手には切り札がある。
今生の弟、従弟として産まれたそれ。
千年に一度のこのチャンスにアベルと出会うことすら稀であるのに、まして従兄弟同士に生まれるとは運命としか云えない。
直哉の両親が死に、直哉が伯父の家に引き取られ、そして『弟』に出遭った。従弟だという弟。
その弟と対面したとき直哉はその偶然に、或いは運命に、そしてこの上ない幸運に勝利を確信した。
故に直哉は『弟』を大事にしたし、愛しもした。
常に多忙な伯父夫婦に代わって直哉が引き取られてからずっと一日たりとも離れたことの無い愛しい弟。
直哉があれほど苦労し、また慈しんで育てたのだ。だからこそ直哉は勝利を確信していた。
弟が五歳の頃に直哉が引き取られ、それからこの十二年間、直哉は弟を思い通りに育てるのに一切の妥協を許さなかった。
この上なく慈しみ、この上なく求め、そして弟もそれに応えた。
だから、それが揺らぐなどとその時の直哉には思いもしなかったのだ。

事故の知らせを聴いて慌てて病院へ駆け付けた直哉の前には集中治療室で意識不明の重体に陥った従弟の姿があった。
交通事故だと云う。ゴールデンウィークも開けて直ぐのことだ。弟は帰宅途中、飲酒運転の車が引き起こした車同士の衝突事故に巻き込まれた。
けれども運が良かったのか集中治療室に運び込まれてから直ぐ持ち直した。一時的な出血は多かったが最終的に一ヶ月程度で退院できる怪我で済んだのだ。運が良かった。事故に巻き込まれた運転手は死亡していたし、事故を起こした運転手は逮捕された。弟はそれに巻き込まれたのだ。
けれども彼の命は助かった。少し後遺症があるものの助かったのだ。ただ、丸一週間意識不明でそれが直哉を心配させたが、大丈夫だと医者に云われてから直哉は献身的に弟の世話をした。
その甲斐あってか彼は目覚め、医者を呼び、事故にあったと説明すれば彼は眼をぱちぱちとさせてからその青みがかった美しい眼を直哉に向けた。
そして直哉は気付いた。
嫌な予感がする。厭だといったらとびっきり嫌なことだ。
こんな嫌な予感は二回目に転生して、更に三回目にそれまでの人生の記憶を全部覚えているのに気付いて絶望の末、それが神の罰だと知った時以来だ。
これはきっと事故で頭を強く打った所為だ。畜生。
何もかもその所為だ。その所為に違いない。くそったれ!
でなければこれも神の妨害か。とにかく直哉は彼の発した一言に痛烈な眩暈を感じた。

「・・・あの、すみません・・・先程からお知り合いのようですけど、貴方は誰で、俺は誰なんでしょう?」


その時、鷹司直哉は、今生を詰んだと思った。


直哉は愕然とした。成功した筈だ。目の前の包帯をいくつも巻いた痛々しい青年は直哉が心血を注いで育てた筈で、名を鷹司 司(たかつかさ つかさ)と云う。冗談のような名前だが彼は鷹司家の長男であり、直哉の従弟であり、その魂は永遠に直哉の弟である。
当然のように直哉の手を取るようにして、直哉だけを見るようにして、時折彼は孤独に見えたが、それさえも直哉の為だ。全ては直哉の為に捧げられた子供。直哉を愛していると云い、直哉の手を取ると云った。
なのに、なのに・・・。
「・・・記憶・・・喪失だと・・・?」
まさかの事態に直哉は意識とかエクトプラズム的なものが飛ぶのを感じた。
「莫迦な・・・俺はお前の兄だぞ、お前の直哉だ、お前は今混乱しているんだ、その筈だ、そうだと云ってくれ」
起きたばかりの司の肩を掴み揺すれば、直哉の弟の筈の司は安心したような笑みを見せるどころか益々困惑した表情に成り、直哉はその場に居た医者と看護婦によって動きを制された。
「意識が戻って混乱しているのか記憶喪失なのか、まだわかりませんから、詳しい先生を呼びますので落ち着いて下さいお兄さん」
「嘘だろ・・・司・・・」
看護婦によって再びベッドに寝かされる司を見ながら直哉は茫然と呟いた。
「嘘だと・・・云ってくれ・・・」
その後直ぐ別の医師が来て、カルテを確認してから、司に質問をしていく。
名前、家族構成、住所、学校、その他の質問を一通りしてから、医者は云った。
「軽いショック症状かもしれませんし、一度スキャンしてから様子をみましょう」
その言葉に直哉は頷くしかなかった。

「鷹司、司ですか・・・なんだか物々しい名前ですね・・・」
「敬語はやめろ、俺はお前の兄だ」
「直哉さん従兄、ですよね・・・お兄さんのようなものだって・・・ごめんなさい」
ごめんなさいと云う司は直哉の知らない司だ。そして直哉を知らない司。
顔も身体も怪我をしているものの以前とまるで変わりないのに、その中身が別のものになって仕舞った。
べルの王になるのだと直哉が手塩にかけて育てた。何年もかけて刷り込み、或いは愛を囁き育てたのだ。なのに、この事故で何もかもパアだ。直哉の心血を注いだ全てが無駄になった。
飲酒運転をして司を事故に巻き込んだ男を直哉は末代まで祟ってやろうと思う。
或いは彼が記憶を取り戻すことをまだ直哉は少し期待していた。
後になって回復する症例だってある。表だってそれを云うのは医者に禁じられていたが、望みはある。
今、司は自分がどうしていいのかもわからない。彼の海馬に損傷は確認できなかったが事故の衝撃からかエピソード記憶がすっかり抜け落ちているのだ。
ペイペッツの回路、つまり思い出を記憶するところがリセットボタンを押すみたいにクリーンになってしまった。逆に言えば日常生活の習慣的なものとか、物質的な単語であるとか、そういうものの記憶はきちんとある。
司の手に少し痺れが残るかもしれないと云われたが、それもリハビリをすればかなりの改善が見込まれる。
つまるところ、司は思い出の記憶以外で失った物は無いのだ。
相手は人間だ。データのようにバックアップがあるわけではない。
或いは本当に神の妨害で、彼が白紙に戻ったのなら、その魂からアベル因子が抜けているのかとも直哉は思ったが、霊的に調べたところ司は矢張りアベルであり直哉の、直哉がかつて殺した弟の魂であった。つまり、直哉が育てた鷹司司の十七年分の人生がそっくりリセットされて仕舞ったのである。それが確定した時直哉は目の前が真っ暗になった気がした。堅固に築いた橋が足元からがらがらと崩れる感じ。ネットスラングで云うのなら正に「人生オワタ \(^o^)/」・・・直哉の計画は予想外の原因で此処に頓挫することになった。
逆に司は肉体の方は順調に回復し、一般病棟に移され、リハビリをしながら、頭の様子を見る日々になる。
直哉は毎日見舞った。鷹司の多忙な両親は今地球の裏側に居て、なかなか来れる距離では無い。それでも意識不明の時に一度、母親と父親が入れ替わるようにやってきた。悲壮な顔をして病院に辿りついた彼等を直哉は薄情だとは思わない。司には直哉が居る。それでいい筈だ。弟の病室でプログラム構築の続きをしながら、直哉は只管、どうすべきかを考えあぐねていた。
「兄さん・・・」
「直哉だ。司はそう呼んでいた」
「直哉・・・お兄さんなのに?」
「別に前の司と同じにする必要はない、正解は探さなくていい、兄と呼びたいのなら呼べ」
「・・・うん、明日退院するんでしょう?」
「不安か?」
「少し・・・」
「大丈夫だ、俺が居る」
どうすべきか・・・そう、どうすべきなのか。
もう一ヶ月を切って仕舞った。
審判の夏まであと僅かだ。
記憶が戻れば良いが、もし、もし戻らなければ?
もし司が記憶を取り戻さず、今の状態で、日常さえも何か思い出せないような状態で来る夏の騒乱に巻き込まれたら?
考えれば考えるほど事態は最悪の方向へと向かっている気がする。
司は今とても頼りない存在だ。
少し前の司はこうではなかった。当たり前のように呼吸をするように直哉のしたいこと、意図を汲み取り、控えめに微笑むような青年だった。常に直哉の傍らで、直哉の手を取り、直哉を支えると云った司。
その司は今はいない。
目の前に居るのは、日常生活ですら覚束ない病み上がりの、しかも記憶まで失った十七歳の子供だ。
けれども。けれども、と直哉は自分に言い聞かせる。
最終的に司が直哉の手を取ればいいのだ。
記憶があるにせよ無いにせよ、司が魔王になりさえすれば直哉の望みの半分は叶えられたことになる。
勿論以前の司が直哉にとっては馴染みが深いのだから戻るに越したことはなかったが、それでもまだ望みはある。
今の司の状態で夏が始まっても、とにかくあらゆる手段を講じて生き残らせて、直哉がベルの王に仕立てれば良い。
その為には絶対に司が必要だ。
記憶があろうとなかろうと、司が必要だ。
「日常に慣れるまで時間がかかるだろうが、俺が居る」
「迷惑をかけてすみません」
他人行儀に云われようと、関係なら今から再構築すれば良い。
司が直哉になびきさえすれば良いのだ。
とにかく信頼関係を築き、甘やかしたり、或いは恐怖で支配するか、それともてっとり早く犯すとか犯すとか犯すとかだ。
そんなとんでもないことを兄が考えているとは知りもせずに司は、疲れたと云って、目を閉じた。

「俺はお前の兄だからな」

警戒しなければならない。
今度こそ司を奪われないように。仮に神の仕業だろうが、偶然の不幸だろうが、直哉はあらゆるものから司を守らなければならない。
そして愛を囁いて、司をもう一度自分の物にしなければならない。
目の前には頼りなさげに吐息を漏らす弟。この弟を守るのが直哉の唯一の使命だ。
直哉はそっと司の髪を撫ぜ、その腕を包む白い包帯の緩みを直した。


01:お兄ちゃんは
心配性
/ next / menu /