四年経った。
四年経って自分たちは二十一歳になった。

「久し振り、最近どう?」
篤郎だ、篤郎はコンピューター系の専門学校に進学して
早々に就職した。
柚子はマリ先生みたいになるんだって云って、
相変わらずバンドを追っかけながら教免取る為に勉強してる。
自分は、というと、
「相変わらずだよ」
「直哉さんを探してるのか」

四年も経てば人は変わる。
あの惨劇も事件も今はもう過去の話だ。
世界は当たり前のようにに続いていた。
直哉の居ないまま世界は続いている。
四年前、本当は世界は終わる筈だったと云っても、もう誰も信じないだろう。
篤郎にも誰にも直哉の真意を話していない。
けれども篤郎は何故、直哉を雪風が探しているのかわかっているようだった。

「何処に居るのかな」
「わからない、思い当たるところは全部当たったから」
「海外も探してるんだろ?」
「それらしい情報があればね、」
「今日は海の方へ行ってみるよ、バイクで行けるし」
そう云って立ち上がると篤郎は思いつめたように言葉を繋げた。
「なぁ、雪風、直哉さんもう見つからないんじゃないか?
こんなこと云いたくないけど、あのひとそう簡単に尻尾を出す人じゃなかった」
「・・・」
「直哉さんお前に財産の全部残してたって云ったよな、それってお前に
幸せに成れってことだろ、だからさ、もうそろそろ自分の幸せのこと
将来のこと考えた方がいいんじゃないか」
篤郎の眼は真剣だった。
雪風は微笑む、そんな篤郎が好きだからだ。
「うん、そうだね」
「直哉さん、あの直哉さんのことだからさ、今頃、政府の人とかから見つからないところで
いつもみたいに難しい顔してプログラム打ってるよ、なんか難しいことぶつぶつ云ってさ、
きっとそんな風に生きてるよ」
「有難う、篤郎、でも宛てが無いわけじゃないんだ」
「宛て?」
篤郎が顔を上げる。
「残された最後の選択とでもいうべきかな、」





ざあ、と海が波立つ。
曇っているので尚更海が荒れて見えた。
バイクを二時間ほど転がして辿りついたのは小さな岬だ。
下が崖になっていて落ちたら一環の終わりだろう。
雪風は其処に一人で立っていた。
海は孤独だ。
一人で立っていると余計そう思う。
四年間、直哉を探し続けた。
あの誰もいない部屋で直哉を呼んだ。
呼んでも呼んでも直哉は居なかった。
本当はわかってた。ベルの王は雪風なのだ。
力なんて使わなくても感覚で本当はわかってた。
世界の何処にも直哉はいないということを。
けれども探し続けた。
約束を果たす為に、あの日気付いた直哉の愛に答えを出す為に。
探し続けた。

「ねぇ、直哉、俺は今でもあの夏のことを考える、
世界中が皆、無かったことにしようとしても俺は憶えてる」

「どうして直哉が俺に世界を戻させたのか、わかったよ、
どうして直哉がそうして俺に嫌われ続ける選択をしたのか、
俺はずっと気付かなかったんだね、ごめんね」

「だからさ、直哉、俺は直哉に会いに行くよ、」

たん、と崖に申し訳程度に添えられた柵を越える。
そしてその崖の下に飛んだ。
けれども落ちる筈の身体は宙で止まっていた。
「莫迦か、お前は」
「来ると思ってた」
直哉だ、直哉は俺を抱きとめずるずると、柵の内側へ引き戻した。
「何故、」
「俺のことずっと見てたろ、だから俺がこんなことすれば絶対来ると思った」
「ずっと、」
直哉が言葉に詰まる、踵を返す直哉を今度は雪風が掴んだ。
ああ、この手はこんなだっただろうか、
あの頃はもっとずっと大きいと思ってた。
でもいつの間にか時間が経って自分も大人になった。
大人になって仕舞った。
「ずっとどうすれば直哉に会えるか考えてた」
「莫迦なことを・・・」
今度は直哉の眼を見る。
俺は眼を逸らさない。
もう逸らさない。
「ね、直哉、話をしよう」
「何を・・・」
「どんな話だっていい、今の話やずっと遠い昔の話、色んな話をしよう、
くだらないことだっていいんだ」
「俺は・・・」
「直哉、俺はもう逃げないよ、お前から」

逃げないよ、という雪風の聲に直哉はゆっくり息を吐き眼を閉じる。

「・・・なら、ずっと昔の恋の話をしようか・・・」





「一人の男が居た、男には兄弟が何人も居た、中でも一際大事にしていた弟が居た」
「アベル・・・」
いや、と直哉が頭を振った。
「お前だよ」
真っ直ぐに直哉が自分を見る。
( 嗚呼、そうか )
この人にとってどれほど分断され分割され細切れにされた魂でも
( 直哉にとってそれは全てアベルなんだ )

「愛していた、好きだった。春も夏も秋も冬も、いくつ季節が巡っても
お前を愛していた。お前だけを愛していた、歓喜に慄え、その優しさに触れる度
泣きそうになった。父と母はさほど行き来もしていなかった、世界にまるでお前と俺と
二人のようだった、妹の一人を妻とし、子を得てもお前だけを愛していた」

「それでも」
それでもと直哉は云った。
「神はお前を愛し、お前は子羊を捧げ、俺を受け入れなかった、いや、いいんだ、
そんなことじゃない、愛したお前を誰かに奪われることだけが耐え難かった、
あとは聖書の通りだ、血塗られた歴史のままだ」
「人類最初の人殺しとして裁かれ永久を己として生き、彷徨うことを運命づけられ
そして神はお前を分断し、多くのアベルを創った、そして俺はその中で多くの
アベルに再会し、愛し、そしてやはり多くが不幸に終わった。
再会する度に、今度はお前を不幸にすまいと必死になった、
けれどもお前はいつも、どうしてかいつも悲しい最期を迎える。
神を恨んだよ、何故こうも酷い運命にするのか、と、
俺を滅ぼせば或いは終わるのに、自決しても必ずまた俺は俺として生まれる、
そしてお前に再会する」

どれほどの苦しみだというのだろう、
常に再会し、そして今度こそ幸せにしようとするのに
いつも不幸に終わるその愛が。神様は何故そうしたのだろう、
それがカインである直哉への罰というのならもう十分すぎるほど直哉は罰を
受けている。
愛するものを常に失う宿命にある男、
愛することが罪だと云うように永遠に失い続ける直哉の悲劇が
誰にわかるだろう。
「だから、俺は今度こそ幸せにしようと思った。
俺を憎ませ、遠ざけさせ、俺に関わらない人生を、お前が雪風として
生を受けた喜びを、誰かと幸せになり、結婚し、子を成し、
お前が得られなかった幸せを与えたいと願った、
見守り続ける愛でかまわない、俺の愛の激しさはお前を破滅させる。
だからこそ俺はお前を手放した、さあ、その手を離せ雪風」

その手を離せというこのひとがどうしようもなく悲しい。
過去のことは憶えていない、ぼんやりとある郷愁だけで、
もう思い出せない。けれども直哉は憶えている、草の匂いも
その風も、原初で過ごしたその時間の全てを、
そして再会し失ってきた弟の全てを憶えている。

涙が溢れた。
溢れる涙は次から次へと零れる。
こんなにも、
こんなにも人を愛し生きているひとが居るだろうか、
幾度も死に、生まれ、その都度、かつての弟と再会し
失ってきたこのひとを、
それでも彼は愛し続けている。
世界中で一人孤独に生きる運命を背負い彷徨っても
尚、抗いながら、愛するひとを幸せにする術を探しながら
たった一人罪を背負いながら歩いている。

「離さないよ直哉」
「いい加減にしないか、俺は直に魔界とこの世界の狭間へ呑まれる、
お前も巻き込まれるぞ」
「嫌だ」
「雪風、」
直哉に抱きつく、涙が止まらない、
止める術を知らないまま俺は直哉に叫んだ。
「ねぇ直哉、人は一度間違えるとその全てが間違いになるのか?
たった一つの間違いが全部を間違いにしてしまうのか?
アベルを殺してしまったその事実ひとつが直哉の全てを否定するのか?
俺はそうは思わない、確かに正しい部分もあったんだ、
誠実で、寡黙にいつだってひたむきに前を、自分でない誰かの為の
未来を見つめている直哉を間違っているだなんて俺は思わない、
誰にも間違ってるなんて云わせない。
赦してはいけないと俺は思わない、
その愚かさを、浅はかさを、或いは若さを、
直哉、過ちは正せるんだ、やり直せるんだ、
人はね、直哉、赦すことができるんだ、神様か誰かがそうしたのか
そんなの俺にはわからない、でも俺は赦す、赦すよ、
俺が直哉を赦し続ける」

「だから帰ろう、直哉の居場所は此処だ」

手を伸ばす、頬に触れる。
嗚呼、このひとはこんなに優しい顔だっただろうか、
あれから四年経った、四年経って直哉の身長にだいぶ近付いた。
俺は二十一歳になって直哉は二十八歳だ、不器用で気難しい
この世でたった一人の直哉だ。
「俺が直哉の傍にいるよ、いつまでもいつまでも、約束する」

永遠に思える沈黙の後、
直哉は静かに笑い、負けたと呟いた。
そして雪風の手を握る。
歩き出す、いつの間にか空は晴れていた。

「初恋が叶わないなんて嘘だな」
「随分長い初恋だったね」
「何、一瞬だったさ」

愛は一瞬であり永遠である。
そして赦し、約束する。
自分達はいつか辿りつけるだろう、
不幸じゃない結末へ、
俺達の創るのは、望むのは
ただ普通でくだらないそんな世界の話だ。
ありふれていて、ただ少しだけ複雑で、
でも多くの人が悩んだり答えを出したり、
生き方を決める選択の中のひとつ、
そんなありふれた世界のひとつで俺達は生きていく。



その先に
光溢れる
未来を信じて

読了有難う御座いました。

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