後期の授業が始まり、大学が再開されて仕舞った。
尊はあれからずっと大和を避け続けている。
それが良くないことはわかっている。大和にとっても尊にとっても。それでも、尊は答えを出すのを先延ばしにし続けた。
最初は、一週間経ったらと思っていた。それが次第に十日、二十日と伸ばされ、一ヶ月。・・・そして今度は夏休みが終わったら。なのに後期の授業が始まって一週間経っても尊は大和と向き合えないでいる。
大和が大学へ来ていることは知っていた。ゼミの東堂からのメールで知っていた。
それを知っただけに尊には苦しい。
大和はきっと尊を待っている。
それがわかっているだけに尊には苦しかった。
もしかしたら、と嫌な考えが尊に過る。
もう大和にとって尊は必要の無い人間なのではないか?こうして尊がぐずぐずしている間に要らない人間になって仕舞ったのではないか?大和は何より無駄を好まないからこんな尊に愛想を尽かして、大学に居るのは尊に会って最後通告をする為ではないかと、そんな最悪のことまで考えて仕舞う。
ぐるぐるぐるぐると、ずっと夏中尊は大和のことを考えていた。
ジプスのアルバイトに出て、外回りを迫に無理を云って増やしてもらって、大和のことを避けながらもずっとずっと大和のことを考えていた。
それでもどうにもできなくて、自分は意気地無しで、大和に対して接していいのか尊はわからない。
どうしたいのかがわからなかった。
いっそ無かったことにすべきなのか、友人でいるべきだったのか、大和とどうなりたいのかが尊には見えない。
駄目だとわかっていてもそれでも尊には大和と離れることが出来無い。己のそんな未練が尊を腐らせていた。
どうしようも無く尊が限界に来た時に、一通のメールがあった。

「大地!」
久しぶりに会うのは大地だ。
大学が違って仕舞ったから会うのは久しぶりだったが、幼馴染なので離れていた気もしない。
「久しぶり、結局夏は会えなかったな」
「ごめん、バイト忙しくてさ」
これは嘘だ。ジプスの仕事は行っていたが、大地に会う時間はあった。それでも大地の誘いを断ったのは、大和とのことで尊に踏ん切りがつかなかったからだ。
でも、もう、いい加減向き合わないといけないことは尊にもわかっている。
だからこそ、尊は大地に会うことにした。
「相談ってなんだよ?」
珍しい、と大地が驚いたように云うので、尊は弱弱しく笑みを返した。
「なんか痩せた?大丈夫か尊?」
「うん、平気、それより時間大丈夫?ごめん、何か急に・・・」
「いや、授業午後からだから別にいいけど、マックでいいか?」
大地に交差点の向こうにある手近なマックを指差されて尊は頷いた。
適当な席に座り、珈琲の蓋を開けながら、大地の近況を聴く。維緒にも暫く会ってはいなかったが元気そうで尊は安心した。
ちょっとした世間話の後に、大地の方から尊に口を開いた。
「それで?」
「・・・うん、ちょっと、込み入った話で申し訳ないんだけど・・・」
「おう?」
「あのさ、大学が同じって云うか、バイト先の上司みたいな人なんだけどさ、」
「同じ大学でバイトの上司?先輩みたいな?」
「ちょっと違うけど・・・まあそんな感じの人、俺その人と夏に旅行に行ったんだ」
「何なに?進んでんな!俺もコンパとかで出会いを求めてるけど、いいじゃん」
「うん、それで、俺、好きだってずっと前から云われてて、」
「うん?」
「それで、俺その人のこと好きかどうかよくわかんなかったんだよ、でも、それでもさ、その人の好きっていうのがどんなのか知りたかったんだと思う」
「曖昧なんだな」
「うん、よくわからなかった。俺が悪かったんだ」
「その人と何かあったんだな?」
「・・・俺さ、考えなしにさ、その人と寝ちゃったんだ」
がたん、と大地が席を立った。珈琲のカップが揺れて慌てて尊がテーブルを抑える。
「ほほーお、それで尊クンは一足先に大人になったと・・・!ノロケか?」
「・・・違うよ、そんなんじゃない、全然そんなんじゃないんだ・・・」
尊は俯いて、手で顔を覆った。そんな深刻な様子の尊に大地が焦りを含ませて、どうしたと、尊に問う。
尊は大地に促されるままに事の顛末を話した。
「寝たんだ、凄く優しくて気を遣ってもらった、俺、凄く大事にしてもらったんだ。でも怖くなった。だって俺、その人と、大和と具体的にどうなりたいかなんて全然考えてなかった。Hして、浮かれて、帰りに、その想いの強さに気付いて、とんでもないことをしてしまったんじゃないかって思った」
「ヤマト?お前の相手ヤマトって人か?」
大地にあの七日間の記憶は無い。あったとしてもそれは夢であり、事象は覚えていても出会った人間のことは覚えてはいなかった。
だから大地は尊の相手が誰かは知らないのだ。
「うん、それで、俺、夏中ずっと大和を避けて、学校も行けなくて、向き合う勇気が無いんだ・・・」
「尊・・・お前・・・」
「ずっと大和のこと考えてる。避けておいてずっと答えを先延ばしにして、大和に申し訳なくて、大和って何でもできるんだ、器用で頭が良くて、仕事してて、俺よりずっと自立してて、俺ちっとも大和に追いつかなくて、いつもそれがくるしい」
大地はじっと尊を見て、それから珈琲を手に、ポテトを口に放り込んだ。そしてそれを呑みこんでから、尊に云う。
「それ、恋だよお前、」
「恋?」
「だってさ、四六時中そのヤマトって人のこと考えてるんだろう?釣り合わないって思ってるんだろう?」
「うん」
大地の指摘する通りだ。尊は大和と肩を並べられるような人間になりたい。大和からすればとっくに尊にはその権利があったが、尊にはそれがわからなかった。だから尊は大和に申し訳ない。大和を想えば苦しくて、胸が詰まるような気持ちになる。
「後悔してるのか?寝たこと」
「後悔?」
考えたこともなかった。大和と寝たことを尊は後悔しているのか、果たして本当に?
「いや、そんなこと・・・普通じゃないのに、俺、どうしよう・・・後悔してないんだ・・・」
後悔はしていない。尊はどう大和と向き合っていいのかわからないだけだ。わからないから逃げて、自分の臆病に押しつぶされそうになって、答えを先延ばしにして、どんどん駄目になっている。具体的に大和とどうなりたいのか尊にはわからなかった。
「好きなんだろう?」
「好きだよ、でも俺の好きが大和と同じ好きなのかわからない」
「それでも好きなんだろ?俺にはお前が恋しているように見えるよ」
恋?これが恋なのだろうか?大和に?考えたこともなかった。
でも確かに尊は大和と寝たことを後悔していない。どうしていいかわからないだけで、少しも後悔していない。
「尊、お前の云う事を整理したらこうなる。相手に好きだと云われて、旅行に行って、合意の上でHして、なのにもう二ヶ月近く相手を放置してるんだろう?それって男として最低じゃないのか?」
大地に云われて尊は目が覚めた。・・・そうだ。もしかして尊は大和に酷い仕打ちをしているのでは無いだろうか。
自分が大和の立場だったら相手に呆れるし、何があったのか心配になるし、あんなに避けられたらきっと悲しくなる。今更それに気付いて尊は愕然とした。
「どうしよう、俺酷いことした、Hして、恥ずかしくて、勝手に浮かれて、でもどうしていいかわかんなくて、置いてきて、それでずっと大和を避けてる・・・」
「そうだな、尊のしていることはそういうことだよ」
「俺、どうしたら・・・」
「それは尊がもう知ってるんじゃないのか?」
知っていると云われて、尊は驚いて、目の前の大地を見た。
大地は己の胸に訊けと尊の心臓を指差す。
そして尊は自身に問う。
何故世界を戻したのか、何故大和だったのか、何故大和が隣に来て嬉しかったのか。
あの七日間を越えて、本当ならもう出会う筈はなくて、それでもその中で大和だけが尊を覚えていてくれたことが嬉しかった。
大和だけが尊を覚えていて、会いに来てくれた。夢だと思った。そうじゃなかった。世界は死んだ。そして戻した。
苦しくて、辛くて、悲しくて、沢山の想いがあって、それでも尊達は成し遂げた。そして戻った世界で、今度は同じ大学で同じ時間で、ちっとも同じじゃないけれど大和は尊を知ろうと努力してくれて精一杯時間が許す限り付き合ってくれて。
ほんとは大和は別世界の人間だ。ジプスという日本の裏を支える組織の長で、ほとんど全てが手に入るけれど大和はこの国に縛り付けられている。大和をそうして仕舞ったのは尊だ。その事に負い目もあった。尊の望みは大和を再びこの国に閉じ込めて仕舞った。大和の望む世界にしていれば大和は今頃何処へでも自由に行けたのに。それでも大和は尊に力を貸してくれた。そして今度は尊の隣に立った。尊と同じ目線に。ずっと孤高に、一人誇り高く生きてきた大和が無駄だとわかっていても大学へ通って、尊の傍に居続けて、市井の生活を知る為だと、或いは人が道を外さないように監視する為だと云っていたけれど本当は違う。そんなのは建前で本当は、大和は尊の為に傍に立ったのだ。
尊の為に、大和はずっと傍に居た。
「・・・っ」
それに気付いて尊は泣きそうになった。
違う、そうじゃない。一緒に過ごせて幸せだったのは尊の方だ。
大和と一緒に居たかったのは尊のほうだ。
嬉しくて、幸せで、楽しくて、優しくて、あたたかい。
大和よりずっと、尊は大和と一緒にいたい。
ずっと、これから先も出来ることなら可能な限り、居たいのではないか。
だから尊は大和を知りたかった。大和の望む先を尊は知りたかった。
知らなくてもいいことだったかもしれない。それでも大和と共有できた多くを尊は愛している。
「俺、莫迦だ・・・」
「決めたんだろ」
立ち上がる尊に大地は云う。それが尊には心強かった。
「今からでも間に合うかな・・・」
「行ってみろよ、当たって砕けろだ。振られたら俺が維緒と残念会開いてやるよ」
「うん、行ってくる」

その手を取りたい。
だって尊は大和のことが好きだ。
多分、これはきっと大和と同じ好きだ。きっと最初から同じ好きだった。
尊が莫迦で、鈍くて、全然わからなかったから、気付かなかった。
でも大和と一緒に居るその空気が、激しさを秘めた男が尊にだけ見せる穏やかさが尊は好きだ。そんな大和を癒せればいいと尊は思っている。尊がいつか大和と肩を並べられるくらい強くなって、そしたら大和に頼られる存在になって、そして今度は大和の背中を尊が押して、そういう風に自分は大和と生きていきたいのではないか。
父や母に顔向けできないことなんてない。
だって尊は胸を張って云える。
大和と生きていくことの素晴らしさや、誇らしさ、一生懸命一人で戦って、誰も頼らない孤独な大和の傍に立てることの歓びを。
いつだって必死で、胸の内を押し隠して、この国を憂いて、それでも尊の為に世界を戻して、再びこの国の為に峰津院として生きて、そんな大和を嫌いになれるわけが無い。
嫌いなわけが無い。
嫌いになんて絶対になれない。
尊は歩き出した。
早足で歩いていたのが次第に駆け足になって、駅の階段を上って、カードを出すのももどかしくて、今にも締まりそうな電車のドアに滑り込んで、早く早くと願って。
大和が好きだ。
尊は大和を愛している。
大和の笑えばとても優しく細められるその眼が、優しい眼差しが好きだ。
その手もその聲も、年下の癖に、生意気なところも、全部全部好きだ。
そしていつか大和の孤独や寂しさが消えて、幸せを知らない大和を幸せにしてやりたい。
死ぬ最期の瞬間に、大和に幸せだったと思って欲しい。
大和がもう尊を好きでなくても、他の誰かを好きになったとしても、尊は大和に、愛を捧げたい。
大和を愛していたい。
駅を降りて走って、大学の門を潜って、落ち葉にこけそうになりながら、それでも走って、息を切らして、尊は目的の場所へ向かった。
教室のドアを開けて、みっともないくらい汗を掻いて、無様で、情けなくて、きっと尊は大和を困らせた。失望させた。それでも、この想いを伝えたくて。
その場所へ。足早に駆けて、銀色の美しい髪をしたその人を見つけて、尊はその人の前に立って云った。


「隣、いいですか?」

今度は尊の番だ。
大和の隣に立つ。彼があの日尊の隣に立ったように。
今度は席ではなく、それは人生だ。
大和の人生の隣に尊は立つ。尊は真っ直ぐに大和を見た。
驚きに満ちた顔で大和は、一瞬沈黙して、そして見たことも無いほど優しい顔で、聲で、尊に云った。

「おかえり」


10:隣、いいですか?

読了有難う御座いました。

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