※ダイチルート、VSヤマト戦敗北→ヤマトルート話。
※無理矢理などの暴力表現が一部御座いますのでご注意下さい。


初めて見たとき、こわい、と思った。
その年下の青年が、怖いと思ったのだ。


「なでしこ、居た居た!」
撫子、と呼ばれた青年が振り返った。
飯嶋 撫子、いいじま なでしこ、と云う名前を持つ青年は名前だけ見れば完全に女性のそれである。しかし撫子に一度でも対峙したことがある人間なら、撫子の名前を揶揄することはあってもそれを否定することは無かった。
何故なら撫子は撫子という名前に相応しく、大人しく繊細で、決して女性のように見えないしまして、オカマっぽいわけでも無い、けれども撫子と云うに相応しい洗練された花のような青年であった。
撫子がこのように育ったのにはそもそも理由がある。
飯嶋家の初子として産まれた撫子は生まれる前の検診で女の子、と医者に云われていたので家族皆そのつもりだったのだ。大層期待されていざ産まれてみれば撫子は男子であった。稀に聞く話であるが、当然女物しか衣類は用意していなかったし、おもちゃも女の子の物、部屋だってベッドだって可愛い女の子のそれだ。おまけに名前も既に決めて表札まで作っていた。これではもうどうしようも無いのである。子供の内は女の子として育てた方が丈夫に育つという言もあったことから、改名せずにそのまま撫子は撫子となった。
そして男子であっても女子であっても飯嶋家は撫子を大切に蝶よ花よと育てたので幼い頃は幼馴染の大地でさえ撫子を女と疑わなかったくらい撫子は女の子のように優しく嫋やかに育ったのだ。
つまり、撫子はそのくらい繊細な青年であった。
男に告白されたのも小学校の頃からどれほどあったのかと大地はそれを思い出しややげんなりするが、そんな幼馴染を守るのが自分の使命だと思っている。
「ヤマトがお前のこと探してたぞ、作戦会議がどうの、って」
「じゃあこれを片付けたら行くよ」
「有難う、大地」と穏やかに微笑む男が撫子だ。彼はジプスに運ばれた負傷者のリストを作っているらしい。丁寧に紙を捲る仕草が何とも絵になっていて、大地は何度も幼い頃から思ったように、撫子が女であればいいのにと場違いなことを考えた。
出会った人間ほぼ全員が撫子が女であれば、と思うのも仕方無いのだ。
撫子は一人っ子であったが長男として育てられたというより、宝物のように育った。決して排他的ではない、寧ろ撫子の両親は撫子がやんちゃをしても咎めることもなく暖かく見守ってきたものだが、習い事の類は一通りさせた所為で、撫子はお茶にお花にその他諸々、武道に勉強にと文武両道で育った。だから仕草の一つ一つが同じ高校生とは思えないほど落ち着いていて美しい。
あの大和でさえ、初めて撫子と対面した時に少しの沈黙の後、言い淀むように、「随分・・・可憐な名前だな・・・」と呟いた。今にして思えば天地がひっくり返っても出てこなさそうな言葉を大和から引き出したのだから撫子の可憐さはわかって頂けただろうと思う。
故に、撫子は男にも女にもモテた。というか老若男女全般にモテた。控えめで従順、大人しくて繊細、頭が良くて人も良い、今行動を同じくしている新田維緒と共に、双方絶滅危惧種である。
大地にしてみれば見事に両手に花状態なのだが、反面撫子のそういった大人しさを心配もしていた。
突然世界がこうなり、セプテントリオンと戦えと云われ、一応はジプスに身を置いているものの、今後どうなるのか、明日どころか一時間、否、一分先のことだってわかりはしない世の中なのだ。大和に云われた言葉が身に染みる。もはや自分達の人生に一切の保証は無い。それを身を以て知っている。だからこそ撫子はずっと色んなことを大地より溜め込んでいるのではないかと不安になる。
基本的に撫子はブレが無い。冷静で的確だ。だからこそ、不安になる。本当は誰よりも繊細で優しい撫子が辛い思いをしているのは確かなのだ。まして家族の行方すらわからないまま、誰しも不安を抱えているのは一緒なのに、撫子だけはこの中で誰にも不安を漏らしていない。
大和はそれを評価したが、大地にはそれが恐ろしく不安定なものに思える。放っておくと死んじゃうんじゃないかとか、このままにしておくと撫子が壊れてしまうんじゃないかとか、本当はぎりぎりなんじゃないかと、この大人しい幼馴染が心配になるのだ。

「撫子、此処に居たか」
「大和」
部下を連れて歩いてくるのは大和だ。軍靴を鳴らすように歩く様は絵になったが、何処か威圧的で大地はこの男を好きになれそうにないといつも思う。
「志島に言伝を頼んだが」
「会議でしょう、ごめん、これを片付けたら行こうと思っていたんだけれど」
困ったように微笑む撫子に、大和は部下の一人に目線を流し、その部下が心得たように撫子の書類を引き継いだ。
「本部で対策会議だ、来い、君の意見も聴きたい」
君は優秀だからな、と言葉を足す大和は明らかに撫子を気に入っている。
けれども撫子はそれに対し居心地が悪そうだった。
あからさまな好意を向けられるのに撫子は慣れてはいない。まして大和のそれは傍から見ても明け透けだ。
少し困ったように大地を見る撫子に、大地は止むを得ず手を上げた。
「俺も行っていいかな」
その瞬間の大和の顔ったら無い、一瞬本気で逃げたくなったが大地はどうにか踏みとどまる。
全ては大人しい撫子の為である。完全に大和の態度は「お前が?」と大地を見下していて死にたくなった。
「君が来て何か対策になるようなことは無いと思うが」
直球で斬る大和に早くも大地が崩れそうだったが、撫子が助け船を出した。流石幼馴染である。
大地の意図を察したのだ。
「大地も一緒じゃ駄目かな、大地が居るとほら、落ち着くし」
落ち着くし、とわけのわからない助け舟ではあったが一応効果はあったらしい。
というか大和は撫子の意見なら聴くのだ。どんなことであっても基本的に、聴く姿勢を見せる。
「君がそう云うのなら仕方ない、志島、邪魔はするな、では行くぞ」
暗に口を挟むなと大和に云われて、それにどうにか大地は頷いて、カツカツと靴を鳴らし前を歩く大和に大地と撫子が続いた。
後ろを歩きながら大地が内心溜息を洩らしていると、撫子が大地の袖を遠慮がちに引っ張る。
「ん?撫子?」
「さっきは有難う、付き合わせてごめん」
そっと囁かれるそれは穏やかで撫子の方が大地より余程周囲を落ち着かせるような空気を持っている。空気が違うのだ。なんというか匂いが良いというか撫子にはそんな雰囲気がある。実際香水も付けていないけれど撫子からはいい匂いがした。撫子の匂いは人を安心させる。
「いいよ、気にするな、お前大和のこと苦手だろ、俺もだけどさ」
こっそり大地が指摘すれば撫子は困ったように少し微笑んでから、少しだけ頷いた。
「凄い子だと思うんだけどね、多分大和でないとこの危機は回避できないだろうし、でも少しね、少しだけ・・・・・・」
少しだけ、と撫子は云う。
会議室の扉が開く音がして沢山の人が連絡を取り合い状況を確認する音で何もかもが掻き消される。
けれども大地は訊いた。
撫子の、言葉の先を聴いた。

「怖いんだ」

怖いと云った撫子の顔を改めて大地は見た。
驚きながら撫子を見た。
撫子はもう、会議の方に意識を向けているらしく、怖いと、苦手だと云った大和に真っ直ぐ視線を向けている。
彼の口から「こわい」と聴くのは大地は初めてだった。
怖いと、誰かを怖いと撫子が云ったのは初めてだった。
ホラー映画を見て怖いのとも違う、これはそんなものとは違う。特定の誰かを指して撫子が「怖い」と云ったのは初めてだった。
だからこそ気掛かりだった。
このまま此処に居ていいのかという漠然とした不安が募った。
将来も何もないこの手探りの暗闇の中で、僅かに洩らされたこの幼馴染の本音が大地には気掛かりだった。
大地は大丈夫だと、撫子の手を掴んだ。
子供の頃、手を繋いだように、大丈夫だと。
あの頃は世界がこうなるなんて思ってもみなかった。
撫子もそうだろう。大地と一緒にただ世界を謳歌していた。
その幸せは今はもう無い。何処にも無い。
あるのは漠然とした不安、そして目の前には軍靴を鳴らし声高に世界を制しようとする男。
「大丈夫だ」
その言葉は撫子に向かって言い聞かせたのか、或いは自分に向かってなのか。
「うん」
頷いた撫子は、会議に意識を集中させた。
会議の中心に座る男を撫子は見る。
彼が居なくては、今既に世界は終わっていたのだろう。
けれども、想う。
その感覚が何か撫子にはわからない。けれども、こわい、と思った。
何もかももっていかれそうな感覚、強者として君臨する男に引き摺られそうな感覚。
だからこそ大地に付いた。
撫子は大和の手を取らなかった。

初めて見たとき、こわい、と思った。
その年下の青年が、怖いと思った。
その男の手を取ることはどうしても出来なかったのだ。


01:三千世界の
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