※ヤマトルートED後。


峰津院大和という男に付いたのはその思想に理性では納得できなくても意識的に何処か納得できる部分があったからだと稲葉は考える。
「稲葉、此処に居たか」
稲葉、通称イナバ、であるが正式名称はイナハだ。
透稲葉(とおる いなは)という苗字と名前が逆転したような名前を持つ青年はジプス局長である大和が唯一盟友と認めた相手である。一体どういう経緯でこんなことになって仕舞ったのか、少し前までなら考えられないと一月前のことを稲葉は思い返す。
セプテントリオンが攻めてきて世界が消失し、そして再構成された。再構成されたこの世界は力だけが物を云う世界だ。
力なき弱者は生きる価値さえ無く、或いは強者に媚びるしか無くそれぞれがこの大和が支配するジプスを頂点にコミュニティを形成している。最も才が無ければ媚びることも出来ないのだからそれも実力主義だと云えた。
食料事情もポラリスによって世界が再形成され需給率は或る程度安定へと向かっている。力が無ければ生き残れないが、それぞれの分野に見合った力というものがある。純粋に破壊の力が強い者、そうではなく、防御が強い者、或いは物を作る者、或る程度の力が無いと生き残れない世界ではあったが、その篩いから零れずに残ったそれなりの才が見出せる者を適所に振る作業を今は行っていた。
その全ての頂点に君臨しているのがこのジプスであり、今や稲葉は大和と同列とみなされ、この巨大なタワーの頂上の一室を宛がわれている。
「何?」
稲葉が扉を見遣れば見知った顔である大和の姿があった。
最上階に位置するこのフロアは大和と稲葉以外の人間は特別な許可を得た者しか入れない。
まして稲葉の部屋の生体認証キーを無断で開けられるのは大和くらいであるので最早確認の必要も無かった。
「食事でもどうだ?」
「いいけれど・・・・・・」
良かったと微笑む男は仕事の時とは全く違った顔を見せる。
未だ十七だという少年のような男は実際には稲葉より少し背が高く、容姿も整っている。
稲葉を受け入れるに当たって彼なりに気を遣っているらしく、霊的な力こそ強けれども一介の高校生にしか過ぎなかった稲葉には色々配慮はしているらしい。
最も裏では制度の浄化と称して粛清なども行っているようだったからそれを稲葉にみせたくはないのだろうと推測できた。
大和は油断ならない男だ。
その男が稲葉に対してだけ優しい笑みを浮かべるのが最初こそ嬉しくもあったが最近ではその行き過ぎた態度に些か疑問もあった。
大和にしてみれば稲葉は初めての友人なのだからそれは仕方ないと半ば諦めている。だが、他の人間がいる前で稲葉を贔屓するのだけは止めて欲しかった。
確かに力だけなら或いは大和をも上回るかもしれないが稲葉はただの高校生だったのだ。
大和のような生き方をしてきたわけでもなければ誰かを使うのにも慣れていない。
大和のように当たり前に不遜にしていられるほど心臓に毛が生えているわけでも無かった。
示しがつかないので慣れろと大和に云われるが一月やそこらで慣れるものでは無い。

「では頂こうか」
大和は基本的に食事は一人で取るのだという。しかし稲葉に対してだけは異なるようだった。
彼が食事に誘ってきたのはこれが最初ではない。此処に落ち着いて以降二日に一度は夕食を共にしている。
朝食だけは稲葉が朝に弱いので付き合えないのだ。
最初は驚いた顔をしていたが実はあの七日間、稲葉は相当無理をして起きていたのだと気付かれて大和に微笑まれた。
好きなだけ寝ればいいという大和の言葉に流石に規律があるので一時間ほど遅刻させてもらう形で稲葉は寝させて貰っている。
目の前に並んだ食事は随分と豪華なものだ。育ち盛りの青年二人が食べるのだから当然と云えば当然であったが、食料事情が改善されてきたとは云え未だ充分とは云えない。けれども充分すぎるほど吟味された食材を見るに、大和と稲葉が今この地上で最高位に居るのだとわかる内容だった。
大和が稲葉の部屋で食べると給仕の者に伝えたことから食事の内容は稲葉に合わせた物が多い。
フルコースや懐石では無く気軽に食べれる物だ。最もそれは大和の価値基準であって、稲葉からすれば今出されている物も食べ慣れないものだ。以前フルコースを続けて大和が用意させた時に食が進まない稲葉を気遣って大和が問えば稲葉は少し困ったように微笑みながら「あまり慣れていないから、作法に適っていなければ悪いんだけど」と返した。故になるべく稲葉と食事を取る時は家庭料理に近い物、昔、大和が幼い時に母に夏の数日だけ会った時に出されたような簡単な畏まっていないものを大和なりに用意させたのだ。それでもあくまで大和基準である。稲葉の普通とは雲泥の差だった。
これでも精一杯大和は譲歩しているらしくそれを汲んで稲葉はいつも大和の食事の誘いは断らないでいる。
力ある者には相応の待遇を、というのが大和の主義だ。
本当に少し前までとは想像もできない世界になって仕舞ったと改めて稲葉は思った。

受験勉強をして行きたい大学をそれなりに決めて、夏には家庭教師をつけてもらった。
夏のことを思い出し稲葉は笑みを漏らす。
そんな稲葉に気付いたのかダイニングテーブルの向かいに座る大和は顔を上げた。
「どうした?」
「いや、ちょっと思い出して」
「何を?」
稲葉の機嫌が良いと大和も機嫌が良くなる。
話を促すように大和がグラスの水を呷った。
「夏に家庭教師を頼んでいたんだ」
「大学のか?」
大和からすれば想像もできないし、大学などクズ共の溜まり場とでも云いそうであったが、これもそう悪いものではないと稲葉は思う。
「美人な先生でね、大学二年生だった」
少し年上の彼女はその間名実共に稲葉の彼女だった。最も一夏のアバンチュール的なお互い割り切った付き合いであったからそれなりに精神的にも肉体的にも楽しんだが受験もあったし夏休みが終わって直ぐに別れたのだ。
「美人だったんだけどね、それで大地にそのことを話したんだ」
「志島に?」
大地は今此処にはいない。大和は袂を別って敵対し尚且つ説得に応じなかった者を許しはしない。彼等もそれなりに強かったので死ぬことは無いだろう。大和には話していないが(最も探られてはいそうだった)今も時々連絡は取っている。
「写メを見せたら大地がうらやましーって叫んでさ、自分も親に頼んで家庭教師雇ったんだ」
「結構なことだな」
「うん、でもさ、オチがあって、美人の女の人期待してたのにいざ来てみたら、その家庭教師が男で、それ見た瞬間大地が玄関先で『チェンジ!』って云ったんだよ、面白かったなぁ」
もう会うことは無い、大地は生きているけれど家庭教師の先生はどうなったのかは知らない。願わくば生きていて欲しいと思うのは稲葉の驕りだろうかと思う。けれどもそう思う。
行方不明の両親も、大地の家族も、生きていて欲しい。もし仮に死んでいるのならせめて一瞬であの暗闇に飲まれたのならいいと思う。苦しまないで逝って欲しかった。
傲慢だとわかっていてもそう願わずにはいられない。
「・・・・・・もうそんなことも無いんだろうけどね」
楽しかった、当たり前に生きて、それなりに上手い生き方をしていたと思っていた。
充実していて彼女も居た。セックスもしたし、それなりに好きな人と付き合ってきた。
友達が居て、学校へ行って勉強して、買い物に行って、そんな当たり前の世界はもう無い。
大和の手を取った時からわかりきったことだった。
時折何故大和の手を取ってしまったのかと思ってしまう。
何故大和でなくてはいけなかったのかと思う。
それでも過程はどうあれ結果として稲葉が大和を選んだことに変わりない。
今こうして目の前で共にフィレステーキを食べ、談笑する非現実的なこれが今の現実なのだ。
「懐かしいか?」
大和の言葉に稲葉は青い目を瞬かせた。
大和は稲葉の眼を見る度に透明で澱みの無い不思議な眼だと云う。
そのことを思い出してふと大和に初めて遭ったときを思い出した。
透稲葉、一見苗字と名が逆転しているような名前。
そのことでよくからかわれたものだが、イナバと呼ばれる度に周りに合わせているうちにどうでもよくなってきた。
大地ですら幼い頃からずっとイナバと呼んでいるのでもう気にもならない。
因幡の白兎なんてことを体言しているような兎の耳付きパーカーを大地に貰ってからは半ば自棄のように着ている。
或いは、あれほど探してもみつからない両親が幼い頃あまり日焼けしない体質である稲葉に対して、本当に白兎のようだと微笑んだからかもしれなかった。
家族は消えてしまった。この惨状からして希望は無い、恐らくその名で呼ぶ人は皆死んで仕舞った。

「透、稲葉、いや、いなは、か」

いなは、と正しい響きで呼ぶ男に出逢ったのはその時だった。
ジプス局長と名乗った男は迷い無く正しい名前を呼んだのだ。
「綺麗な名だな、稲葉」
彼のすることを間違っていると頭で思いながらも、
着いてきたのはその為なのかもしれなかった。


01:名前を呼んで
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