高杉について神威は地上に降りた。
興味本位であったが、高杉は後に続く神威を気にした風も無く慣れた様子で一軒の料亭に入った。
既に話が通っているらしくあっさり座敷に通されて高杉は夜になるまで此処で待つと云う。
神威はそれならと身体を覆う包帯を外しその座敷に寝転がった。
「誰かに会うの?」
「てめぇにゃ関係のねぇことだ」
「お金?」
直球で高杉に問えば観念したのか「そんなところだ」とだけ言葉を返し、部屋に茶請けを持ってきた女将に何事かを指示をする。
「悪ぃな、一人大喰らいがいやがる、用意できるか?」
高杉が云えば女将は心得たように頷き、神威が床に脱ぎ捨てたマントと包帯を拾い綺麗に畳んで端に寄せた。

夜までまだ時間がある。
高杉と遊ぼうかと思ったが当の高杉はその気分では無いらしく、何やら書き認めている。それが面白く無くて神威は床に寝そべるうちにいつの間にか眠って仕舞った。
気付いたのは高杉に頭を蹴られたからだ。
「時間だ、行くぞ」
行くぞと云われて神威はのろのろと畳まれたマントと包帯を持ち高杉の後に続く。
高杉は玄関では無く裏口を向かったので玄関に置いたままの傘を取りに向かおうとしたら女将が卒の無い様子で神威に傘を差し出した。それを受け取り云われるままに裏口に出れば河だ。
「船・・・」
小さな桟橋に屋形船がある。
行燈に灯が入れられゆっくりと河を往くそれに乗り込み神威は歓声をあげた。
この侍の星でもそれなりに遊んだつもりだがこれは初めてだ。
「へぇ、随分面白いね」
「俺ぁ話がある、てめぇはそれでも食っとけ」
牛一頭を神威の為に用意したのだと高杉に云われ神威は機嫌良く目の前に置かれた食事に目を向ける。
高杉は部屋の奥で腹心の万斉も含めて何事か話し込んでいるようだった。
神威はそれに少しだけ意識を向けながらも高杉が神威の為に用意させたという食事に手を伸ばす。
高杉はこうして神威に時々食事を食べさせてくれることがあるがそのどれもが神威には初めてのものばかりで神威の舌は肥えるばかりだ。
「これ何?」
牛鍋です、と女中に云われて神威は食べ方を教わる。
溶き卵につけるというのは新鮮であったがこれが中々美味しい。
それ以外にもタタキなど神威の知らない料理をいくつも出され、気付けば随分時間が経って仕舞った。
高杉達の食事は神威達のところのように一気に大皿では出ない。
少量の食事が小分けに出されるのだ。
綺麗に飾られたそれらは神威からすればどうせ食べるのだから、無駄ではないかと思うが、目で味わうのだと高杉に云われてからは神威もそれが少なくともどんな形をしているのか何をモチーフにしているのかを尋ねるようにしている。その程度には高杉に付き合う内に食事を愉しめるようになっていた。
それも終わり、腹は膨れたがまだ余力がある、デザートをと思ったところで一艘の船が近付いて来て高杉がその場から立ち上がった。
「行くぞ、後はまかせた」
万斉が心得たように高杉に頷いてみせ、神威は促されるままに立ち上がる。
そして近付いたもう一艘の小船に移り屋形船を後にした。

「美味かったか」
「凄く、あとはデザートがあれば文句ないよ」
「云いやがる」
フン、と鼻を鳴らす高杉は酒気を帯びているのか少し肌が赤くなっている。
常とは違うその様に神威は誘われるように高杉に手を伸ばした。
船頭が居るがそんなこと気にしたことか。
「デザートはあんたがいいな」
高杉は一瞬面食らった後、聲を上げて哂った。
ひとしきり哂ってそれが止まった後不意に神威は身体が浮くのを感じる。

「御免だ」
ばぁか、と云われて投げられたのだと知る。
次の瞬間神威は暗い夜の河に落ちていた。
ばしゃんと盛大な音がしてどうにか水面に顔を出せばさも愉快そうに顔を歪める高杉だ。
どうにも酔いが回って調子に乗っているらしい。
「これに懲りたらこんな場所でほざくんじゃねぇ」
良い子にしてたら考えてやると云われてかちんと来たのは神威だ。
高杉が差し出した手を神威は思いっきり引っ張ってやる。
力のままに高杉を水面に引きこめば高杉はあっさり水に落ちた。
溺れては困るので手は離さないままだ。
一瞬本当に危なかったのか神威の指に絡んだ高杉の指に力が籠る。
それがまるで高杉に求められているようで正直悪い気はしない。
神威は高杉を水面まで引き上げて、自力で船に上がった。
船頭も高杉の部下だ。焦ったように高杉に聲をかけるがそれを遮るように神威は高杉を船に引き上げる。

「てめぇ・・・」
いい度胸だな、と刀に手をかける高杉に神威は髪を絞りながら云う。
「良い子にデザートを呉れない高杉が悪い」
今日は常になく大人しくしていたのだと高杉に云い放てば、呆気に取られたように高杉から殺気が消えて、それから高杉はびしょ濡れの着物を脱ぎ捨てさっさと下着姿になって仕舞う。
神威もそれに倣って衣服を脱ぎ捨てて仕舞った。
船頭は高杉に己が着ていた法被を渡し、それから何処かに連絡を取る。
程無くして先程の屋形船から呆れた顔で万斉に迎えられ、高杉と神威は軽い小言を食らいながら用意された新しい着物に袖を通すことになった。
そしてそのまま屋形船で塒に戻ることになったのだ。
船はゆっくりと河を下って往く。
三味線の音を背景に神威は高杉の膝に頭を置いた、高杉はそれを咎めることも無くぷかぷかと煙管から煙を吐き出し遠くを見る。
それがあまりにも綺麗だから神威はそんな高杉を下から見上げた。
けれどもそれも長くは続かない。
朝焼けだ。
眼に痛いそれ、神威が僅かに目の奥に感じる痛みに身じろげば高杉は心得たように船の障子を閉めた。
「眠ってろ、」
「デザートは?」
「後でやるさ」

夜になれば、と高杉は云い、神威の瞼に手を置いた。
その手の温度が心地良くて、与えられる暗闇に神威は微笑みながら眼を閉じる。
「俺とあんたの夜だ」
高杉の掌が神威を覆う。
それが堪らなく不思議な心地でその感情が、その感覚が何なのか神威は知らなかった。
ただ、高杉のその手を握りながらいつまでもそれが此処にあればいいのにと思う。
無理だ。いつまでもあるわけがない。
この男の地獄に神威はいない。
共に地獄を巡ると云った癖に高杉はきっと神威を置いて逝く。
「眠れよ、神威」
その優しささえ含まれた静かな聲に、神威はどうしてか泣きたい気分に成った。
云われるままに目を閉じその暗闇に身を任せる。
そして想う。
この男は一体何なのだろうと。
この男が与える殆ど全ての事を神威は知らない。
だからこそ神威は高杉をいつまでも殺せない。
それどころか手放すのが惜しいとさえ思っている。
いつか失うとわかっているものにそう思うなど莫迦らしい。
莫迦らしいのに神威はその感情が何なのか知りたくなった。
知ったらどうすればいいのかわかるのか。
この感情の名前を知ることができれば、己は高杉を得られるのか。
わからない。何度考えても神威にはわからない。
けれども少なくとも今この瞬間この手は神威の傍にある。
神威の為に与えられた暗闇。
その暗闇の中光る一筋のひかり。
それがいつまでもあればいい。
この男が何処までも神威は欲しい。
その暖かさの答えを知らぬまま、あたりに響く三味線の音を子守唄に神威は眠りに就いた。


20:子守唄

お題「屋形船」

menu /