パチン、と音がして高杉は失っていたらしい意識を浮上させた。
眠ることは少ない。
高杉は房事の際の一瞬に意識を飛ばす程度で常より寝姿など他人に見せることは殆ど無かった。
まして此処はあの夜兎の居城ともいえる春雨第七師団の船の一室だ。
いつ殺し合いを始めてもおかしくは無い関係であるのに何度か身体を繋げた為に気が緩んでいたのかもしれない。
( 俺も焼きが回ったか・・・ )
神威が無造作に部屋に放りなげている煙草盆をどうにか引き寄せ高杉は煙管に葉を詰める。
火を点けながら傍らの餓鬼を見遣れば熱心に足の爪を切っていた。
高杉が起きたのなら直ぐ様寄ってきそうなものだったが神威は時々こうして高杉の前でも、一人で物思いに耽っていることがある。
それをぼんやり眺めながら高杉はこれは悪くないと思った。
見目だけなら充分少女と云っても通りそうな子供だ。
長い髪は僅かに乱れ常のように編んでもおらず一括りに髪を結い上げている。
簪だ。何の飾りも無い黒い留め具で止めたそれは緩んでいるのか全てを上げきらなかったのか珊瑚色の長い髪が幾重かに連なってその真白い背中まで滑っている。
それだけならどこぞの遊女でも連想させそうなものだったが子供の身体は男のそれだ。
まだ成長途中という身体はしなやかな苗木を連想させた。いつか大樹になるであろうそれは若く、夜兎独特の傷一つない白い肌は見ていて何かしら眩しいものを見る心地になる。
けれども扉を一歩出れば現実が待っている。外にはこの子供の腹心が、或いは己の腹心が待機しているに違いない。
昔はもっと色んなものが自由だった。
何もかも憂いも悲しみも知らずに野を駆け回った時代が高杉にも在った。
この子供と居ると高杉はそうして失って弔ってきたものを思い出す。
夜兎という種族は純粋だ。
狂気にも、殺すことにも酷く純粋な破壊欲という一つの感情を以ってのみ挑む。
神威はそれを体現しているような子供だった。
その純粋さで以って彼は高杉の心中を踏み歩く。
常ならば怒りを覚え斬り捨てるであろうそれの酷く吐き気を伴う嫌悪感が何故か高杉には心地良い。
或いはそれは神威が夜兎という異種族だからこそ、かもしれなかった。
こいつは侍じゃぁない、高杉の過去など鼻で哂い飛ばせる程度にしか感じない。
其処には同情も憐みも憎しみも無い。
ただ神威にあるのは高杉の持つ感情や記憶への純粋な興味だけだ。
高杉が何に怒りを覚えるかなど神威は意にも介さない。
だからこそ、それが良いのかもしれなかった。
現に高杉は今此処でこうしてこの子供と睦み合ったのではないか。
想定外ではあったが、それでもこの関係を高杉は今のところ清算する気は無かった。
高杉がそんなことをつらつら考えている間にも、パチン、パチン、と規則正しい音がする。
神威は上半身に何も羽織っておらずかろうじて下だけを穿いた状態だ。高杉も神威に服を散らされて仕舞ったので何処にあるのか衣服をまず探さなければならない。
時刻は朝だろう。この部屋に時刻がわかるものなど無いから高杉にはわからなかったが、そのぐらいの時間は経った筈だ。
どうにか羽織を見付けて手を伸ばしそれを引き寄せ肩にかける。
立ち上がろうと高杉が足を立てたところでその子供に足首を緩く掴まれた。

「もう少し」
常なれば不躾な事を云うその口が意外なほど静かな聲で云うので高杉は起こそうとしていた身体をもう一度寝具に落した。
そして煙管の灰を捨て新たに葉を詰める。
パチン、と音が止まり彼の爪は切り終わったらしい。
「高杉のもしていい?」
高杉が無言で頷けば神威は慎重な手付きでそれをした。
この子供にそんな繊細さや気遣いが出来るなど意外ではあったが、そんな気分なのだろう。
神威は優しい手付きで再びパチン、と爪切りを遣い高杉の足爪を切った。
その口からは小さな聲で旋律が零れる。
「何の曲だ?」
「さあ、歌詞は忘れてしまったけど昔母親が歌っていた気がするよ」
「そうか」
続きを、と高杉が促せば神威は静かな聲でその旋律を口遊んだ。
柔らかい、静かな音だ。
響くその音に高杉は久しく感じていない不思議な安堵を感じた。
この子供と居ると高杉はそういった不思議な心地に見舞われることがある。
けれどもその時間もずっとは続かない。
外が少し騒がしい。
そろそろお開きだろう。
いつの間にか多くの出来事が過ぎ去って気付けば高杉はこんな宇宙の只中にまで来てしまった。
かつて在った大切なものたちは既に失われ掬い上げようとした何もかもは高杉の指をすり抜けて逝って仕舞う。
既に己が己なのかももう高杉にはわからなくなって仕舞った。
残っているのはどうしようもない憎悪と悲しみの成れの果てだ。
だからこそそれが良いと寄ってくる輩を高杉は何の情も無く受け入れる。
けれどもこの子供は違った。
もっと別の何かがある。
パチン、とまた音が鳴った。

( 失わねぇってのも悪くねぇよ )
神威は高杉の地獄の外に居る。
未だ若い異種族であるこの子供はいつか高杉のことを忘れるだろう。
己が地獄に呑まれて消えてもこの子供は消えはしない。
神威は全てを失った高杉にとって新しく得た唯一の失われないものだ。
高杉が消えれば高杉のことなど簡単に忘れ破壊に身を任す子供。
神威はどうしたって高杉より先に死ぬことは無い。
それを想うとこの関係も悪くないように思えた。
真っ直ぐに向けられる神威の純粋な感情に呑まれるように高杉はその白い肌に手を伸ばす。
あと数分もしない内に此処にあの口の悪い神威の部下が入ってくるに違いない。
それを想うとあと一度くらい目の前の子供と睦み合うのも悪くない気がした。
「切ったら、来い」
「へぇ、めずらしい、昨夜あんなにしたのに、いいの?」
機嫌が良さそうに問う神威の髪を触りながら高杉は云う。
「そんな、気分だ」
「俺もそんな気分だよ」
その言葉に高杉は珍しく聲を立てて笑った。
今直ぐこの子供に神威に口付けをしたい気分だ。

「謡って呉れよ」

謡って欲しい。
あらゆる負の感情に呑まれながらももがく無様なこの獣に、あらゆるものを叩き潰す獣が歌う。
その旋律は不思議なほど透明でうつくしい。
須らく世界は高杉を苛む、その中でこの子供の聲だけはよく通る鈴の音がした。


16:
三千世界の烏を
殺し主と朝寝が
してみたい

お題「朝寝」

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