※夜兎に関して模造設定などがあります。


傘が壊れたのは突然のことだ。
頑丈に作ってある夜兎の傘は戦闘にも陽を遮るのにも役に立つものだ。
そしてその傘は夜兎である神威にとって必須のものでもあった。
夜兎は陽の光に極端に弱い種族だ。
宇宙の闇の中で生きてきた自分たちの種はそれが当然であった。
人型ではあるし元は人類と同じような起源であったらしいが、その種がある時を境に変異したらしい。
夜兎の種の研究によると大規模な地殻変動があり、長らく紫外線を遮断する生活をしていた結果らしいのだが、神威にとってそんなことはどうでも良かった。夜兎にとってそんなことは些細なことだ。夜兎の遺伝子を研究したがる他種族はいくらでもいるが夜兎の中でそういった進化の歴史を細かく残した記述が無いので今となっては全てが推論でしかない。
何かがあって夜兎は今の形態になった。他の種を圧倒する力と、反面陽の光で死に至るような脆さを内包した種。
夜兎は滅びゆく種だ。宇宙の誰かしらが色々調べて夜兎の種を希少種だと記した。
希少な絶滅危惧種。そもそも世界にどれだけ夜兎が居るのかも神威は知らない。
夜兎は最強の戦闘種族として戦うことを生業としているものが多いので皆宇宙を彷徨うのが常だ。
戦場でまみえることもあったが、そうなれば夜兎は己の持てる力の全てを以って相手を叩き潰すことに専念する。
阿伏兎は種の保存という点から同族が死ぬことに抵抗があるようだったが、神威やおおよそ殆どの夜兎は同族同士で殺し合うことに何も思わない。当然だ。力が全て、それが夜兎だ。
だから皆夜兎は白い肌を少しでも陽の光から遮断する為にマントをし、そして傘を射す。
それだけが種族の証明であるかのように傘を射すのだ。
壊れて仕舞った傘の予備が船の自室にはあったが、取りに行くのも神威は億劫だった。
マントを羽織り、いつもより厳重に包帯を身体中に巻いて、神威は船を降りる。

だって後ろ姿を見つけたのだ。
高杉晋助の。
神威は不意に追いかけたくなった。
江戸に降り立つ高杉が何をするのか神威は知りたい。
だから慌てて包帯だけをきつく巻き、神威はその背を追いかけたのだ。
どうせ雨が降っている。これならば大丈夫だろうと、高を括って外に出た。
けれども通りを越えたところで高杉の姿を見失って仕舞う。
雨は一層強く神威に降り注ぎ、マントと包帯をじっとりと水で濡らした。
「灰色だ・・・」
此処もあの世界と同じ。灰色。
神威が育ったあの星と同じだ。
雨の多いあの星で、父と母が居た。やがて妹が生まれ、母は死んだ。
遠い憧憬に神威は眼を細めた。
感傷などあるわけが無い。現に神威は今江戸に居るという妹に会うつもりさえ無かった。
執着はある。同じ種の父や妹に、その強さの根源に執着はある。
けれども今神威を惹きつけるのは高杉だ。
入れ込まないようにと散々阿伏兎にも注意されてきたが、どうしても神威は高杉から目を離せなかった。
艶やかな着物を羽織り、静謐の闇に佇む男から神威は目が離せない。
獲物の筈なのにまるでこちらが食われるようなその感覚に、神威はかつて無いほど惹かれた。
これではあの鳳仙を哂うことなど出来ない。
神威はこの感情がかつての師であった男が日の輪と云われた女に感じたものと同種のものだと理解している。
愚かにも光に手を伸ばした鳳仙、愚かな師、愚かな老人。
けれども、それを哂うことなどもう神威には出来なかった。
「風邪引くぜ」
差し出された傘に神威は咄嗟に振り返った。
見れば高杉だ。
番傘を神威に差し出している。
雨は小降りになっていたが、神威は全身濡れて、まるで一人だけバケツを引っくり返されたような状態だった。
「高杉、どこに居てたのさ」
捜したよ、と神威が云えば高杉は何も云わず、歩くことを促す。
「傘ぁ、どうした?」
「壊れたから置いてきちゃった」
「あれがねぇと不味いんだろ」
「うん、そうなんだけどね、雨降ってたし、包帯してるから大丈夫かな、って」
嘘だ。この雨でも本当は肌がちりちりとしている。
陽の光は雲に覆われているがそれでもこの星に射す光は強い。
火傷ほどでは無いが包帯に覆われた肌の下は赤くなっているに違いなかった。
「梅雨ってんだ」
「つゆ?」
「雨がこうして降る季節の事だ」
今が梅雨で良かったなァ、と云われ神威は頷く。
「そんな季節があるんだね、知らなかった」
高杉と居ると神威は知らないことを知っていく。
沢山のことを、感情を知っていく。
例えばこうして傘を差し出された時に、例えばこうして共に歩く時に、神威は知る。
「この花は?色んな色してる」
「紫陽花だ、地面の質で色が変わるんだよ」
「綺麗だね」
綺麗だ。
心から思う。
灰色の空から光が差し込んで来る。
雨が止んだのだ。
遥か遠くに光が見える。
「あれは?」
「虹、だ」
差し込む光に神威は眼が焼かれそうなほど熱くなる。
ひかりだ。
あのひかりが、
「きれい、だね」
雲間から光が降り注ぐ瞬間、神威は陰に引き摺られた。
咄嗟に神威を守るように高杉が壁になる。
「てめぇの傘ぐれぇ持っとけ、死ぬつもりか」
まるで子供を叱るように云われて神威は微笑んだ。
包帯が無ければ高杉の髪や頬に直に触れることができるのに、それも出来ない。
けれども高杉晋助という男の鼓動を身近に感じる。
それが心地良い。
この男は自分の知らないものを見せる。そしてそれが何なのか神威に示すのだ。
「ねえ、高杉、世界って綺麗だね」
多分一人ではそうは思わなかった。
一人だったらこんなもの滅べばいいとさえ思っていた。
忌々しい太陽の光が見せる幻など、神威には理解できる筈も無い。
夜兎とはそういう種族の筈だ。
けれども神威は今、それを美しいと思っている。
この男を彩る世界の光が、その全てが。
その感情が何なのか、神威はわからないままその光に手を伸ばした。


「本当に、綺麗だ」


07:光の中の無邪気

お題「相合傘」

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