※夜兎に関して模造設定などがあります。


明日の話はしない。
厳密に云えばする。
次は何処を落とすとかそういう作戦の話。
でも本当の意味での明日の話なんてしたことが無いのだ。

「潮風って懐かしい気がする」
「海辺だったのか?」
それが暗に過去にそういった場所に住んでいたことがあるのかと問われたことだと気付いて神威は頷いた。
「昔だよ、母親が生きていた頃に」
潮風が神威の髪をなびかせる。
海だ。
広大な海原を見遣りながら神威はどうでも良いように答える。
久しぶりに降りてきた地表は海のある星だった。
浜辺を二人で歩き砂浜にはぽつぽつと互いの足跡が刻まれている。
高杉だ。
神威は今、高杉という地球種の男とこの場を歩いている。
春雨を介してこうして高杉に遭うことが増えたのは良いことだ。
少なくとも高杉晋助と云う男は神威の人生の上で指針になるような物の見方をする男だった。
他者に関心を抱くことが少ない夜兎にとってその男は得難い知恵を持った賢い男だ。
この先にある指定された場所が今回の任務だった。
夕闇に程近い静けさを湛えた海が広がる。
静寂だ。今此処にあるのは静寂と哀愁だった。
互いに届かない遠い過去への侘しさにも似た静寂。
ざぱん、と波が潮の香りを運んでくる。けれどもその静寂が長く続かないこともまた神威達は知っていた。
暗い海の先に広がる大瀑布の向こうが神威の向かうべき戦場だった。

「あんたは?」
「昔はな」
海辺があったとぽつりと高杉が洩らす。
そういう過去の話を時折する。
本当に稀に、何かを思い出すように互いの傷を柔らかい何かで隠しながら互いの話をした。
これから戦いに身を投じると云うのに不思議なほど心は凪いでいる。
不意に神威から高杉の指に触れる。
指先を絡めて、傍らの男のその温度に触れる。
「獲ってきてって云ってよ」
「何でぇ?藪から棒に」
今回の作戦は高杉が望んだものだ。
借りがあるから夜兎が働く、表向きの理由。
それだけ。
それでも、その言葉が神威は欲しい。
刹那的でも高杉に求められれば悪い気はしない。
否、高杉にこそ乞われ求められたいとさえ神威は思っている。

それがどれ程の事なのか、傍らの男は屹度理解しないのだろうけれど。
神威にとって乞われることこそ価値があった。
「云ってよ」
そうすれば己は何物を引き換えにしてでもこの男の望みを叶えるだろう。
そうしてもいいほどに己はこの男に惹かれその存在を欲している。
それがどれ程のことか!
焦れるようにもう一度、熱の籠った甘えるような聲音で神威が口を開きかけた時に望みは叶えられた。

高杉は一瞬の沈黙の後に、云った。
低い聲で、優しく残酷に。
甘く痺れるような、優しさを秘めた聲で。
これが、この感情が恋だと識ったのはいつだろうか。
いつからこの男にこれほど心揺らされたのか、いつからこの男を己の全てを賭けてでも欲しいと思ったのか。
或いは最初からだったのか。

「獲ってこいよ、奴らの首」
「それがあんたの望みなら」

悪魔のように笑みを浮かべる高杉が堪らない。
なのに神威の指先に絡む指に少しだけ力が籠る。
失くすまいと、失ったら厭だと、口にはしないけれども確かに、それは在る。
高杉の弱さや脆さが其処にはある。
( 高杉はきっと、駄目になる )
或いは疾うに駄目になっている。
神威に願えば神威は世界の全てを高杉の望む通りに滅ぼすだろう。
けれどもこの男がそれを願わないのもまた神威は識っていた。
永遠に孤独な地獄に佇む道を選んだが故に、高杉は己の手で地獄を成さなければならない。
手を貸すことは出来ても、其処に神威の入る余地は無い。
( だから乞うて欲しい )
願ってほしい、お前が必要だと、仮初でもその言葉があれば神威はそれで良かった。
( 狂ってる・・・ )
互いに、狂っているのだ。人が狂って獣に成ろうとした男と、そもそもが狂った獣の種だ。
互いの狂気の孕む先は真っ赤な地獄だ。
それなのにその男が恋しい、懸想する。
明日も明後日も、それはもう変わらない。
変わりようが無い。
高杉は屹度これを認めないのだろう。
認めるわけにはいかないのだろう。
指先に絡むそれが答えだとわかっていても高杉は決してその感情を認めまい。
けれども神威は高杉を識って仕舞った。
高杉を得て変わって仕舞った。

先は地獄。
( いいじゃないか、俺は生まれつきそれしか知らなかったよ )
戻っても地獄。
( じゃあ戻らずに進もうよ、楽しいことだけ考えて )
高杉を想うことが地獄。
知らなきゃよかった、でも知って仕舞った。
今更手放せる筈も無く、今更足掻いてもどうにもならず。
くるしくて息も出来ない。
溺れるようだ。
( あんたを見ていると、苦しくなる )

屹度、己とは生きてはくれないとわかっているから苦しい。
ならばこの男を殺せればそれでいいのか、それができていればこれほど苦しくはならない。
( 噫、どうして・・・ )
先の話はしない。
したって結局あるのは地獄だ。
明日の話はしない。
明後日の話もしない。
そのずっと先の話もしない。
( でも俺はその先がずっとあればいいと願ってる・・・ )
ずっとずっとその先も高杉がいればいい。
高杉が死なないで己の傍にいてくれるのなら神威はなんだってする。
なんだって出来る。
( けれどもそれがあんたの望みじゃないことも俺は知ってるんだ )

知りたい、知りたくない。
知らなきゃよかった、でも知って仕舞った。
目の前には戦場。
神威の為に用意された約束の場所。
それだけでよかった、それしか欲しい物なんてなかった。
( 得られないものを欲しがるなど・・・ )

「行ってくる」
「精々殺して来い」

その地獄に向かって神威は飛び降りる。
迷いも何も無くただ真っ直ぐに。
まるでそれは今の己の胸の内のようだ。

( 落ちる、墜ちていく・・・ )

それは心地の良い失墜。
それでも最早離せる筈も無く。
その狂気の孕む先は真っ赤な地獄だ。
紅い煉獄の炎がいつかこの身を焼くだろう。

( それでもいい )
( それでいい )

明日の話はしない。
明後日の話もしない。
そのずっとずっと先には地獄がある。
救いようの無い地獄で、きっと高杉も神威も其処にいる。
あがいても足掻いても結局堕ちていくことに変わりはない。

( ああ、でも・・・ )
墜ちる場所が同じなら、それでいい。
辿り着く場所が同じならそれで構わない。
数多の命を力のままに奪い、殺し、屍の山を築き、世界の全てに蔑まれあらゆる憎悪を一身に受けようとも、それでいい。
いつか必ず己は其処で高杉と再会するのだろう。
その時は殺し合いをまたしようか、それとも甘い恋人同士の様に交わろうか。
いつか来るその終わりに、その先にある地獄を想って神威は微笑んだ。


「あんたと逝く場所が同じなら、それでいいや」


20:他に望むべくも無い

お題「明日の話」

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