※江戸時代パラレル。高杉=元町人。名を替え罪を被った男、神威=人殺し。子供。 人生なんてこんなもんだ。 ロクなもんじゃない。最初から満ちてる奴なんざ少数で、其処から外れた奴なんて惨めなもんだ。 最初から何もかもある奴と、最初から何もかも持ってない奴。 それだけだ。 だから、そんなもんだから、俺はとっておきの仕返しをしてやった。 神威が目の前の男を刺殺したのは意図的なことだった。 十になる前のことだった。 このままじゃ殺される。殺らなきゃ殺されるのは神威の方だ。 だから殺した。 誰も助けてなんてくれない。神威が殺らなきゃいけなかった。 包丁で、渾身の力で男の胸元を刺した。 いつも神威を怒鳴りつけて殴っていた。皆何かにつけて殴られていたが、今日のは酷かった。 否、この男はそもそも『神威にだけ』元々酷く当たったではないか。 その日仕事のあと、少しの水を水瓶からもらって飲んでいた神威を見つけたあいつが、神威を土間に引き倒してそれから汚いナニを曝け出した。わけがわからない。男は多分酔っていた。 此処には神威みたいに親無しが多い。路上で生活していた神威を寺の誰かが拾って、それから此処に連れてこられた。此処にはそんな子供が沢山いて、皆殴られながら働いていた。働いても働いても金なんか入って来ないし、皆、飢えていた。 そんな場所でもなんとか生きては来れたからそれでいい。別にそれだけならいい。 でも男は神威の脚を掴み、その汚い一物を尻に寄せてきた。 怖気が奔った。一度、その現場を神威は見たことがある。仕事の合間に、これと同じことを観たことがある。 同じくらいの子供がこいつに弄られて悲鳴を上げていた。そしてその一月後に病気で死んだ。 隔離されて、庭の隅にある神威達の居る場所よりもっと汚い、屋根があるだけの場所に追いやられてひゅうひゅう、息を洩らしながら死んだ。 それを思い出した瞬間、神威は必死に脚を動かし、手に届く何かを捜した。 そして偶然、それは手に転がり込んできた。 包丁だ。土間なんだからあって当然だ。 女中が仕舞い忘れた包丁。 だから神威はそれで男を刺した。 この店の主人であった、男を刺した。 眼の前には男の動かなくなった死体がある。 夥しい血が流れ、神威の足元まで滲んで来る。 「これ・・・てめぇが殺ったのか・・・」 ふと、顔を上げれば、兄貴分の男だった。 この店の手代の見習で通ってる男だ。普通の、神威達とは待遇も違う男。 年の頃は十八だか、十九だかそんな筈だった。 「うん・・・」 どうなるか、わかってる。 店の主人を使用人が殺すことはご法度だ。 おれは殺される。 役人に捕まって磔にされる。市中引き回しを前に見たことがある。 そいつの顔は酷かった。強盗して押し入った先で店の人間を殺したなんてよくある話。 そんで無様に捕まって殺されたわけだ。 おれもきっとそうなる。 餓鬼だから逃げ切れるわけが無い。 でも、それでも殺して良かった。 俺が殺したかったからそれでいい。 おれの人生はそんなもんだ。 「それぇ、寄越せ」 男は神威が持っている包丁を取り上げる。 「俺死ぬの」 「いいから来い」 ガタガタ、と男が神威を土間に広がる血の海から遠ざけ、そして奥の部屋へ迷いなく進んでいく。 夜だ。皆寝入っているから良かった。 今日は神威の仕事が特別遅かったから、皆寝てる。 男もきっと今日は遅くまで帳簿でも付けていたんだろう。 男はさっき殺した主人の部屋へ入り込む。 主人の部屋は普段なら入ってはいけない場所だ。 そこへずかずかと入り込んで棚や壺を探った後、畳を裏返した。 「あった」 其処にあるのは金だ。 見たことも無い小判の山。 「ずっと帳簿が合わねぇ部分があったからな、溜め込んでやがる」 男はそれを半分に分けてそれぞれを風呂敷に包む。 「この半分はてめぇのもんだ、少しつづ使え、餓鬼がこんな金持ってると疑われる」 「どういう・・・」 意味がわからない。 「俺が刺した、それでいい」 「何を・・・」 「成田屋の主人、権兵衛は俺が刺した、此処で俺が消えればそうなる、てめぇが刺したなんて誰も思わねぇだろ」 「何で・・・」 神威が目を見開く。この男は、刺していない。 刺したのは神威だ。 何故、罪を被る。金が欲しかったのか。 「金が欲しかったでいいだろ、そうしとけ」 多分、この男は金なんか欲しいわけじゃない。 主人の金を出したのは神威の為だ。 でも、そうしろと男は云う。 「どうせ、長居するつもりもなかったから、丁度いいや」 男の名前は高杉と云った。 高杉晋助。 「今後俺達は一切他人だ、何処であっても声はかけねぇ、知らんふりだ、わかったな」 わけもわからず頷く。 そして道で分かれた。 高杉は十九、神威は十の時だった。 * そして神威は裏の社会に身を潜めた。 一度殺せば一人も二人も同じことだ。 そしてその才能があると、大陸から来たという寺の師匠に云われた。 人殺しの才能だ。 成程、確かに己はその才があった。 そのお蔭で神威は今生きている。 もう、十七になった。 高杉も生きていれば二十六の頃合いだろう。 もう会うことは無い。 けれども確かに神威を救った男だ。 高杉が居なければ神威は今頃死んでいた。とっくに磔にされて殺されていた。 殺されていた筈の餓鬼が、殺しの仕事で生きている。 「谷蔵乃介?」 次の標的だと云われた男だ。 大店の桔梗屋の主人だという男。 いつも通りの仕事だ。 どうせ依頼を拒否することは神威には出来ない。 依頼を断れば神威は裏切り者として追われる。 頼まれた相手は誰でも殺す。 そういうものだ。 だからいつも通り、相手の顔を調べて、それから殺す方法を考える。 その為に街に出て、吉原から戻るその男の顔を見た時に、神威は慄えた。 「ああ・・・全く・・・」 こんなところで出遭うなんて。 崩れ落ちそうになる。 涙なんて出ないのに、多分俺は今泣きそうだ。 「他人なんて・・・」 一切他人だと、あんたは云った。 俺とあんたは他人で、十の餓鬼の殺しをあんたは引き受けた。 そして名を変え、あんたは谷蔵乃介になった。 擦れ違い様にその腕を掴む。 高杉晋助の腕を掴む。 「俺はさ、あんたと出遭う運命だった。あんたは俺を生かした、だから今度は俺の番だ」 流転する。 あんたが俺を助けて、別れてまた出遭って、そして今度はあんたを殺す依頼が来る。 人生なんてこんなもんだ。 ロクなもんじゃない。最初から満ちてる奴なんざ少数で、其処から外れた奴なんて惨めなもんだ。 最初から何もかもある奴と、最初から何もかも持ってない奴。 それだけだ。 だから、そんなもんだから、俺はとっておきの仕返しをしてやった。 「俺はあんたを連れて何処までも往くよ」 驚きに満ちた男の顔を見遣って、笑う。 多分、生まれて初めて、笑った。 驚いた男の手を引いて神威は走り出す。 06:時は満ちる |
お題「流転」 |
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