月の下が似合う男だと思った。
「月見酒ってやつ?」
神威が顔を出せば高杉は甲板に居ると云われ、気ままに散歩と洒落込みながら高杉の元へと神威は悠然と降り立った。
太陽系第三惑星の海は穏やかで静かだ。
「そんな気分だ」
旗艦の上から突然降りてきた神威に驚くことなく高杉は神威に答える。
高杉が酒を手酌で注ぐので神威が瓶を持ち注いでやった。並々と注げば高杉も気を良くしたのか、猪口に入った透明な酒を呑み干す。
飲み干して空になった猪口を今度は神威に渡してくる。神威はそれを受け取り、高杉の注いだ酒を矢張り飲み干した。
儀式のようなそれ。互いに酒を酌み交わす時、最初の一杯は余計なことを話さないのが暗黙のルールになりつつある。
酒を酌み交わした後、神威は月を見上げた。
「今夜は満月?」
「ああ、兎でも跳ねそうだ」
空には雲一つ無く、頭上の月が煌々と照っている。
月明かりの下でも高杉の顔がよく見えた。
「それって地球の逸話ってやつ?」
地球では月には蟹がいるだとか、兎が餅を搗いているだとか、色々あるらしい。
夜兎とはよく云ったもので、確かに夜兎には月が付き物であったが、別に餅は搗いていない。搗くとしたら年の初めくらいである。
「そうだ」
高杉が機嫌良く神威を兎と称するので莫迦にされているようだが、高杉の機嫌が良いので悪い気はしない。
それに月を見て神威を思い出すというのなら尚の事、悪い気はしなかった。
「他に月にはどんな話があるの?」
「そうだな、竹から生まれた姫君が、美しく育ち多くに求婚され、帝にまで求婚されるが月からの迎えが来て帰るってぇ話もあったか」
今にして思えば天人が居やがるんだから実話だったのかもな、と高杉が酒を呑みながら云う。
「姫が帰って、それで帝はどうしたの?」
「てめぇは月まで行けねぇから使者を打ち落とそうと天に弓を引いたが駄目だった、姫から不死の妙薬ってぇのを貰ったらしいが、絶望のあまり死んだとか、その薬を山へ棄てたとかそんな話だったな」
ぽつりぽつりと夜の合間にこうして高杉から話を聴くのが神威は好きだ。
静かな聲で神威の知らないことを高杉は話す。大抵は神威に理解できないことだ。夜兎と人は違う。高杉の話す多くは神威が理解するのは難しい。
それでも、なんとなく神威はその時間を好んでいた。
「人と天人か・・・」
神威と高杉とて、夜兎と人だ。
別の生き物。それが実話だとして、遥か昔に在ったことだというのなら尚の事どうしようもない。
( この男と俺は違う・・・ )
高杉は人で、侍で、死に場所を捜している。
過去に多くを失って獣に成った男だ。
正気と狂気の狭間で、神威と別の地獄に立っている。
神威は良い。夜兎とは地獄に生まれる生き物だ。そういう種だ。
殺し、壊す。ただ破壊する生物だ。常に飢え渇き、何かを求め果てに死ぬ、そういう種族だ。
けれども高杉は違う。
神威とは別の地獄に居る。
( 人間のくせに、地獄に居るんだ・・・ )
それがいつも神威には歯痒かった。

( いつか高杉は死ぬ・・・ )
神威の手の届かぬ場所で死ぬ。
そしてそれこそ高杉が望むことだと神威は本能的に理解していた。
それを想うと神威は叫びそうになる。
眼の前のこの男を己の腕の中に捉え、何処にも出さなければ良いのか。
何も見せず、何も聞かせず、囲い閉じ込め己だけのものにすれば何処へも行かないのか。
或いはいっそのこと神威が今、高杉を殺すべきなのか。
その血肉を食らって永遠にこの男を己のものにすれば満たされるのか。
( こんなの知らない )
こんな感情を神威は知らない。
知る筈も無い。
戦うことしか知らなかった。
遊びだった。何もかも遊びだった筈だ。
なのにどうだろう?今、この男を前に、たかが地球種の男一人を前に神威はその帝とやらが感じた絶望を感じそうになる。
何もかも、初めてだ。初めてのことだ。
( こんなの初めてだ・・・ )
これを何と云うのか。
この感情を何と云うのか。
この絶望をどうすればいいのか。

「姫はなんで不死の薬なんか帝に渡したんだろう?」
「さあな・・・」
高杉が目を伏せ、月を見上げ、云う。
自分では決してそうしないくせに。
( 貴方は、きっと不死の薬を棄てるのだ )
同じ立場であればそうする癖に。
( 残酷なことを、云う・・・ )
( ほら、 )

「いつか会えるように生きていて欲しかったからじゃねぇか」

( 自分では決して選択しないことを云うんだ )
姫が渡した不死の薬を帝が棄てたように、高杉もいつか神威を置いて逝くのだろう。
その時、己はどうするのだろう?そう神威は想う。
高杉の注ぐ酒を口に運びながら、月下に照らされるこの至高の男を眼に入れる。

( なら、俺が決めてやる )

いつか己の地獄で死にたい、死にたがりの男。
神威の地獄では共に生きては呉れぬ酷い男。
憎悪と悲哀の中で叫ぶ獣の振りをする人間。
もし高杉が奪われることになったら、神威は必ず天に弓を引くであろう。
人の振りをした獣が誓う。
それこそが夜兎、それこそが神威なのだ。
この男が奪われるのなら、必ず神威は不死の薬を高杉に与えよう。
不死の薬など眉唾物の伝説だ。けれども必ずそうしよう。
天がこの男を奪うというのなら己は天に弓を引く。

( 俺は天に弓引く鬼になる、アンタの為なら天をも滅ぼしてやろう )

口にした酒は何処か甘い。
想えば想うほどその考えは悪く無い気がして、神威はそっと微笑みながら月明かりの下、気高く佇む男を見つめた。


20:天に弓引く傲慢

お題「月下美人」

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