つくづく高杉には悪癖がある。
不見転(みずてん)だ。酔ったり酷く陰鬱な気分に陥る時に高杉は誰彼かまわず誘う悪癖がある。
それに呑まれる相手も多いだけに神威は些か高杉のその悪癖に辟易していた。
今日も、だ。高杉は何処ぞで誰かを誘いかけてそれを咄嗟に神威が回収した。
放っておいても高杉に忠実で優秀な部下や協力者達がそれを救ったり或いは揉み消したりはしているのだろうが、神威と関係を持った以上高杉のその悪い癖は神威からすれば手を焼くものだ。
常に一緒にいるわけでは無いので尚の事だが、この男と長く付き合えば付き合うほどそういった駄目な部分が目につく。
今も酷く酔っている癖に本当は内面は素面であると既に神威は見ぬいている。要するに全てが遊びなのだ。
失った何かを補うための何かの振り、忘れようとして、その背後に迫る何かを視ない振りをする為に高杉はこうして不見転になって何も見ないようにまるで白痴の振りをする。
本当は酔いもしないのだ。ただ虚しさを遣り過ごす為にこの男は酒を煽る。少しでも付き合いがある者は直ぐにそれがわかる。それが高杉の甘えなのかどうなのかは神威には判断が付きかねたがこの男がそういった一面を己に見せるようになっただけ或いは互いの親密度は増したとも捉えられるかもしれない。
こうして高杉は神威に凭れ掛かり意味不明のことを呟いて、そしてまだ飲むと云うその無様を見せる。
「ほら高杉、ちゃんと立ってよ、じゃないと俺あんたを担いで船に行くよ」
いいの?と神威が問えば高杉は矢張り不明瞭な言葉を云うばかりで会話にならない。
止む無くこのまま本気で春雨の旗艦に連れて帰ろうかとさえ神威は思う。次は少し遠い星系まで足を延ばすのでそうなると月が二週するまで高杉とは会えないのだ。ならば連れ帰るのも一興かと思ったが実際はそれを実行しても途中で高杉の鬼兵隊に補足されるのがオチだ。今のところ鬼兵隊とドンパチをするつもりは無いので短い逃避行に終わるのもわかっている。
「ねぇ、本当に連れてっちゃうよ」
冗談めかしに神威が問えば高杉は突然哂い出しそれから「水」と呟いたので仕方無しに宿の軒先にある水桶に連れていってやれば高杉は柄杓を掬って頭から水を被りごくごくと水を飲み始める。
頭から水を滴らせ黒い髪が一層濡れ羽のように行燈の光で艶めいていけない。
胡乱な眼の中に鋭い光を見付け神威はどきりとした。
( これだ・・・ )
駄目な振りをしてもこの男は鋭い。まるで何も出来ないような白痴を演じるくせに次の瞬間には直ぐにでもその抜身の刃を揮うことが出来るのだ。この狂気こそが高杉の持つ独特の光である。
暗闇の中、凛と立つ孤独な魂が堪らなく神威を揺さぶる。
一度完膚なきまでに地に墜ち汚濁に塗れた癖にその魂は未だに折れることなくいっそ清廉ですらある。
この男のそのアンバランスさに、或いは本質に合わぬ正気と狂気の間にあるものに神威は惹かれて止まない。
堪えきれず神威は高杉を引き寄せ押し倒した。
軒先から廊下へその身体を引き倒して跨り口付ける。
激しく舌を絡めその固い胸を揉みしだくように弄り衝動のままに高杉を犯そうとすれば高杉に殴られた。

「なんだ、もう正気になっちゃった?」
神威が笑顔で問えば高杉は不機嫌そうに身を起こすので神威も身体を退けるとどうにか立ち上がろうとするので手伝ってやる。
「煙管がねぇ」
不機嫌そうに云うので神威が煙草入れから取り出してやる。先程高杉を拾った時に床に落ちていたものを持ってきたのだ。
「部屋に帰るぞ」
「あそこは高杉が酒浸しにしちゃったから今は無理だよ」
掃除中、と神威が云えば高杉が舌打ちをして手近な部屋に入った。
勝手知ったるとはいえ些か高杉のそれは度を過ぎているがこの宿も攘夷志士の息のかかった場所だ、その程度の我儘は許されるという事だろうか。
「高杉は本当にその悪癖を治した方がいいンじゃない?」
部屋の襖を閉め神威が云えば高杉は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「そういうてめぇはどうなんだよ」
高杉の問いは最もだ。神威は意味深に目を細め誘うように笑みを浮かべた。
宿に来てから直ぐ高杉の居室に向かったので未だマントを羽織ったままなのでそれを畳に脱ぎ捨てる。

勿論、夜兎にも悪癖はある。
それが悪かどうか神威にはわかりかねるが種族的傾向というものはある。
悪食なのだ。
食物的に摂取する意味でも戦闘の意味でも二重の悪食。
敵を求めて戦場を流離い星ごと滅ぼして仕舞うような種族だ。
宇宙最強の種族のひとつである夜兎はその闘争本能の強さ故に同族殺しを厭わない。
その為に滅亡の危機に瀕しているような愚かな種族ではあるが神威はそれが悪いとは思わない。
元々夜兎として生まれたのだ、他に生き方など選び様も無い。
相手を滅ぼすまで戦って、戦って、殺し続けてこその夜兎だ。
神威が答えずにいると高杉はもう一度問うてきた。
「てめぇの悪癖はなンだよ、宛ら悪食か?」
高杉が哂いながら云うので神威は笑みを浮かべ、肯定した。それから「もう一つ」と言葉を足し。
「もう一つ?何だよ、云ってみろ」
興味を惹かれたのか高杉が神威を視る。
高杉の手を取り口付けながら神威はうっそりと哂った。

「秘密」

高杉には教えてやらない。
今はまだ。
けれども確かに己に悪癖はある。
夜兎特有のそれなのか、神威だけにあるものなのか、これは確実に悪癖だろう。
以前阿伏兎にぼやかれたことがあるのでお墨付きだ。
神威は一度欲すれば何処までも欲しがる。乾いた夜兎故の渇望。
血に刻まれた本能の衝動、欲すれば最後何処までも貪欲にそれが欲しくなる。
それが手に入らないものであればあるほど神威を熱くする。
そして神威は見付けて仕舞った。
その一つを。
高杉だ。
あの時春雨で己を斬りそして救った男。
あの時の戦慄を未だに神威は忘れたことは無い。
これだ。この男だ。
これだけが、己は欲しい。
高杉はやっと神威が見付けた唯一つだ。

「そのうちね」

神威は笑みを絶やさず己の髪を口元へと寄せた。
戦場からそのまま来たので血と硝煙の匂いが染み着いている。
そして高杉を視る。
濡れ羽の髪を持つ美貌の男。
この男は手に入らない。
何故なら過去に生きているからだ。
いつまでも過去の為に生き、過去に死にたがっている酷い男。
神威を、この神威を見もしない酷い男だ。
正気と狂気を併せ持つ最後の侍の一人。
これは永遠に手に入らない。
神威には手に入れることができない。

( だが、俺はこれが欲しい )

どうしても欲しい。
何もかも全てを失ってでも、この男が、欲しい。

( 俺のものにする)

「そのうち教えてあげる」

今はまだ待ってあげる。
そうして甘やかして油断して、少しでも隙を見せれば神威は奪いにかかるだろう。
全力で、それがどのような結果をもたらしたとしても過程は問題では無い。
己が高杉を手にする、それが一番大事なのだ。
だから油断せず、大事に、大事に、この男に接する。
壊さないように、殺さないように。
( もしこの男を手に入れたら、この男はどうするだろう )
( 不見転になる振りをするのか、或いは抜身の刃で怒り狂うのか )
( どちらも一興 )
蕩けるような笑みを浮かべながら、神威はその秘密を胸の内に仕舞いこんだ。


13:果たしてどちらが狂気か

お題「悪癖」

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