高杉と夜を過ごしてから神威は様々なことを学習した。
何せ殆どの逢瀬は神威の旗艦より高杉の鬼兵隊側のことが多い。主に神威が隙を見付けては高杉旗艦や地球へ訪れるからだが、最初こそ警戒されたものの、もう既にそんな行き来が数ヶ月も続けば慣れたものでこうして第七師団の団長である神威が鬼兵隊をうろうろすることを誰も咎めなくなった。勿論それまでも高杉の手前咎められることは一度も無かったのだがなんとなく神威に対しての空気や視線が和らいだものになったように感じるのだ。勿論夜兎とてその手の警戒には慣れている。何処へ行っても大抵警戒される種族であるが故にこうして互いに慣れてきてもいつどちらかが牙を剥くかわからないと身体や本能に染み着いているが故に最低限の警戒は怠らないがそれはお互い様だろう。兎に角互いがこうして少しづつ慣れてきたのは確かである。
だからこそ神威は高杉の習慣にも徐々に慣れていった。
相手の文化のことなどこれまで微塵も気に掛けたことが無い。そもそも神威にその発想が無い。子供の頃夜王鳳仙に師事していた時に散々叱られたので最低限の礼は学習したがそれまでである。最もそのあたりは鳳仙の教育の賜物ではあったのだが、それはさておき神威は初めてこの年になって自発的に学習をした。
勿論高杉の習慣を、だ。
地球種の侍である高杉の肉体は脆弱だ。神威の目線からすると直ぐ壊れて仕舞うので壊して仕舞わないか常に気を張っておかないといけない。神威はいつも高杉に対してだけは注意深くなる。なるべく冷静に獣のように距離を測って接する。
高杉はニンゲンで神威は夜兎なのだ。壊さないように、壊さないように大事に、神威が生まれて初めて丁重に扱っている唯一の人間が高杉晋助その人なのである。



裸だと具合が悪い。盥に夜半に張った湯はすっかり冷えて水になっている。神威は畳に投げ出した己の衣服を羽織り盥を持って部屋を出た。
朝だ。時間にすると八時くらい。この艦の人間は早起きなので廊下に出れば直ぐ人の気配がある。
盥を持った神威に気付いたのか高杉の身辺を常に世話をしている男が寄ってきた。
「おはようございます、盥を受け取りましょう」
お疲れ様です。と云われて何がお疲れ様なのかはイマイチ神威には理解できないが「お疲れ様」と返して手にした盥を渡す。
渡せば直ぐ脇の給湯室で盥の残り湯を流し程良い冷たさの水を新たに注がれる。それを傍付きの者が迷いなく神威に渡した。
新しい手拭い付きで、だ。
「まだお休みですか?朝食はどうしましょう?」
「ああ、うん、今日は昼前から用があるって云ってたから起こすよ、食事も直ぐ食べると思う」
そう伝えれば男は頷きその場を後にする。食事の手配に食堂へ向かったのだろう。
神威はそれを見送りいつものように盥を手に再び部屋へ戻る。
静かにドアを開ければ高杉が暗がりで僅かに動いた。
「起きた?」
神威の問いに応えず高杉は無言で枕元にある煙草盆を引き寄せる。
神威は部屋の明かりを朝用の照明に替えてから部屋にあがった。
ついでに銚子が倒れそうだったので神威がやんわりとそれを立て直す。それから脇に盥を置き高杉の羽織を乱雑に乱れた敷布の中から探し寝起きでもそもそと動いている高杉の肩にかける。作法に倣ってきちんと神威は正座をして高杉に顔を洗うよう促した。
「早ぇな」
「そう?高杉だってあまり寝てないヨ、俺はあんたを待ってる間に寝るし」
「そうかい」
高杉が盥に手を入れ澄んだ水で顔を洗う。昨夜の後始末は一通りしているので身体は綺麗なものだ。
乱れ方が酷い時は朝湯もするのだが今日はその必要は無い。
顔を洗った高杉に神威が手拭いを渡せば高杉がそれで顔を拭いた。
神威もそれに倣ってさっさと顔を洗う。それからおざなりに先程高杉が顔を拭った手拭いで顔を拭き、高杉の眼の為の新しい包帯を慣れた手付きで棚から取出し高杉に手渡す。
高杉が渡された包帯を無言で受け取り顔に巻くのを手伝ってやり、ある程度巻けたら後は高杉に任せて乱れた敷布をとりあえず畳み部屋の脇に寄せた。未だ裸のままの高杉の為に衣装箱から着物を取り出してやり、その中から高杉の好む色を神威の気分で選ぶ。
帯と着物の取り合わせについては時々あまりにも奇抜なものを選ぶらしく未だ叱られることがあったが神威はこの選ぶ作業が嫌いでは無い。己の選んだものを高杉が身にまとうというのは中々に気分が良いことだった。
( 今日はこれ )
選んだのは江戸小紋の縞の着物にそれに見合うような帯を選んで取り出した。
いつもの派手な柄の着物も好きだが偶にはシックなのもいいだろう。様々な帯の中からひとつを選んで神威は衣装箱の蓋を閉じた。
高杉を飾るのは神威にとって楽しいことだ。
その頃には高杉も包帯を巻き終り下着を正して神威が選んだ着物を何も云わず着付ける。
けれども神威が帯を差し出したところで高杉は眼を少し開いた。
「駄目?」
選んだのは赤の帯だ。黒地なので派手な色がいいと思い選んだ。血の赤だ。神威はにこにこと高杉に帯を促した。
結局高杉は煙管から煙を燻らせ、それから何も云わずに帯を締める。丁度そのタイミングで部屋のドアが開けられた。
朝食である。高杉は艦に居る時は食事は自室で摂る。神威と違って他の隊員が常駐する食堂には赴かない。だから傍付きのものが頃合いを見計らって高杉の部屋に運んでくるのだ。
膳が並べられ神威の分はより多いものが前に置かれる。神威の櫃だけは別なのだからつくづく地球種というのは気遣いが細かいと神威は毎度感心させられるが己の為に用意されたのだから遠慮なく頂くことにしている。
大して高杉の方はあまり箸は進めない。元々朝はあまり食べないのだそうだ。筋力が衰えない程度にはしているらしいが、高杉は事朝には弱い。弱い癖にきちんと起きるのだから神威からすればそれもまた不思議なのだが、こうして早起きすると美味い朝食が食べられるのだから悪くないとも思っている。

一頻り食べ終わって、高杉が僅かに膳を食し後は専ら煙管を吹かせると神威が立ち上がり傍らに用意された湯で茶を淹れるのが習慣だ。これも最初の頃はまずいと云われたものだが、最近では傍付きの男に習って漸く罵られることも無くなった。その茶を自分の分と高杉の分用意して一服すれば、時間である。神威が高杉に対してやっていることは傍付きの男や小姓と何ら変わりがない。どう云い繕っても下男がいいところだ。けれども神威は積極的にそれをした。高杉を知りたいからだ。この男がどのように生活をしてどんなものを好むのか、どういった物の見方をして何を考えているのか、呼吸や視線、その全てを知りたいから神威は自発的に高杉の世話を買って出る。それにちゃんと知っておかないとふとした拍子に己の不注意で高杉を死なせてしまうかもしれない。妹が兎を殺したように。
だから神威は高杉に関しては酷く慎重なのだ。銀河系最大のシンジケート、宇宙海賊春雨の雷槍、第七師団団長である神威が此処まで尽くすのは高杉のみである。故に高杉の周りの者が神威を些か堂の入った稚児だの小姓だのと勘違いするのだ。当の神威はどう云われようと気にもしていない。何せその構図だと稚児が主人を襲っているのだから別段気にもならないだろう。そして高杉はその件に関しては沈黙を保ったままだ。故に周囲の盛大な勘違いが進んでいるのだが本人達は居たってマイペースに互いの関係を築きつつあった。

「夕刻には戻らぁ」
「ウン、じゃ、俺寝てるヨ、夜は?」
暗に夜は滞在できるのかと問えば高杉は僅かに頷き「好きにしろ」と云うので今夜も滞在決定である。阿伏兎にそろそろ連絡しなければどやされるな、と思いながらも神威は高杉を見送った。

一方、部屋から出てきた高杉に、ぎょっとしたのは傍付きの男である。
食事を運んだ際に気付いてはいたが敢えて問わなかった。
てっきり直すと思っていたからだ。
「その帯は・・・」
赤い帯を指しながら思わず問うてしまう。
縞の着物だと取り合わせは大抵柄入りだが色は地味なものを合わせることが多いのだ。粋を意識するにしても翡翠や藍が多い。赤など聴いたことが無い。いくら普段が奇抜な格好をする我らが旗頭であろうとTPOは弁えている。ましてこの後の会合は比較的固いものだ。モノこそ悪くは無いが取り合わせ的には通常選ばない。
「新しい物を用意しましょうか?」
恐る恐る問うてみる。元々衣服に凝る時は口煩い高杉である。この取り合わせに何も思うことが無いということは有り得ない。長年傍付きをしているからわかることだ。新しいものをと部屋に戻ろうとする男を制し高杉は珍しく機嫌が良さそうな聲で云った。
「これでいい」
ああも真剣に選ばれると無碍には出来まい。
何、初めの頃に比べれば随分出来が良く成った。
悪くない、高杉からすれば直線的で単純な思考をする種族の神威は莫迦につきるがその莫迦が莫迦なりに、甲斐甲斐しく高杉の為に何かをしようという様に何も思わないわけではない。
仄かに甘い、熱っぽい、むず痒いような感覚に高杉は僅かに笑みを浮かべ歩き出した。


「今日は、これでいい」


08:彼の機嫌、その理由。

お題「背伸び」

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