好きなわけでは無い。
好きなわけでは無いが、高杉は特定の店の菓子を時々食すことがある。
元々好き嫌いが激しい高杉だ。基本的に口を出しているつもりは無いが、大抵口にするものや身の周りのものは店が決まっている。
勿論攘夷戦争時代にそんなことが云えた筈も無いから、そういったことは攘夷戦争以前か、こうしてテロリストに身を窶しても資金が安定してきたここ数年のことであるが、いつの間にか高杉の傍付きの誰かが高杉の好みを把握し、言葉に出さない高杉の仕草や態度、もしくは時々不意に口にしたようなことを覚えて、それらの情報から推測して集めたものだ。
高杉があれこれ云うわけでは無いが、そういった気遣いができる部下を持つというのも貴重である。最も高杉のまわりはそういった熱心な者が多いのも事実だ。
だから、その菓子の件もそういった習慣からだった。
ごく稀に高杉が口にする甘味である。
高杉がそういったものを常に食べるわけでは無いので、殆どは口にしないがそれでも誰かが駄目になる前に下げてまた新しい物を補充する。これも偏食がちな高杉が食したい時にいつでも食べられるようにという配慮であった。
そうして偶に食べたくなると高杉は戸棚を開ける。それも一人の時が多かった。
饅頭である。
老舗の饅頭は昔ながらの味だ。素朴だが餡が良い。よく練り濾された餡は求肥の柔らかさと程よく合っていて、高杉の所の若い衆ならばいくらでも入りそうな美味だ。然程大きくないのも高杉の眼にかなった。これが悪食の甘党腐れ縁であれば大きさに文句を零しそうだが、こういうものは沢山食べるより少しを味わう方が良い。
時々その味が食べたくなって、濃く出した緑茶と共に食すのが専ら高杉の気に入りの食べ方だ。
それを見越して傍付きの者があらかじめ棚に用意しておくのだが、その棚の中身が最近空だというのだ。
そしてその時期は見事にあのクソガキがこの船に足蹴く通う様になってからである。
一度奴の前で出してやったのが失敗だったか手癖の悪さかあのクソガキは勝手に棚を漁って饅頭を食しているのだった。
高杉が居ても居なくても出入りを自由にさせているから余計性質が悪いが、饅頭一つで出禁にするのも煩わしい。
だが納得はいかない。
「ヤロウ・・・」
今月に入って五回目だ。別段食べたいわけではないが食べようと思った時に無いのも腹が立つ。
しかしこの程度の事で叱ってもまた後味が悪い。それではまるで自分が食べたいようではないか。
否、実際は食べたいから棚を開けたわけだが、いつもなら五つほど懐紙に包まれた饅頭が詰まれているがそれが無い。
これを傍付きのものに云えば直ぐ様新しい物を買い求めて来るだろうが、饅頭如きで使いに出すともなれば益々己がそれを食べたいようで腹が立つ。食べたいわけではないのだ。少し口寂しいし、煙草の苦味が胃に来たのでちょっと甘味で緩和しようかと思っただけで、特別その饅頭を食したいわけではない。わけでは無いがこうも続くと怒りの遣り場が無い。
しかしこの程度で怒りを覚えると思われても癪である。
とどのつまり高杉は饅頭を食したいが食したいわけではないと云いたい、神威を張り倒したいが饅頭如きで叱るのも面目が立たぬ。
八方塞がりな感情に振り回され、理不尽に懊悩するのも莫迦らしい。
つまり莫迦莫迦しいのだ。しかし何か仕返しはしてやりたい。
その葛藤が高杉の米神を引き攣らせ結果、高杉はその菓子屋の職人を呼び寄せるように傍付きの者に云った。

呼ばれた方は戦々恐々である。お得意様の中でも上客にあたる人物が呼んでいるというのだ。
何か手違いがあったのかと恐れ戦きながら呼ばれた料亭に向かえば、顔を見せないが、大層身分があるような御仁が居るではないか。
普段口にすることがないような上等の酒と料理を出されたがそれも上手く喉が通らない。
料理の終わりに、職人はどうにか疑問を口にした。
「それであっしは何をすればいいんで・・・?」
その言葉を待っていたかのように御仁は言い放った。
饅頭を作れと。
特注である。
「しかし・・・それは・・・」
「ネズミ用だ、中に唐辛子でも詰めとけ、死ぬ程辛いやつ」
云い放たれた方は仰天する。けれども眼の前の御仁は上得意である。鼠用と云われれば仕方ない。
御仁は不機嫌そうに云うので、どうも最近鼠が御仁用に買った饅頭を食べるのだということをどうにか職人は悟り、云われるままに死ぬ程辛いという配合の饅頭をこさえた。

後日。
神威が来訪した。高杉の傍付きのものが神威に出した菓子は今日は煎餅である。よく炙られ少し焦げた醤油の香りとぱりっとした食感がなんとも云えない上等の煎餅だ。それを夕飯までの繋ぎとして神威は食しながら突然思い出したように云った。
「そーいえばさ、このあいだ食べたの味が変だったよ、あれ食べなくて正解だよ、高杉」
「何だよ」
「だから、あれ、あの饅頭、いつも食べてるじゃん俺」
そうか、矢張りお前が犯人かと高杉は腹に力が入るが、意も介していない風を装う。
この程度で腹を立てるのも莫迦らしい。しかし今こいつはそれを喰ったと云わなかったか?思わず高杉は問い返した。
「あれぇ、喰ったのか?」
「ウン」
さらりと食べたという神威に高杉は僅かに目を見開いた。
あれは特注の唐辛子饅頭である。激辛で一度食べたら唇が鱈子になって一週間は寝込む程度には劇薬の筈だ。それを食べたと云わなかったか、この餓鬼は・・・。
「何とも無かったのか?」
「ちょっとお腹がごろごろしたくらいかな?アレ何?」
あれを食して腹を下す程度で済むなど考え難い。納品した職人が慄えていたほどなのだ。
けれども其処は夜兎である。
駄目だったか、と高杉は内心息を吐いた。畜生、もっと仕込めば良かった。
思えばこのクソガキは象が一瞬で混濁するような毒薬をうけても殆どダメージが無いのだ。
チッ、しくじったな、と高杉は舌打ちをしてから、にこにこと笑顔を向ける餓鬼に苦々しく言葉を返す。
「・・・ピンク色の鼠が出るんでな・・・」
「へー、ピンクのネズミなんているんだね」
ピンク色のネズミだ。宇宙産のとびきり凶暴な種の。
けれども真実を告げるのも莫迦らしい。腹を立てるのも莫迦らしい。莫迦らしいので高杉は黙るしかない。黙るしかないが、せめてもの意趣返しに神威に差し出した茶をとびきり熱くしてやった。


03:てめぇだよ

お題「饅頭」

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