※夜兎に関して模造設定などがあります。 その日、神威と高杉は地球に降りていた。 初夏の兆しが見えるような季節だ。夜兎である神威にとって酷な環境であったが、それでも厳重に包帯を巻き高杉の後に続いた。 出歩くのは夜だと思っていたが意外なことに高杉は昼間でも平気で歩く。 真選組とかいう警備組織が高杉を狙っているというのに当の本人は呑気なものだ。 高杉の余裕が何処から来るのか、警備組織側にも根を張っているのか、それとも見つかっても逃げられるからか、或いは背後に番犬代わりの神威が居るからか、高杉がどういうつもりの腹なのか神威は計りかねている。 ( 俺はまだまだ、浅い浅い・・・ ) 要するに神威の薄っぺらい思考など高杉にはとっくにお見通しなのだろう。 ある呉服屋に連れられて、反物を注文しながらも高杉は巧妙に色んな指示を端々で高杉の味方をする者達に出していた。 神威の衣服を仕立てるなんて適当な建前だ。 暇だったので地球に降りる高杉に付き合うと云ったのは確かに神威であったが、これでは体の良いカムフラージュ、でなければ高杉の下男の扱いである。けれども高杉の暗躍があまりにも見事なので神威はこの男はこういった特殊な能力があるから生き残れたのだろうと推測した。攘夷だかなんだか神威にはよくわからないがとにかくこの星の状態を左右するような戦争があったのは確かだ。高杉は反対派に属していて只管天人と戦い続けた。叶うのならその時代の高杉に戦場で会ってみたいものだが、それは叶わないことなので今の高杉で満足するように神威は努めている。高杉は謀略に長けた男だ。 そして人に好かれる。一度高杉に惹かれれば皆高杉に全てを捧げる。暗闇の中にある一筋の光が高杉だ。 高杉を識って仕舞えばそれだけが唯一の導のように高杉に手を伸ばさずにはいられない。 ( なら俺もその人心掌握の術中に嵌ったとか・・・ ) そう思わないでも無い。 現に今だって神威は高杉を知る為にわざわざ気候の合わない地球の昼にこんな場所に居るではないか。 あまりに高杉が真剣に話し込みすぎて放っておかれた神威は正直内心少し不貞腐れている。 不貞腐れているので徐に外を見遣った。 神威の視界では外の世界は眩しい。本来ならいくら夜兎だと云っても慣らせば此処まで厳重にしなくても良い。細胞の若い神威は光に或る程度慣らせば夜王鳳仙のように体組織が一気に崩壊することは無い。精々火傷か裂傷程度だ。指先程度ならじりじりとした火傷の鈍痛はあるが別に気にならない。けれども神威は己の肉体を光に慣れさせるのに抵抗があった。此処に居ると云うかつての妹はそうでは無いようだったが、神威の経験則として光に慣らせば確かに耐性は付くが、回復が遅れるのだ。傷ついた時の肉体の再生が光に慣れれば慣れるほど遅くなる。それに身体を慣らしたところで所詮は夜兎だ。結局、陽の光は神威の身体を焼く。だから神威は必要以上に肌を日光に晒さない。それが夜兎として当然の選択だった。 だからこの室内でも外を見ようと思えばゴーグルが必要だ。でないと外は眩しくてちかちかする。裸眼でも見えるには見えたが夜目に強い夜兎にはこの真昼の光景は少々刺激が強すぎた。 ゴーグル越しに外を見れば道の往来を親子連れが歩いている。そういえば幼い頃は妹もこんなだったかと神威はぼんやり思った。 その子供が楽しそうに聲をあげながら走っていた矢先に倒れた。 何かに躓いたようにこけたのだ。そしてけたたましい子供の鳴き声が辺りに響く。 ( 何だ・・・? ) すると親が慌てて駆け付けてきて子供の身体を起こしてそれから足を確認した。 ( 靴の紐が切れたのか・・・ ) 正しくは下駄の鼻緒だが履く習慣の無い神威にはそのあたりのことはわからない。 どうするのだろうと興味深く神威が見ていれば、親が手拭いを割いて紐を結い、それを穴に差し込んで再び固定した。一見コツが入りそうな動作であったが退屈だったので神威はそれを注意深く観察する。 高杉の星の文化は神威達とは違いすぎていて時々面白く思う。 どの星にもそういった文化の違いはあったが開国してまだ短い歴史しかないこの星は文化の特異性が際立っていて天人に人気の観光スポットなのも頷けた。 ( 直った・・・ ) あっという間に親が子供の靴を直してまた子供が駆け出す。あまり遠くへ走るなよと楽しそうに弾む聲が聴こえたところで高杉が神威を呼んだ。 「じゃあ、これで頼む」 へい、と頭を下げる店の主人は高杉と付き合いが長いらしい。 聴けば高杉は良いところの出身だそうだから元々顔が広いのだろう。 「決まったの?」 店の柱に凭れ掛かっていた神威が座っていた高杉の傍に寄れば高杉が頷いた。 「噫、仕上がったらお前の艦に届けさせる」 つまり、高杉の何らかの武器の商談は終わったということだ。 煙管煙草を取り出して火を点け高杉は煙を燻らせる。一見こうした何でも無い場所が取引の現場なんて誰も思わないだろう。 全く高杉晋助と云う男は一筋縄ではいかない。 煙が途切れたところで高杉は灰を灰入れに捨て立ち上がり神威を軒先に促した。 「疲れたか?いい茶屋があるから何か食わせてやる」 「それは楽しみだな」 暖簾を潜って云われた言葉に思わず、本当?と食いつきそうになる己の子供っぽさを隠して神威は高杉の後に続く。 生温い風に包帯がなびいて少し鬱陶しかった。慣れてはいるがいい加減包帯を解いて新鮮な空気を吸いたい。 まだ辺りは明るい。ちょうど小腹が空いた頃合いだった。 「食べた食べたー!」 「帰るぞ」 食わせてやるという高杉の言葉通り文字通り腹一杯になって外に出れば空は夕陽が沈みかけていて夜の帳が下りてくるような闇色から橙のグラデーションに染まっている。高杉に案内された茶屋で存分に食事を揮って貰いデザートの茶菓子まで平らげてから迎えの船が来るという港までの道を神威は機嫌良く歩く。 こういう穏やかさも悪くない。いつもは互いに時間の合間を埋めるように求めるのが多かった。特に最近は互いに忙しかったから尚の事。けれども今日は久しぶりに穏やかな時間を高杉と過ごせた。 いつも闘争しかないのに、不思議と神威は高杉との間にあるこの穏やかな時間を好んでいる。 それがどういった種類の感情なのかわからない。神威には理解できない。けれども神威はそれを大事だとも感じていた。 神威は高杉の後ろを歩く。傘を畳みゆっくりと歩む。 包帯は茶屋でとっくに外しているので少し温いが昼間より冷えた空気が心地良く肌を撫ぜた。 茶屋では高杉は始終窓を開け放した部屋で庭を眺めていたが、機嫌は良いらしくいつになくぽつぽつと神威の問いに答えてくれたのも神威の機嫌の良さの原因だ。 その高杉が不意に止まる。 「高杉?」 不思議に思って神威が前を見れば高杉が足元を眺めている。 そして舌打ちをして片方の下駄を持ち上げた。 「靴の紐、切れたの?」 「下駄の鼻緒ってぇんだ」 下駄の鼻緒が切れたのだと高杉は顔を顰める。 懐から手拭いを出したので神威は漸くそれが昼間見た親子の光景であったことを思い出した。 「いいよ、俺がやる」 「お前が?」 訝しげに、けれども少し面白そうに、神威を見遣る高杉から手拭いを受け取り神威は高杉の足元に屈んだ。 あの親子がしていたように布を割いて紐を造り下駄の様子を確認してから念入りにきつく結ぶ。 高杉の足先を置いてもらって長さを調節しながら神威はあの親が子供にしたように丁寧に高杉の下駄を直した。 記憶をなぞっただけなので見よう見真似ではあったがなんとかなるものである。 「直せるたぁ思わなかったが、案外器用なモンだな」 感心したように息を洩らす高杉に神威は笑みを浮かべた。 「昼間視たんだよ、親子がしてるの」 退屈だったから、と神威が言葉を足せば、高杉の手が神威の頭に伸びてきてぐりぐりと撫でられる。 「そりゃ退屈させて悪かったな、助かった」 助かったと、礼を漏らされて神威は少し意外そうに眼を見開いてから立ち上がった。 なんだか酷く擽ったい。胸の奥がざわざわとするような心地に神威は堪らなくなった。 「じゃあ、もう少し歩こうよ」 夜風が心地良い。このままもうちょっと歩いたって罰は当たるまい。 「散歩か?」 「ずっと閉じこもっていたからさァ」 「悪くねぇ」 いいだろう、と高杉に了承されて神威は一気に嬉しくなる。 「あっちに屋台出てる」 行こうよと神威が指させば高杉はくつくつと笑いながら神威が直した下駄をカラカラと鳴らし着いてきた。 この男との宵闇の散歩は気持ち良い。 空を見ればあれ程青く神威を苛んだ明るさは無く、夕陽は地平線の向こうに沈みかけ星がちかちかと幾つも光っていた。 港が近い、海の匂い。 その中を高杉と歩く。 「夕陽が沈んだよ」 「噫、」 「俺達の時間だ」 穏やかに、緩やかに。 暗闇の中を歩く。 時間も、年も生き方も種族でさえ何もかもが違うこの男と歩く。 それでも神威はこの男がいい。 夜風に撫でられながらゆっくりと歩くこの男の傍らで息をしたい。 殺したいほど狂おしく想いながらも懐かしい、かつてあった何かを思い起こさせるこの男にいつか追いつくように。 カラカラと音を立てる下駄の心地良い音色に、辺りに響く波の音に耳を澄ませながら神威はゆっくりとこの地獄を歩き始めた。 17:静かに緩やかに響く潮騒のアダージョ |
お題「潮騒」 |
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