※現代パラレル。AV男優高杉とAD神威。


バーはあまり好きでは無い。
稀に行くこともあるがごく稀にのことで大抵入っても個室がある場所であったし、目立つのは嫌いであった。見ず知らずの相手に話掛けられるなどうんざりする。故に職業とは裏腹に家呑みが好きだという非常に堅実な夜を送っていた。けれどもその日は打ち合わせがあって、不運なことに個室の空きが無く、止む無くカウンターの隅でひっそりと飲んでいたのだ。
打ち合わせも終わったのでそろそろ席を立つかと思っていた矢先のことだった。
「もしかしてタカスギさんですか?」
そう聲をかけてきたのは若いサラリーマン風の男である。
恐る恐るという風に、けれども羨望の眼差しを込めて向けられた視線に高杉は些か辟易としながら不機嫌さを隠そうともせずに煙草に火を点けそして煙を勢いよく吐き出しながら答えた。
「違います」
相手が何かを云う前に去るのが正しい行動である。
大通りに出て直ぐ様タクシーを捕まえ高杉はその場を後にした。



「高杉さん!おはようございます」
スタジオに入った高杉に聲をかけてきたのは慣れ親しんだスタッフの一人である。
業界に入ってから十年以上付き合いのある男だ。気兼ねなく付き合える男に軽く手を上げ高杉は渡された台本を手に上着を脱ぎ捨てた。
高杉晋助はAV男優である。
顔もオープンにしている男優で業界も長い。
巷では『歩く性兵器』の異名さえ持つほどの有名人なのだ。
勿論男優というからにはメインは女優である。世の男が有り余る精を解消するためのビデオに手を貸すのが高杉の仕事だ。
最初は顔映りも無しの端役だったが、初のメイン男優としてのデビュー作『ハニースタイルは流行らない』で業界に新たな旋風を巻き起こし一躍有名人になった。悪くない美貌に控えめな演出、そして女優との演技どれをとっても完璧と評されたそれは高杉をAV界の伝説とまで言わしめるまでになった。今日はそんな高杉の撮影日だ。芸能人ほどでは無いにせよAV業界では伝説的な高杉を前に皆緊張した面持ちで現場に向かっている。
今日の女優は新人だ。高杉の所属していたレーベルが親会社に統合されて新しいレーベルで売り出すことになった一作目は意外なことに高杉を全面に押し出した女性向けのビデオという触れ込みだった。今までは男性向けにAVを作ってきたが最近では女性が使うものもあるらしい。セックスの際にゴムを着けることが男性向けのAVと違い気遣いが見えて女性にウケるのだとか、高杉にはどうでも良いことではあったがこれで食べている以上特に異論は無い。
高杉は云われるままに女優を抱き、カメラを意識して要求される女性に受けそうな笑みを浮かべながら撮影に専念した。

それを見ている者が居た。勿論観られる為に撮っているのだから誰しもが高杉に注目しているのは当然のことだ。
けれどもそうでは無い視線でこの中で唯一別の視線でもって高杉を見つめるものが居た。
神威である。
神威はその日バイトでAD、アシスタントディレクターをしていた。高杉や他の女優を補佐し雑事を片付ける仕事である。
家業だ。高杉が所属していたAVレーベルは神威の一族が所有する会社に統合された。
だからこれは神威にとって家業の一つである。ヤクザな商売とは別にこういった仕事もあるのだ。
一応まっとうだと云える類の仕事に神威は少し飽きながらも目線は高杉から決して離さなかった。
今日神威が此処に来た目的は一つ。高杉晋助である。
AVのレーベルなど正直どうでもよかったが神威の部下である阿伏兎が資料にと持ってきたAVを何気なく観ているうちに一つの変化に神威は気が付いた。
今までは神威はあまりその手のものに反応しなかった。不能では無いがそれに近い。神威と寝たがる相手など神威の力と地位を思えばいくらでも居たが、その全てに神威は興味が持てなかった。抱かなかったわけではないが全てがおざなりで、生々しい体温も女の柔らかさにもうんざりしたものだ。阿伏兎に云わせれば勿体無いそうだが、神威にとってはどうでもいい。顔の美醜など興味は無かったし胸がデカかろうが小さかろうが入れる穴は同じである。衝動を吐き出せばそれで終わり。確かに吐き出す瞬間少しは気持ち良かったがそれでも誰かを叩き潰すことより高揚は覚えない。そんなものだ。そうして神威は非常にドライな感覚で青春を生きていた。生きていた矢先に高杉のビデオに出遭ったのだ。
ビデオで勃ったことなど正直神威には無い。自分のものを触ることすら神威には興味が無いのだ。
故に無反応が常であった。阿伏兎が目の前でにやにやしながらビデオのチェックをしている時もまるで反応しなかった。
このまま不能になるんじゃないかとぼんやり思ったほどだ。それも良かった。面倒だ。どうでもいい。
けれども高杉が出演しているビデオでそれは起こった。
勃起したのだ。
まさか、だ。まさか己のものが固くなっていると気付いた時、神威は内心動揺した。
高杉の相手の女優がイイのかと阿伏兎にその女優が出ているビデオを全て用意させたが、違う。
まるで勃たない。なのに高杉が出ている全てのビデオで神威は反応した。
それに愕然として、神威はそれが何なのか確認する為に高杉の撮影があると聴いてADの仕事を回すように阿伏兎に命じたのだ。
そして撮影現場でそれは起こった。
何時間にも及ぶ長い撮影の間、神威はずっと勃起していた。
しかも己は高杉本人にだけ勃起するのだと確信した時、状況の不味さに愕然としながらも、思ったよりもすんなりとそれを受け入れて行動に移した。

「お疲れ様です」
一通り撮り終えて画像をチェックしている時に高杉にタオルとドリンクが差し出された。
見慣れないADだ。
見慣れないといえば半分は見慣れないのであるが、レーベルが変わって社が統合されてからは親会社が華僑系なのかちらほら片言の日本語が混じっている。それでも社自体の払いは良いし一応の株式もある。それなりに付き合いの深い相手もいたし高杉に提示された条件も悪くないことから引退も考えたが高杉はもう少し続けようかと再契約に応じたのだ。
だからこれも新しいADだ。
顔を見れば高杉は酷く驚いた。
驚くほど顔の綺麗な餓鬼である。年は16、7か、どんなに見積もっても19というところか。
ビデオに出れる年齢であれば一躍ヒット作を出しそうな感じである。いっそのことゲイビデオでもいけそうなほどの美少年であった。
「おう」
タオルを受け取り、同時に差し出されたドリンクは高杉の好みでは無い。コーラであったが偶にはいいかと高杉はそれを受け取りボトルを開けた。
「新しく入ったのか?」
思わず問えば少年は頷き高杉を真っ直ぐにみた。
「まあそんなとこ、バイトみたいな」
「お前さんくらい顔が良けりゃビデオに出た方が稼げそうだがな」
「今日それ何人にも云われたよ、断ったけど、家業だからさこれ」
ああ、成程と高杉は頷いた。この子供はどうやら統合した側、つまり華僑系の者らしい。家業というからには親会社の縁戚にあるのだろう。
「俺神威っていうんだ、あんたのファンだよ」
「若ぇ癖に一丁前云うんじゃねぇ」
ファンだという神威はぎらぎらとした眼で高杉を見つめている。
それに身体の奥底がぞくりと熱くなる気がした。
疲労はある。撮影時間は長いし照明も熱い。女優は演技で誤魔化せたが男優は必要な時に勃起させられなければならない過酷な仕事だ。なのに高杉はまるで殺し合いでも挑むかのような神威の目線に煽られた。

「これ終わったら一杯奢らせてよ」

常ならば有り得ない。バーは嫌いだ。
目立つのも御免だ。
けれども高杉は頷いた。
この餓鬼の目線が何なのか知りたくて頷いたのだ。
それが始まりだった。
これは伝説との邂逅である。
後に裏社会のドンと云われるようになる子供と、その傍らにある男の。
その日互いに運命的な出遭いをした。タイミングこそ違えど高杉は意図せずに、神威は画面越しに。
まさかその後その餓鬼と寝る羽目になるとは高杉ですら想像もしていなかったことだったが、とにもかくにもこれがふたりの始まりであったのは確かである。


03:伝説的邂逅

お題「レジェンド」

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