全く冗談じゃねェ、と阿伏兎は思う。
思うが口にしないのは処世術だ。口にして良いタイミングとそうでない時があるということを阿伏兎は長いこと組織の中で生きているうちに心得ていった。中間管理職というのはそうあるべきなのだ。
夜兎にしてはそういったことに向いてしまう己の性に阿伏兎はうんざりしながらも春雨内の長い回廊を軍靴を鳴らしながら歩いた。
冗談じゃないというのは近頃の増えた仕事のことである。
仕事だ。
仕事。
銀河系最大の犯罪シンジケートと謳われる宇宙海賊春雨の第七師団副団長は多忙である。
春雨最強の白兵戦部隊。そのほとんどが残り少ない最強の戦闘部族夜兎ばかりで構成された部隊の目出度くも副団長である阿伏兎は決して弱いわけでは無い。力が全ての団内で副団長を張れる程度の強さは持っていると自負している。
年齢的にはピークは過ぎたがそれでもまだまだ経験と技術で若い者に抜かれることは無い。
ただ一人を除いて。
阿伏兎の仕事の最優先は団長である。
団長、つまり神威だ。夜王鳳仙の弟子、宇宙最強と云われる星海坊主の息子。ただでさえ華々しい血脈と経歴に阿伏兎でさえ眩暈がしそうだがその本人はそれらの肩書を全て凌駕する化物である。
美しい容姿に、無邪気な子供さを内包した美貌の青年、それをナメてかかると酷い目に合うのだ。
夜兎の本性に最も近い男。
それが神威である。
阿伏兎が求めて止まない夜兎という衰退する種族に残った光だ。
だからこそ阿伏兎は神威の下に付いたのだ。それはそれで楽しかったし、面倒でさえも生き甲斐を見つけたようでまあ悪くはなかった。何にも無い夜兎の己にも漸く目的らしきものが見つかったのだと気分が良くなったものだ。
けれどもその神威に最近大きな変化が出来た。

侍である。

侍だ。地球とかいう辺境の星の蛮族の戦闘集団を指すらしい。
そのサムライとやらが神威の興味を大いに惹いた。
最初は銀髪の侍だ。夜王鳳仙を倒した男。光と数を味方にしたとは云え見事だと云えるだろう。
その銀髪はまあいい。神威はとっておきは後に取っておくタイプだ。何せ戦いたい相手が万全の状態でなければわざわざ医者まで呼んで治癒させたことがあるくらい相手の状態も最上を要求する。それを叩き潰すのが神威なのだ。
けれども、その侍は違う。
今神威が入れ込んでいる男は違った。
その名を高杉晋助と云う。

そして話は冒頭に戻る。
阿伏兎が今歩いているのは春雨の回廊ではなく、既に艦内だ。
何処の艦内かというと云うまでも無く高杉晋助率いる鬼兵隊の艦内である。
そして春雨の回廊から共に歩いていた男は河上万斉と云った。
仕事の帰りらしく道すがら出会ったのだ。
既に何度も顔を合わせているし、酷い時には毎日顔を突き合わせることすらある男だ。
親しくも無いが互いの関係上円満ではありたいという状態である。
それもこれも神威がその高杉晋助という侍に入れ込んでいる所為であった。
「それで、次はいつ出るんでぇ?」
「部品が届かないのでござる」
阿伏兎が問えば、旗艦のエンジンの交換用の部品が届いていないんだとかであと二、三日は滞在するのだと云う。
成程、そうなるとあと二、三日は阿伏兎達第七師団も足止めである。何せ我等が団長様が高杉にぞっこんなのだ。それこそ張り付いて離れないのである。急ぎの仕事があるわけでは無かったがいくつかの貴重な賞金首を逃すことにはなるだろうなとぼんやり阿伏兎は考えながらも溜息を吐きたくなった。
そして万斉が阿伏兎の前に差し出したのは大きめの湯呑である。
既に阿伏兎用になっているのかその大きな湯呑に万斉は茶を注ぎ、いつもの執務室に座るように促した。

「あいつらナニしてんだか・・・」
呆れたようにドアを見遣れば其処は高杉の居室である。
一度入れば下手をすれば一日部屋から出てこないのだ。
ナニをしているのかは想像に容易い。
容易い筈だったが・・・。
「先程筆を所望しておったが・・・」
「マニアックなプレイだな、おい」
「拙者は内容までは知らぬ、晋助が望むならそれまでのこと」
全く躾の行き届いた部下である。部下と云うには万斉と高杉の距離は阿伏兎からすると少し不思議ではあったが、高杉が少なくともこの鬼兵隊の御旗であるのは確かであるようだった。
頭の回る男は阿伏兎の前で地球での表の仕事だという音楽とかいうものの譜面を出して何かを確認していた。
「食事は」
「食事?」
どうするでござるか?と問うてきた男に阿伏兎は頭を掻きながらうちから持って来させるとどうにか答えた。
夜兎の食費は膨大である。阿伏兎とてごく普通の夜兎のように食べはしたが神威のそれは矢張り多い。
一度それとなく神威の食事の件について万斉に問うたことがあったが、流石の万斉もあの時は少し眉を顰めてそれから阿伏兎の申し出を丁重に断った。何でも神威がこちらに滞在している間は持成すのが作法らしい。それがどれほどの金食い虫だろうが持成すのが矜持なのだそうだ。阿伏兎には到底理解できなかったが、ならばと甘えている。だからせめて自分の食べる分くらいは自分で賄おうという一応は殊勝な腹づもりなのだが、万斉はいつもは口にしないのに、珍しく阿伏兎に食事を勧めてきた。
「否、先程来る前にそなたの団長殿がな、差し入れを寄越したので食事はこちらで持つでござる」
「団長が?」
珍しいと阿伏兎が口にすれば、時々神威はそうして高杉になにかしら置いていくのだという。
成程、道理で最近は壊すばかりでなく略奪にも執心していたわけだ。流石に高杉に釘を刺されたのか自分の食い扶持くらい持ってこいと言われたのか、或いは神威なりの気持ちであったのかとにかく、うちの莫迦団長様はやっぱり高杉にぞっこんだということがありありとわかって阿伏兎は米神を抑えた。
「直に運んで・・・ああ、来たでござる」
出されたのは美味そうな丼ぶりであった。カツ丼というものらしい。地球の食べ物は滅法美味いと評判なので阿伏兎としては相伴にあずかれるだけ有り難い。他にも見知った料理がいくつかと酒も並べられ、これは相当な額を高杉に貢いだのだと阿伏兎は内心舌を巻いた。神威が一人で稼いだのだから腹も立たないが些か複雑な気持ちである。
どうせ阿伏兎もすることが無いのだ。手持ちのタッチパネルに適当な指示と片付けなければならない案件に神威に丸投げされた団長のサインを貼り付けながら送信ボタンを押す。あとは団長である神威が部屋から出てくるのをこうして待つ身だ。
まあ今回は幸運な方だ。食事はいちいち運ばせなくて良いし酒も付く、万斉も高杉が部屋を出てくるまでどうやら此処で待機するようだから手が空いたらこの間講釈して貰ったコウシだかソンシだかの兵法だかを聴ければいい。
侍の概念は理解できないが、酷く効率的な時もある。戦略性があるのだ。夜兎が持たないそれは本来なら興味も無いが夜兎が衰退した今彼等の知識は必要な物だ。事実この間阿伏兎でも理解できた簡単な戦略を実行した際は驚くほど物事が上手く進んだ。この神威の道楽はマイナスばかりでも無い、そう思いながら阿伏兎は長い夜の講釈に耳を傾けた。

「あれ?阿伏兎来てたんだ」
「てめぇが出てこねぇからだろ、このすっとこどっこい!」
漸く二日経って高杉の居室から出てきた神威にうんざりしながら阿伏兎が怒鳴れば神威は酷く機嫌が良さそうに鼻を鳴らし、そして背後の高杉に何事かを囁いて部屋を後にした。
全く気楽なものである。
阿伏兎はその間に暇が過ぎて万斉の表の仕事だとかいうなんとかというアイドルの歌まで聴かされたのだ。
「で、二日もお籠り遊ばせてさぞすっきりしたんだろうよ、団長サマ」
「まあね、でもすっきりって?」
「筆でなんかシてたんだろうが、すっかりイロに染まっちまいやがって」
何に目覚めたんだと非難するように阿伏兎が問えば神威はその大きな眼を瞬かせてそれから、「筆?」と言葉を返した。
「ああ、筆ね、うん面白かったよ、結構叱られたけど」
「SMプレイまでしてやがんのか、ったくマセガキが」
「SM?」
「うるせぇ莫迦団長!てめぇのノロケ話なんざ聴きたくもねぇや、ほら行くぞ、仕事は山とあるんだ」
「?・・・まあわかったよ、じゃあとりあえず沢山殺してこようか」
「へいへい」

繰り返されるそれ。高杉の艦まで来て神威を迎えに行く、そして小言を漏らしながらも機嫌の良い団長とまた殺しに戦場を渡る。
ああ、これも日常になっちまったんだなぁと阿伏兎は溜息を零しながらその頼もしくもある若き団長様の後に続いた。
しかし、実際には高杉の居室で何が行われていたのか阿伏兎は知る由もなかった。
筆は真実、字の練習に使われていたし、籠っていたのは神威が高杉に碁を習っていたからだ。
「てめぇは自分の名前は綺麗に書くが他は駄目だな」
「うん、名前だけは鳳仙の旦那、あ、俺の死んだ師匠なんだけどそいつに厳しく躾けられてね」
「おい、筆持ってこい、少しは手習いしろ」
見本を書いてやるからと云われ神威は高杉の手からすらすら書かれる文字をにこやかに見つめそれをなぞったのだ。
そして後は二人でごろごろしながら碁を習い、眠った。
そう、この二人未だ接吻どころか手さえ繋いだことは無い。
まさかのプラトニックだったとはその時誰も想像さえしないことだった。
肉体関係に及ぶのは周りの心象を他所に更に此処から数ヶ月を要することになる。
そして高杉の手には神威が書いたという高杉の名前がある。
どうにか見れる文字で書かれたそれを高杉はそっと畳み懐に仕舞ったことは誰も知らない。


02:蜜月の手習い

お題「日常的」

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