しんしんと雪が降り積もる夜だった。
高杉が降りてきていると聴いてわざわざ地球に降りたのは神威だ。
彼は春雨にパイプを作りつつも定期的に地球に降りる。
それが何の為なのか神威は高杉に一度も問うたことは無い。
「高杉、入るよ」
高杉の行先は神威も二度ほど高杉と共に滞在した京の宿だ。
京では高杉や攘夷派の者を匿う者が権力者にも多いと聴く。
江戸よりも余程過ごしやすいのか京では高杉も外出が多かった。
無論江戸にも高杉は太いパイプやいくつもの潜伏先を持っている。今は神威も着いているので高杉が一歩吉原に入れば神威の力で高杉を隠すことも出来た。吉原には圧力をかけてはいないが鳳仙亡き後、持ち主は神威である。その程度は可能なのだ。高杉が望むのなら神威が全てを手にしてもいい。けれども高杉はそういったところで神威を宛てにはしなかった。それが歯痒くもあるが、此処で歯噛みしても無様なだけだ。神威は余裕のある振りをして高杉を見据えるのが常だった。
こと高杉に関しては神威は後手に回っている。それに苦味を覚えながらも未だに高杉を力で奪おうとしない自身が神威にとっては些か不思議であった。
襖を開ければ高杉が障子を開け放っていて室内だというのに随分冷える。
「高杉?」
「よう」
珍しく高杉が神威に手を上げた。
まるで待っていたと云わんばかりだ。
猪口を持ち上げ高杉は酒を煽る。雪見酒と洒落こんでいたのだろうが、部屋の中でさえ息が白くなる。
障子を全て開け放ち火鉢の火も消えているのだからこの寒さは当然と云えたがその中で高杉の薄着が神威の眼に着く。
誘う様にちらちらと見える肌がいけない。
高杉は独特の色気がある男だ。男でも女でも一度高杉に惹かれれば蠱惑するような魔性がこの男にはある。
その肌に惹かれるように神威は高杉に手を伸ばす。
外套を羽織ったまま、常に顔に巻いている包帯を少しずらして神威は高杉に口付ける。
ゆっくりと舌を絡め堪能するように歯列を割り隅々まで舌を這わせ神威が高杉を押し倒した時に気が付いた。

「ひょっとして高杉、酔ってる?」
常とは違う高杉の反応に神威は眉を顰めた。
高杉が魅力的なのは常であったがどうにもいつもと様子が違う。
改めて見れば高杉は深酔いしているらしく神威に凭れ掛かる有様だ。
「何か、あった?」
そっと高杉を抱き締め神威が問えば高杉は一言だけ、「月命日だ」と云った。
誰のとも訊かない。それが誰の月命日であろうと神威は訊きはしない。訊かない代わりに神威は溜息を零し高杉を抱き締めた。
「道理で部屋が寒いわけだ、ちょっと待って」
神威は手近な座布団を手に取りそれを折り畳んで高杉の頭をその上に置き立ち上がる。
そして己の顔を覆う包帯を脱ぎ捨て部屋中開け放された障子を閉めて回った。
最後の一つ、高杉の隣にある障子だけは高杉が名残惜しそうなので半分だけ閉めるに留める。
それから廊下に出て火鉢が切れたと女将に云いつけてからまた酒に手を伸ばす高杉から酒器を遠ざけた。
「酒、寄越せよ」
高杉がこうして不機嫌さを露わにするのも珍しい。
神威を睨みつけながら云う高杉を己の外套で包み、神威は高杉の頭を己の膝に乗せた。
「酒はまた今度、身体が冷えすぎてるよ、高杉はニンゲンなんだから直ぐに病気になるよ」
「なったらなった時だろぉが」
呂律の回らない様子の高杉に云われても何の説得力も無い。
神威は高杉の髪に指を入れてそれから高杉の左目を覆う包帯を解いた。
「駄目だよ、あんたの死に場所は此処じゃない、まだ終わってない」
まだ終わっていない、という神威の言葉に高杉がぴくりと肩を揺らす。
「あんたの地獄の終着点は此処じゃない、そうだろ?高杉晋助」
「知った風な口を聞くな」
不機嫌さを露わに高杉が云うが酒臭くて何の説得力も無い。
「いつもなら俺はがっかりするところなんだろうけど、変だな」
高杉を覆う包帯の下の肌に神威は優しく触れた。
ゆるゆると其処に触れば高杉は何も云わず神威の膝に顔を埋める。
「俺はこういうあんたが見れて嬉しいと思ってる、そういうところを見せてくれるようになったのかなって自惚れてるんだ」
酔っている筈だ。酔っている筈なのにその時高杉は一瞬神威を見た。
その片目で、鋭い眼光を湛えて、一瞬だけ交わるその視線に神威はこの男の奈落の淵を視た気になる。
暗い、昏い深海のような寂しさを湛えた高杉の目線。
それを離すまいとするように神威はそっと高杉の冷たい指に己の指を絡めた。

「ねぇ、高杉、俺はこうしてあんたと過ごせる時間の全てが離し難い」
指を絡める。
微かに空いた障子からは外が見える。
白い、白い雪。
降り積もって何もかも白で覆う。
こうしているとまるで世界に二人きりのようだ。
そうならばどんなによかっただろう。
高杉は他を見ず、侍なんて生き方を捨てて己と生きてくれただろうに、現実はそうでは無く、彼は己の地獄に捕らわれたまま煉獄の炎に焼かれるのだろう。
悲哀と憎悪の世界で、孤独に立つ男が神威は欲しい。
「この感情はなんて云うんだろう」
いつまでも傍に居て欲しいと願ってはいけないのだろうか。
高杉はその答えをきっと知っている。
知っているのに高杉は神威に応えてはくれないのだ。
その意味がわからぬほど神威は愚かでも子供でも無い。
己と高杉は最初から道が違うのだ。
違うのに、それが欲しい。それが共にあればいいと神威は切望している。
「俺はあんたをどうしたいんだろう」
殺すのでも無く、奪うのでも無く、ただ透明な何かが己とこの男を繋ぐのだ。
まるでこの雪の様に透明な何か、無垢で何者にも染まらぬ感情が此処にある。
淡く光り輝くように泣きたくなるほど暖かいものが此処にある。
神威の問いに答えは無い。答えの代わりにそっと静寂だけが横たわる。
雪明りに照らされた部屋の中で、孤独な男と愛を知らぬ子供がふたり。


18:しんしんと雪が降り積もる夜だった。

お題「雪化粧」

menu /