廊下でのことだ。
春雨の拠点の一つである要塞内は広い。
その長い回廊で補給のついでに寄った神威の第七師団と同じく仕事の関係で訪れた高杉とが鉢合わせた。
高杉は背後の部下に目線で合図をし一人その場に残った。嬉々として高杉に纏わりつく神威の相手をすることにしたらしい。
半ば諦め気味に神威の船のある三番ドッグへと高杉は足を向けた。
現在先頭に神威と高杉でその後ろに阿伏兎以下師団の団員が続いている。

「ねぇ、高杉、俺はいつも高杉に欲情っていうかムラムラ?するけどさ、高杉は俺に欲情しないの?」
唐突に爆弾が落ちた。
常の事常の事と思いながらも神威の発言は突拍子が無い。
高杉は何事も無いように煙管に葉を詰め火を灯す。
「あン?」
何だ?と問い返す高杉も常の事だ。阿伏兎はこれ以上爆弾発言が出ませんようにと願いながら彼等の後ろを無表情に続いた。
一人人間が混ざっているが夜兎の外套を羽織った集団が歩くと云うのはこの春雨の要塞内とて目立つ。
いつ爆弾発言が落ちてどんな被害が起きるかわからない以上余り人目を惹きたくないのは事実だ。
「いや、俺ってさ、こう見えてわりとモテるんだ。言い寄ってきた奴は皆ノしたけど、まあその辺りの女より顔もキレーだと思うからさぁ、高杉も俺に対して何か思うところってないのかなって」
( そういうことは部屋で云え、部屋で! )
と思いながらも阿伏兎は口には出来ない。
力が全ての夜兎の中で序列は神威が上なのだ。ましてここは公の前、下手なツッコみなどして夜兎の中に一人混じった高杉という異分子を含めた謀略などを他の誰かに立てられても面倒だ。こういうのは騒ぎ立てず何でもないですよ、という雰囲気を貫くに限る。最も謀略など夜兎には通用しない。通用はしないが、これ以上の厄介事は御免なのが阿伏兎の本音である。
「ねぇよ」
無いとあっさり云う高杉に阿伏兎は安堵した。
そう、それでいい。
これ以上褥の話など廊下で話されてたまるか。
高杉晋助という男は食えない男である。敵対していた筈の神威をあっという間に阿呆元提督の謀略に乗せて尚且つ自分側に退きこんで仕舞った。使われっぱなしの鬼兵隊がいつの間にか、この春雨の中でも最強と謳われる第七師団に影響を及ぼせるまでになってしまったのだ。
それも僅か一瞬の期間に、だ。
謀略に長けた賢い男、それが阿伏兎の高杉に対する総評である。
綺麗で手を出すと怖い、鬼のような男だ。
触れたら火傷をしそうなのに触れたくなる男。そういう意味では阿伏兎も神威のことは云えない。神威がいなければ、或いは別の場所でこの男に遭っていれば女がいい筈の己でさえつまみ食いしたくなっただろう。高杉とはそういう危険な魅力の男だ。けれども阿伏兎はこの男の脅威がわかるからこそ誘われても躊躇する。触れれば火傷をするのがわかっているからだ。想えば想うほど、焦がれれば焦がれるほど、この男との遊びは一気に燃え上がりそして相手を自滅させて仕舞う。だから阿伏兎は高杉という男を警戒する。触れるのに躊躇する。しかし神威はそれを気にも留めず触れる。触れた火が熱いのだとは知らない子供の様に、その煌めきが美しいから触れたいのだと、躊躇いなく、それが欲しいと高杉に触れるのだ。
「えー嘘、本当に何も無いの?俺ミリョク無い?」
「ねぇ」
「俺、強いし、お金稼げるし、星ひとつくらいなら直ぐ獲れるよ、顔も悪くないし、年だって若いから将来有望、セックスは・・・高杉に叱られるけどそれなりに悪くないと思うけどな・・・絶倫だし俺、本当に好きなとこないの?」
「ねぇ」
無いと素気無く云い放つのは高杉である。
顔色一つ変えない高杉の様子を見つめる阿伏兎の眼には何一つ高杉にはブレが無い様に見えた。
冷たい様、罠があるとわかっていてもこの男には何かがある、そんな危うい魅力を感じる。
けれども高杉は神威に対しても今のところきっちり一線を引いているのだとわかって安堵もした。
それでいい。いつか壊れるのだから互いの痛みが少ない方がいい。
神威がどれほど高杉を慕っても高杉が神威を受け入れなければいずれ終わることだ。
「本当に?」
神威の指が高杉の指に絡む、直ぐに振り払うと思ったのに高杉はそれをしなかった。
ごく些細な変化だ。
阿伏兎はその変化に眉を顰めた。

実は高杉とてそう思うことがある。
確かに神威が云うように欲情することがある。
ただ認めるのが癪なのだ。
神威は周りから見れば美少年だ。下手をすると鬼兵隊から見れば神威は高杉の稚児扱いである。
こんな助走をつけて走っただけで戦艦を壊せるような凶悪な稚児など居て堪るかと思うが神威の容姿が美しいだけに性質が悪い。そんな神威と何がどうあれ結果的に肉体関係を結んでいる以上認めるわけにはいかない。
まして己が神威を受け入れているのだ。
一度に何度も達するのは夜兎の特性か行為の度に酷く高杉を疲れさせたが、かといって行為の回数が減るわけでも無いと悟った高杉は我慢を神威に覚えさせた。
( 出したい )
と我慢させれば辛そうに云う神威の様に煽られたのはいつからか、苦しそうにそれでも神威が高杉の好い様にしようと必死に我慢する様が堪らなく高杉を刺激する。欲情するといえばその顔にだ。
( 云うものか )
云ったら負けだ。だから高杉は黙る。手前に想うところなど何も無いのだと素気無く振る舞う。
そうしないと神威に主導権を渡すことになる。神威がそれに気付けば褥での主導権を神威が握るだろう。どうせ力では夜兎である神威には敵わないのだ。気付いた神威に好きにされること、それだけは我慢ならない。
下らない自尊心だろうが大人の意地だろうが、高杉は神威に応えまいと決めたのだ。
けれどもそうして己の周りをうろうろして無邪気に好意を寄せてくるその餓鬼の柔らかな髪は気に入っているのだと、高杉はそっと目の前でふわふわ揺れる神威の髪に指を差し入れた。

「・・・・・・」
それを間近で見ている阿伏兎の内心は複雑である。
欲情するところがあるかどうかを恥ずかしげも無く道の往来で神威が高杉に問うて高杉は「無い」と否定しているというのに目の前では指は絡むわ髪を弄るわ、もう止めて欲しい。阿伏兎のライフはゼロである。
そして信じられないことにこの二人、この状態で出来上がっていないというのだ。
互いに思い合っているクセしてその自覚がまるで無い。
双方が「好き」だとか「愛」だとかそういった言葉とは無縁の場所に居る。そう、実に殺伐とした関係なのだ。
なのに傍に居ればこれだ。傍から見れば完全に恋仲であるというのに、付き合っていない段階でこれだ。
ではこの二人がそれを自覚してしまえば一体どうなるのか、ただでさえ青天の霹靂だというのに自覚すればビッグバンでも起こるのではないかと戦慄が走る。全く冗談じゃねぇ、と阿伏兎は大きく溜息を吐いた。
冗談じゃない。こんなの見せられる阿伏兎の気持ちになってみろというものだ。
前をそうして歩く上司と上司の入れ込んでいる男は確かに綺麗だ。非生産的な関係であろうと愛でる分には絵になるが、これでまた妙な噂が流れるのだと思うと阿伏兎は天を仰ぎたくなった。


14:廊下では止めて

お題「日常茶飯事」

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