高杉の左目が失われているのはわかりきったことだ。
神威が初めて高杉晋助という男を前にした時、既にこの男の左目は失われていた。
それが惜しいといつも神威は想う。
「この眼があればいいのに、そうすれば高杉は俺をどんな風に視ただろう」
そっと褥で失くした場所を撫ぜながら神威が云えば高杉は嘲る様に笑みを浮かべた後、身を起こしそれから煙管に火を点けた。
「綺麗な眼、俺あんたの眼気に入ってるのに一つしかないなんて勿体無い」
一つだけ残されたその眼光に神威はいつも惹かれる。
この男は目線だけで答えを寄越すことがある。
今の様に、こうして何も云わないのに語ってる。
その様が神威をいつも劣情へと煽った。
「あんたの眼を奪った奴を俺が殺してやりたい」
莫迦だと云われることが解っていても神威はそれを口にする。
時折酷くこうしてこの男の一部が損なわれていることが神威には耐え難いのだ。
奪ったのが己でないことをただ悔しく想う。
「下らねェ」
済んだことだと素っ気なく云う高杉を目線で追いながらも神威は寝そべっていた身体を腹筋だけで起こした。
そして徐に立ち上がり、下肢の衣服だけ身に着ける。
高杉がそれを眺めていると神威は挑発的に来いと手で合図した。
高杉とてそこまでされては神威の云わんとすることがわかる。
にやりと笑みを浮かべ己も着物を羽織り立ち上がった。
「てめぇと殺り合うなんざいつぶりだ?」
「阿呆提督の一件以来かな、まあ肩慣らしくらいしようよ」
抜いていいからさ、と神威が言葉を足すので高杉は遠慮無く刀を抜いた。
相手は夜兎だ。先程までこの敷布の上で交わっていたとは云え所詮は獣同士、この闘争も悪くない。
何故このタイミングで神威が誘ってきたのかが謎ではあったが高杉はじゃれ合いの延長のようにそれを受けた。
けれども勝敗は直ぐに決まる。
高杉は肩慣らし程度に捕えていたが神威には別の目的があった。
何度か高杉の刀を躱し室内だというのに自在に動き回りながら距離を測る。
そして三度目に刀が降ってきたところで神威は高杉の後ろに回り込んだ。
「・・・っ」
左から高杉を獲ったのだ。
高杉は神威に首を抑えられてぴくりとも動けない。
神威は敢えて高杉の苦手な角度から滑り込んだ。
高杉とて侍だ。数多の修羅場を戦い抜いただけあって決して遅れを取るわけでは無い。
例え左眼が無かったとしても不利な状況になどならない。並大抵の者では高杉の反射に追いつけない。けれどもその神威こそが並大抵では無いのだ。夜兎の中でも最強クラスの若き男。未だ成長期である若い肉体の速度に高杉の身体の反応が追いつかない。
あっという間に神威に後ろを取られて仕舞った。
ほら、と神威は高杉の背後で静かに云う。
「直ぐ取れた。高杉、あんたは大丈夫だと思っててもやっぱりまだ失くした眼があるように身体が反応してる。左から入られるとあんたは僅かばかり遅れるんだ、それを技術でカバーしてるみたいだけど」
「神威・・・てめぇ・・・」
珍しく怒気を孕んだ高杉の聲に神威は機嫌が良さそうに喉を鳴らす。
「本気だったら高杉がもっと手強いのも知ってるよ、でも俺だってあんたの背中を獲れる」
「何が・・・云いたい」
何が云いたいと底冷えするような聲で問う高杉の首筋に神威は鼻を埋めた。そして背後から高杉を抱き締める。
失った物は取り戻せない。高杉の左目は無いままだ。神威が過去にでも行けない限りそれは叶わない。
けれども、ならば、と神威はその感情のままに言葉を口にした。

「俺があんたの左目になるよ」

何を云うのか。この子供は。
「莫迦な・・・」
莫迦な事をと高杉は云いたい。
高杉とて左目が駄目になった時に左からの角度で来られると弱いのは理解している。
だからこそ気配には敏感になった。最初は距離感が上手く掴めず苦労したものだが今では何の不足も感じない。
けれどもそれはあくまで並みの相手であったらということだ。相手がこの男であればそれも苦しい。
本気で殺し合おうとしたら高杉とて犠牲を払わなければならないだろう。勿論負ける気など無いが、宇宙最強の種族である夜兎の力を思い知り高杉は歯噛みする。
「戯言を・・・」
戯言だ。高杉は左目などいらない。
そんなものは不要だ。
なのに神威は高杉を抱き締めたまま離さない。

「俺がアンタの左に立つ。後ろはあんたの鬼兵隊でも俺の部隊でもいい、誰かにまかせればいい。でも俺はアンタの上でも下でも無くあんたの隣に立つよ」

隣に立つのだという莫迦な子供。
戯言ばかり、そんなような戯言を高杉は数えきれないほど聴いてそしてそれを囁いた者は皆先に逝った。
なのにこの子供は、この男はそれを云う。
打算も何も無く、ただ純粋な感情を以ってその言葉を口にする。
その透明さに眩暈がする。
その囁きはまるで愛の告白の様だ。否、此処に横たわるものは既にそうなのではないか。
けれどもそれに高杉は応えまい。その感情に名前を付けることを決してしない。
できるわけがない。できるわけもないのに、それでも揺れる。
堕ちていくその感覚に高杉は息を呑みながら、或いはこの者が己の失った左目そのものなのかもしれないと、そんなことを想い目を閉じた。


12:左目のかたち

お題「左目」

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