※夜兎に関して模造設定があります。


「夕焼けの海って初めて見た」
「もう殆ど陽は落ちてらぁ」
高杉の後に続くまま歩けば海だ。
地球で何か仕事があると云って高杉が宇宙から降下する際に追って行ったのは神威だ。
高杉の知己だという料亭の離れで夕刻まで過ごして、話が終わったと云う高杉の後を追えば海だった。
空は殆ど夜の色で僅かに地平線で夕闇と混ざっている。
辺りが暗くなってくる浜辺には誰もいない。潮の香りと海の音、それだけだ。
その浜辺を高杉と踏み歩く。
誰もいない、此処には高杉と神威だけ、それが嬉しくて神威は子供の様に真っ新な気分で海を楽しんだ。

「俺と高杉は夜の眷属なのさ」
「ほう、云うじゃねぇか」
「どちらも陽の下は歩けない」
「違いねぇ」
珍しく愉しそうにこの人が喉を震わせるので神威も嬉しくなる。
そう、互いに夜の眷属だ。高杉は人間で陽に強い筈なのに外を歩けない。いつも隠れるように生きている。高杉を隠そうとする多くの人の手の中で高杉はひっそりと牙を研いでいる。
そして神威は種族的な弱点の為に陽の下を歩けない。
何の装備も無しに歩けば簡単に死に至るだろう。夜兎なんて自殺しようと思えば簡単だ。殺すのも簡単。
集団でかかって陽の下に晒せばどれほど強かろうと勝手に死ぬ。
最も年齢による回復力の差はある。神威の年頃から十年程度が一番夜兎は充実する。
その年齢だと殺すのにも少し時間がかかる。陽を浴びても回復速度が速いから肌が焼け落ちる前に常に回復し続ける。
昔処刑場で陽の元に晒されてそれでも生き延びた夜兎の話を聴いたことがある。眉唾物の話であったが、あながち体力的に充実していて無傷であれば可能かもしれないと神威は思っている。最もそれは想像を絶する地獄ではあろうが。
「暗闇が俺達の世界だ」
「そうだろうよ」
暗闇だけが神威と高杉を繋いでいる。
水面ぎりぎりを歩きながら神威は高杉の背を見遣った。
綺麗な身体だ。歴戦の強者の身体。高杉の着流しを脱がせばその下には沢山の傷跡があることを神威は知っている。
刀を抜けば研ぎ澄まされた殺気を放つことも、その眼が射抜くような野生の眼をしていることも知っている。
或いは、身体を繋げば時折苦しそうに神威の手を掴みかけて掴まないことも神威は知っていた。

「ねぇ、高杉、手繋いでよ」
不意に掴みたくなった。
ふらりふらりと彷徨う高杉のその手を。
「御免だ」
そう云いながらも高杉は拒んでいない。
この付き合いで流石に神威にもそれがわかる。高杉は拒絶をするときははっきり云うのだ。
御免だ、はまだ拒絶では無い。
だから神威は少し早く歩いて高杉の指先に己の指を絡ませた。
「誰も見てないよ」
陽は沈んでしまった。
夜が浜辺を覆っている。此処には誰もいない。己の部下も高杉の部下も、野暮な喧噪も、復讐に満ちた闘争も此処には無い。
何でも無い、ただの神威とただの高杉だ。
その筈だ。そうであって欲しいと神威は願っている。
願っていてもこの男が過去に捕らわれているのを神威は知っている。
どうしようもないことだ。神威が生まれるのがもう少し早ければ、もっと早くにこの男に遭っていればそんな過去を破壊してやるのにと思う。けれども過去にまで神威は挑めるわけでは無い。
高杉は大人で神威は高杉から見れば餓鬼。埋められないその差に悔しさを覚えながらも何でも無い様に振る舞うので神威には手一杯だ。

「キス、しようよ」
「外で御免だ」
「高杉はそればかりだなぁ、じゃあセックス」
あからさまに神威が云えば高杉は気に入ったようで肩を震わせた。
「此処で?」
「駄目?」
「砂が付くと面倒だろうが」
具体的に厭だと指摘されればそれは後のお楽しみにするしかない。
高杉は駄目だとは云わなかった。
「じゃあやっぱりキス」
「ばぁか」
神威が餓鬼らしく駄々を捏ねて見せれば高杉の周りの空気が少し柔らかくなった。
堪らなくなって神威はそっと高杉の指に己の指を滑らせる。
滑らせて、絡めて、触っていないところなどないようにゆっくりと神威は高杉の指の皮膚を撫ぞった。
「餓鬼の癖に誘うたぁな」
「その気になった?」
クスクスと神威が笑えば高杉が呆れたように息を漏らした。
高杉に呆れられたかもしれない。餓鬼は餓鬼だと内心哂われているかもしれない。
神威はいつも高杉に追いつかない。種族も、年も、生き方も全てが高杉と違いすぎる。
けれどもそれでいい。
これがいい。
浜辺に二人、こうしてじゃれ合うように歩く今がいい。
絡めた指先から伝わる体温が、僅かに握り返されるそれが、神威にはあればいい。
そして不意に思う。
これは溺れるようだ。
惹き合わない者同士が惹き合って仕舞った。
まるでこの暗闇の海の中沈んでいくように、神威は高杉の温度に、高杉の空気に溺れていく。

「たかす、」
気付けば唇に高杉のものが触れていた。
ああ、この人はいつも唐突だ。
唐突に神威が返せもしない尊いものを寄越す。
透明で美しい何か。胸の奥からじわりと込み上げる暖かいものを寄越すのだ。
それが何なのか神威にはわからない。その形を確かめるように今度は神威から口付けをする。
一瞬、触れるだけの口付けを。
そして何度か互いにそれを繰り返し、我慢できずに神威から舌を絡めた。
手を合わせ、指を絡めて、必死に、この男を他の何かに奪われまいとするように。

「高杉、俺あんたを閉じ込めて仕舞いたい」
「宇宙にか?」
いいや、と神威は首を振った。
宇宙にこの男を閉じ込めて何になる。
贅沢な檻でも作って閉じ込めて?それでこの男を殺して何になる。
「俺の腕に」
答えた神威に、高杉はもう黙れと舌を絡めてきた。
堪らず崩れ落ちるように神威は高杉を押し倒す。
砂が入っても気にするものか。
この男に触れられるのならば、何も要りはしない。
「砂がまだ熱い」
「黙ってよ」
口付ける。身体を弄り、繋がってしまいたい。
熱い、込み上げてくる熱がたまらない。

「あなたを閉じ込めて攫ってしまいたい」

答えは無い。いつもこの男は応えはしない。
けれども僅かに揺れた瞳に、絡まる指に込められた力に、神威は眼を細めた。
そしておぼれる。
この男に溺れて往く。
きっと息も出来ない。
溺れて、もがいて、そして底に辿り着けばこの男を手にできるのだろうかと想いながら互いに溺れて往く。


20:あなたに溺れる

お題「夕焼けの海」

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