夜兎の力は強い。 強すぎて簡単に殺せて仕舞うので神威はいつも高杉との逢瀬でその身体に触れる度に緊張した。 緊張など柄にも無い。寧ろ強い相手と戦う直前の緊張のようなものに覚えはあっても、相手を傷付けない為に緊張などしたのはこれが初めてだ。 神威にとって高杉は何もかもが初めてだった。 神威の感覚に高杉は神威が知らなかったものを魅せる。神威はその感情や衝動が何なのかが知りたくて、高杉との褥での遊びに夢中になっているのかもしれなかった。 けれどもこれは慎重さも伴う。 高杉の意に沿うように出来なければ途中でも神威は放りだされるし、気が向けば高杉も褥での房事におおいにノってもくれたが、それは稀だ。 それに高杉が神威とのセックスに乗り気な時は決まって何か他の外的要因がある。そうしてノってきた高杉に興奮を覚えながらも神威はいつも高杉がそうなっている原因を探って仕舞う。 必然的にそうなると腹の探り合いのようなセックスになる。 それも悪くなかった。相手が、高杉が何を考えているのかを想像しながら媾うのも神威は嫌いでは無い。 けれどもそれとは逆に、ごく自然に指を絡めるように始めるセックスも神威は好きだった。 今日の高杉との交わりは後者だ。 自然に口付けて自然にタイミングを測ったように事を始めた。 何度となく高杉と身体を重ねたが神威はいつもそれに理性が焼き切れそうになる。 それを堪えて、堪えて、最大限の理性を総動員して彼を傷付けまいと羽根に触るように触れて、そして達すればそこには神威の知らなかった感傷がある。 その答えを神威は知らない。その感傷の名さえ神威は知らなかった。 けれどもそうなった時、決まって神威は高杉に何の欲望も無くただ口付けてこの男を抱き締めたくなる。 抱き締めたくなるが、神威はいつもそれに迷った。 高杉を抱き締めることは簡単だ。そして口付けも許されるだろう。 それでも神威は躊躇する。 理由は一つ。己の夜兎の力だ。 妹である神楽がその昔可愛がっていた兎を殺したように、神威が寝入って仕舞って無意識に高杉を抱き殺して仕舞うかもしれない。 この男を殺したいとは思っていても、そんな終わりを神威が望んでいるわけでは無い。神威は高杉を傷付けるのを躊躇っているのだ。 意識がある時は加減できるが、そうでなければ駄目だ。 神威の無意識は恐らく高杉を殺して仕舞う。 だから今夜も神威は高杉に躊躇うように口付けるに留めた。 「おい、もう少し寄れよ」 「何?足りない?」 高杉が煙管を取りながら神威に云う。 己の髪に高杉が指を絡めて来て、その度に神威は言葉に出来ない心地に襲われる。 こうして高杉に髪を弄られると、普段は何も思わなかったが髪が長くて良かったとさえ神威は思う。 「もう一度しようか?」 そう神威が問えば、「今日は仕舞いだ」と頭を小突かれた。 それでも高杉が神威に近寄れと床を指すので、不審に思いながらも神威が近寄れば高杉の腕が神威に回った。 「何?」 煙管が盆に置かれて高杉の反対の手も神威の肩に回る。 そして己が高杉に抱き締められているのだとその時初めて神威は気付いた。 「少し冷えた」 冷えたのだと、高杉が云う。 ならば火鉢を入れようかと神威が問えば、高杉はこれでいいと、神威を腕に抱き込んだ。 「湯たんぽ代わり?酷いなぁ」 「餓鬼の体温が丁度いいんだよ」 欲しいものが此処に在る。 神威が欲しているものがこの腕にある。 胸の奥からじわりと湧く感情に神威は言葉に詰まる。 高杉の纏う煙の香りが、一層それを感じさせて、神威はつい高杉を抱き締め返そうとする腕を空に留めた。 「餓鬼が遠慮たぁな」 高杉はいつも事の後、抱き締めようとして躊躇する己に気付いていたのだろうか。 「俺は力が強いからね、寝てる間にあんたを殺ったらもったいない」 「なら黙って体温寄越せ」 寝ろ、と高杉のその腕にやんわり抱き込まれて神威は何故だか泣きたくなった。 「ねえ、高杉、」 「何だ?」 神威は高杉の胸に顔を埋めながら言葉を漏らす。 ぽつりぽつりと、神威はそれだけが真実の様に、言葉を漏らす。 「あんたにはデカい借りがある、あんたがあの時俺を助けなければ俺は終わりだったかもしれない」 「俺がいなくてもてめぇは奴を殺ったさ」 そうだろう。高杉がいなくても神威はあの場に居た阿呆提督を含む全員を皆殺しにできたかもしれない。 けれども結果的に神威は高杉に助けられ、今此処に居る。 その為に神威は高杉に手を貸すことにしたのだ。 それが神威と高杉の始まりだった。 「俺はこう見えて借りは返す主義なんだ」 借りは返す。高杉が望むのならなんだって神威はするだろう。 けれども、わかっている。 その先にある未来が何なのか神威は分かっている。 高杉もわかっているからこそ神威には何も返さないのだろう。 高杉は神威に何も返せないと思っている。だから神威を完全に受け入れはしない。 実際はそうでは無い。神威は高杉に多くを貰っている。多くの感情や尊い何かを高杉は神威に寄越している。 神威が望む答えを高杉は返せないと悟っているからその身体を明け渡して呉れるのだとも神威は悟っていた。 いつまでも手に入らない男。 或いは永遠に手に入らないかもしれない至高の男。 高杉のその全てを手にしたくて、手にしたくて神威はあがいている。 過去に生きるこの男に、神威自身を見て欲しくて己はいつだって無様で必死だ。 「借りを返すまで生きてよ」 高杉は応えない。 その代り「今日はよく冷えらぁ」と、神威を抱き締める腕にほんの少し力が籠った。 「ずるいひと」 ずるい人だ。高杉はずるい大人だ。 応えてはくれない。応えてはくれないのに、神威を抱き締めるその腕にだけ微かな真実がある気がして神威はその腕に頬を寄せた。 腕の中は暖かい、胸に顔を寄せれば鼓動が聴こえた。 高杉の鼓動、とくとくと静かに動くその鼓動が、己の傍にずっとあればいい。 けれどもそれは叶わないのだろう。 神威はそっと目を閉じた。少しでも長くその鼓動を聴くために。 十年でも二十年でも、いつまでも借りを返さなければ、この男は生きてくれるだろうかとそんなことを想いながら。 10:腕の温度 |
お題「借り」 |
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