欲しいとは思う。
常々神威はそれを考えている。
あの男が欲しくてたまらない。
高杉晋助という男を知れば識るほど神威は高杉に意識が向かうのを感じた。
「何つー顔してやがる」
団長、と頭を小突いてきたのは阿伏兎だ。
神威はそれを横目で見遣りながら窓の外に広がる宇宙を眺めた。
遠征の仕事だ。
好きに殺せる自由と好きなだけ食べる自由はあったが、仕事だけはこの春雨に所属している限りこなさなければならない。
それが組織に所属する者のルールだ。
けれども今神威はその仕事にも気が乗らなかった。
「別に、阿伏兎には関係ないだろ」
素っ気なく返されて顔を顰めたのは阿伏兎である。
団長の様子が此処のところずっとおかしい。殺しもまるでつまらなさそうに行っているし、意識が別の方向へ向いているかのように動作が緩慢だ。けれどもそれで遅れを取る神威でも無い。あっさりと任務を達成し、今戻っている最中だ。
上の空の神威の様子に阿伏兎は盛大に溜息を吐いた。
「やめとけよ」
高杉だ。神威の心を占領しているのはあの侍だとかいう辺境の星の男だ。
暗い夜の闇の底を眺めているような気分にさせるあの男。
強い、男だ。
高杉にはそれだけでは無い不思議な魅力があった。
闇に生きるものが惹きつけられるような何かがあの男にはある。
阿伏兎自身それがわからないでもないから更に嫌な気分になる。
阿伏兎からすれば神威と高杉の距離の方が余程不可解だ。
二人は精神的な距離が遠い癖に、肉体的な距離が恐ろしく近い。
彼等の逢瀬はごく自然で見ている者も気付かない程周囲に溶け込んでいた。神威が強請れば指を絡め、口付けを交わす様を見たのは何度となくある。傍から見れば完全に出来上がっているというのに、それでまだ肉体関係が無いというのだから阿伏兎は驚きのあまり絶句したものだ。どうみても出来ている。誰が見ても彼等は蜜月であり、この世の春を謳歌しているようにさえ見えるのに、彼等のそれは恐ろしく透明で、氷の上を歩くような危うさの上に立っている。少しの亀裂で壊れてしまうだろうその関係を微妙なバランスで神威が保ち続けているのだ。
神威が高杉に向ける感情を高杉は受け入れることは無いだろう。
神威の恋は始まる前に終わっている。何度となく阿伏兎が神威に云い諭したことであったが、それでも神威は高杉に手を伸ばさずにはいられない。手にしたいのなら夜兎らしく奪うか殺すかすればいいのに、神威はそれさえも出来ないでいる。
理由は簡単だ。
有りの侭の高杉を神威が求めているから壊せない。
有りの侭のあの男を欲しているからこそ神威は高杉を奪えない。
触れれば壊して仕舞う夜兎の性故に神威は触れることもできずに手を拱くしかない。
愚かだと思う。恋愛がわからない阿伏兎でも無い。伊達に神威より生きてはいない。けれどもこれはあまりにも分が悪いのではないかと思う。
神威の初恋は純粋すぎた。
いっそ不思議なほど、誠実なのだ。
夜兎という種族は難しくできていない。何もかも直線的だ。
奪いたければ奪う。壊したいなら壊す。愛したいのなら思うように愛する。そのどれもがどうせ破壊と死に繋がるのだから、業の深い種族であるとは思う。けれどもそれが夜兎であり、それこそが夜兎の存在証明の筈だ。
神威はその夜兎の中で阿伏兎が見出した光である。神威こそが夜兎という種を体現しているのだと阿伏兎は思っていた。
それほどまでに破壊衝動に純粋で力を欲す神威に惹かれているからこそ阿伏兎は神威に従っている。
夜兎の本能に最も近い男だと思っていたその神威が、これほどまでに二の足を踏むとは阿伏兎には思いもしなかったことだ。
借りがあるという建前があるのならさっさと借りを返すなり、返して高杉を奪うなり殺すなりすればいいだろうに、神威はそれをしない。
ぞっとするような想いを抱え込んでいるくせに、神威も高杉も互いに向ける感情が真っ直ぐすぎる。
それが阿伏兎の唯一の誤算であった。
高杉は神威を決して受け入れるまいと思っていた。けれども高杉は既にその感情の一部を神威に許して仕舞っている。
神威は真綿が水を吸収するように、それが何なのか知り始めている。何もかも遅い、こうなる前に高杉を殺しておけばよかったと思ってももう、遅い。
ほつれた糸が解れていくように、あの二人は惹きあって仕舞っている。
「やめとけよ」ともう一度阿伏兎が口にした。
「あの男は手前の手に負える相手じゃぁねぇ」
「・・・知ってるよ、高杉は俺じゃなくても別にいいんだ」
「そりゃ、騙されてるのをわかってる女みてぇな台詞だぜ、団長」
呆れたように云う阿伏兎に神威はわずかに口角をあげた。
「騙してくれたのならまだいいさ、そしたら俺は高杉を奪える」
騙していてくれたのなら、その報復に高杉を奪える理由が出来るのだと、神威は云う。
その瞳の真摯さに、阿伏兎の胸は僅かながらに痛んだ。
これほどに求めているのならいっそ与えてやりたいとさえ思う。その程度にはこの子供に思うところもあるつもりだ。
まるで父親の心理ではあったが、それでも阿伏兎が高杉を奪い与えたのでは神威は満足しないのだろう。
「ねぇ、阿伏兎、俺は高杉をどうしたいんだろう?」
「そりゃ俺の知ったこっちゃねぇよ、手前の好きにすりゃあいい、いっそ襲って返り討ちにあっちまえ莫迦団長」
「それもいいかな、俺は高杉を手に入れたい、犯したい、その全部を飲み込んで食べてしまいたい。俺の手で殺して死体を抱き締めたい、わからないけれど、俺の与えられる全てを与えたい」
「・・・・・・」
「どうすれば手にできるのかずっと考えている。高杉は高杉の地獄じゃないといけない人だから、俺の地獄には来てくれない。ずるいんだ。大人ってさ」
「莫迦だな、団長」
思わずその頭に手をやった。
神威が高杉を手にするには遅すぎた。
高杉は過去に縛られている。呪いのように、それだけがあの男を生かしている。
それが神威には我慢ならない。どうしたって高杉は神威の時間を生きては呉れない。
それなのに互いに想いだけが向いている。
高杉は過ぎた過去を振りきれないように、残った僅かな情が神威を許してしまっている。
そして神威はその真っ直ぐな感情を高杉に向けて仕舞っている。
その純粋さに阿伏兎は眩暈を覚えた。
自分が共に居た男はこんな男では無かった。
躊躇いなく奪い躊躇いなく殺すことが出来る筈の男であった。
何が神威を変えてしまったのか。
何がそうさせて仕舞ったのか。

あの男だ。
宇宙船がドッグに入っていく。
窓から見える見知った船の艦橋にあの男が居た。
神威は既にいない。真っ先に出て行って仕舞った。
窓越しに阿伏兎はその男と目が合った。
男はいつものように煙管を燻らせ、そして誘うように阿伏兎を見た。
程無くして神威が高杉に寄って行く。
久しぶりの逢瀬に神威が何事か話し、高杉がそれに応えているようだった。
絡まる指に、交わす口付け、時折高杉はそれを拒むように顔を反らすが神威がそれを許さない。
観念したように受け入れるその口付けを眺めながら、阿伏兎は酷く酒が呑みたい気分になった。


「やっぱり俺が殺しておきゃぁ良かった」


そのうち互いの地獄で彼等は心中でもするのではないかと、そんなことが頭に過って、阿伏兎は頭を振り、次の戦場の確認の為にモニターへと向かった。


地獄で心中
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