部屋に入った瞬間顔を顰められた。
どういうことだろうかと神威は首を傾げる。
仕草だけなら神威のそれは充分に可愛らしい仕草だ。外見的には。
けれども中身を知っているだけに、目の前の男、―高杉晋助は眉間の皺を深くした。
「臭い」
ただ一言、それだけを云い放った。
「あり?臭い?」
くんくん、と神威は服の袖を匂う。別に匂いはしなかった。
「臭ぇよ、どんだけ殺したんだ」
血生臭いとうんざりするような顔で云われて、それでも平素彼は仕事中顔などあげないものだからその視線が自分に向けられたことに神威は気分が高揚した。
「お風呂入ってきたんだけどなぁ、あんたに会う時にはさぁ、これでも気を遣ってるんだけど、鼻が麻痺しちゃったかな」
「どうせ風呂の湯が真っ赤に染まったんだろうが」
「ばれた?」
ふふ、と笑みを漏らしながら高杉に近付けは、高杉は一層顔を顰めて手でしっしっ、と神威を払うような仕草をする。
そうされると近付きたくなるのが神威だ。
ぐい、と近付けば鼻先に煙管の先を寄せられた。
煙管の先はまだ熱を持っている。触れれば火傷をするだろう。
けれども神威は臆することなく鼻先を近づけた。
そんな神威の様子を見て高杉は一層眉間の皺を深くする。
そしてしばし神威と書類とに目線をやったあと、舌打ちをして神威の腕を掴んだ。
これは予想外だ。まったく予期していなかった行動だっただけに神威はよろめいた。
「来い」
不機嫌そうに云う高杉の様がたまらない。
高杉が何をするのか、自分がどうなるのかわからない高揚感、一体高杉がどうするのかこういう時、神威はそれを何処か遠いところから観察しているような気持ちになる。
高杉が何をしたいのかは直ぐにわかった。
目の前には浴室の扉だ。
服を着たまま手近にあった浴室に放り込まれる。
余程我慢ならなかったのか、高杉は更に舌打ちをした。
「せめて服を脱がせてよ・・・・・・」
「黙れ糞ガキ」
お湯はいつでも入れるように張られている。
そういえば高杉は長湯が好きだったかとぼんやり思いながら神威は脱げる衣服を脱ぎ始めた。
高杉はそんな神威を待つつもりも無いらしく犬を洗う宜しくシャンプーを手にしている。
「髪、痛いって・・・・・・」
身体は一応流したが髪まではしていなかった。恐らく匂いの元凶はそれだろう。
高杉は神威の抗議を聴くつもりも無いらしく、鬱陶しそうに髪の先に指をやり片手で器用に神威の髪を縛っていた紐を解いた。
わしゃわしゃと擦られるとまるで自分が本当に犬か何かになったような気持ちになる。
余程血に塗れていたのか、最初はあまり泡立たず、矢張り高杉は不機嫌そうに顔を顰めた。
ざ、とお湯をかけられてもう一度、シャンプーをされる。
上半身はかろうじて脱ぎ捨てたが下半身はそのままだ。布地に湯が染み込んで重たくなっている。
それに構うことすらせずに高杉は腕を捲くり、たすきで固定した後、もう一度神威に向き直った。
「なんで洗うの?」
「臭ぇからだ、クソ餓鬼」
ふうん、と返しながらも神威は高杉に身を任せる。
別にこれぐらい自分でできると云ってもよかったが、何故か云う気が失せた。
高杉がしたいなら高杉が思うようにすればいいと思う。
高杉の長い指が今度は少し優しい加減になって神威の髪を撫ぜた。
一心不乱に洗う様はなんとなくこそばゆい。
こんなことをされるのは物心ついて以来だ。
不意に高杉の指が止まる。
神威が座らされている状態だから高杉を見上げる状態で背後の隻眼の男を見た。
「髪、長ぇのな」
「云、おかしい?」
切ろうか?と云えば高杉はゆっくり首を振って、そして洗うのを再開した。
神威の髪は存外に細くて猫の毛のようだ。高杉はぼんやりそう思う。
心地良い感触だった。
「阿伏兎がさ、伸ばした方がいいって云うんだ」
まあ俺は別にどうでもいいんだけど、と神威は付け足す。
「副官の趣味か」
「さあ、俺にはどうでもいいよ、ただ」
ただ、と神威は付け足した。
「死んだ母さんもこんな感じだったなぁ」
大したことでは無い、ただ過去に死んだ自分を生んだ病弱だった女を思い出した、それだけ。
けれども高杉は一瞬眼を見開いた。
まるで神威に親が居るなど想像もしたことが無いような顔だ。
神威は微笑みながら前を向く。
「でも高杉みたいに切ってみるのもいいかも、切ってよ」
そう云えば高杉はくっ、と背後で哂う。
「御免だ」
髪を触られるのがこんなに気持ち良いなんて知らなかった。
高杉はいつも神威の知らないことを教える。気付かせる。
それがどれほどのことなのか、わからない。その価値の測り方を神威は知らない。
ただ、この心地良さがずっと続けばいいと神威は思う。
「仕舞いだ」
ざ、とまたお湯で流されて、濡れて張り付いた前髪を神威は掻き上げる。
「もう終わり?一緒に入ろうよ」
悪戯っぽく神威が誘ってみれば高杉は再び、御免だ、と呟いてさっさと浴室を出てしまった。
その背を見ながら思う。
少し細い、白い身体、暗闇に蝕まれた光を持つ男。
それが欲しいと思う。
たまらなく欲しいと思う。
どうすればいいのかわからない。
ただ手を伸ばして、殺したくて、手にしたくて、或いは抱きしめたくて、優しさが何かわからないけれど、精一杯見せられるものを見せて、そして離れないように繋いでしまいたい。

出遭って仕舞った。
神威と高杉は出遭って仕舞った。
視線の先に貴方が居た。
貴方しかいなかった。

眩しいものを見るかのように神威は眼を細めた。
そして考える。
運命などというものがあっても無くても、今生で出遭って仕舞った。
遭う筈の無いものが遭って仕舞った。
神威は、ちゃぷん、と音を立てて湯船に浸かり、濡れそぼった下半身の衣服を脱ぎ捨て考える。
どれだけすれ違ってもこれを逃せば二度と交わることがないと思うから神威はこの一度の機会で彼を手にする方法を考える。


愛を手に
入れる方法。
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