※「着地点が見えない」の高杉視点。 いつもは違う。 いつもは違うのだ、と漠然と高杉は思った。 先日の戦場での神威とのやりとりで高杉は万斎に遠まわしに無言で責められたが、それを意に解する高杉では無い。 この程度のこと、何でもないのだ。 万斎とて高杉のいつもの戯れだとわかっている。 だからこのぐらい何でもない。 けれども、僅かに先日の事情と今この現実が乖離しているように高杉は感じた。 目の前には夜兎だという天人が居る。神威と名乗ったそれは鮮やかな髪と碧い眼を持つ少年だ。 その眼は嫌いでは無い。 触り心地の良い髪も嫌いでは無い。 破壊衝動に正直なその本能も嫌いでは無かった。 その神威は高杉が取引に潜伏していた宿に突如やってきた。 そろそろ痺れを切らすかとは思っていたが神威の腹心はああ見えて意外に優秀で我侭な子供である上司の手綱を上手く握っている。だから高杉は然程その存在を気にせずに攘夷志士らしく地上に降りて暗躍しながら自らに架した職務を全うしていた。 けれどもその手綱を繋いでいた縄が切れたらしい。神威は今目の前に居て、何があったかを物語る情事の色濃く残る部屋で高杉が資金源に使っていた男の一人を簡単に殺して仕舞った。 びしゃ、と血が飛ぶ様を煙管を燻らせながら眺めて、まるで蕃茄か西瓜のようだとぼんやり思いながら辺りの喧騒とは逆に高杉は安堵した。 こうして自分が会う相手全てを殺されればたまったものでは無いが、それでも殺さないでいるより殺す方が余程神威らしい。 それが神威という男だと思うと、散る鮮血さえ気にはならなかった。 何処をどう間違ったのか、高杉を精神的にだけでなく肉体的にも求めてくる者というのは案外居る。そういうあしらいは慣れていたしそういう者の扱いも長けているつもりだ。一人面倒臭いのが居るといえばそうだが、それはもう腐れ縁のようなもので、怠性で付き合っているのだと思っている。それ以外では比較的上手く対応できたし、自分の興が乗ればそれなりに楽しめた。 だから神威が高杉を肉体的に求めだした時、こいつもか、と思うと同時に、高杉は神威について深く考察することを放棄した。 こういうものだと流していれば神威も上手くあしらえる。なんでもないいつものそれ、そう思えばどうでもよくなった。 しかし現実はそうでは無かった。 神威が己の後ろを付いて来るのを高杉は嫌いでは無い。 無邪気に地獄を歩く子供を高杉は思ったより好いている。 だから肉体を求められたとき、どうせ力では適わないのだから押し切られたら許すしかないのだろうとも思った。 けれども意外にも神威は力づくでは来ない。 高杉の様子をじ、と観察するくせ、力では来なかった。 それがわからない。 その神威の行動は高杉の想像を少しばかり超えていた。 興味を惹いたのはその純粋な破壊欲と、欲しがるくせに我慢する妙にアンバランスなそれだ。 神威は高杉が思った以上の辛抱強さで高杉を待っている。 自分を殺すと云うくせ、まるで手を出してこない神威をどうしていいのか高杉は些か扱い兼ねていた。 何かしら行動を起こせば対処のしようもあったが肝心の神威が何もしないのでは高杉はどうにもできない。 放っておけばいいと、頭では分かっていても、高杉は神威を放ってはおけず結局何かにつけて面倒を見ているのだ。 「神威」 小さく囁けば神威はまるで犬のようにこちらへ視線を寄越す。態度は猫のような癖して、その上中身は史上最強に近い肉食獣だ。 その獰猛な生き物にこうして懐かれるのは悪い気はしない。そっと通りの良い髪を撫ぜてやれば神威は少し機嫌がよくなったのか喉を鳴らすような仕草をした。 そういう時、高杉は無条件にこの神威という少年を甘やかしたくなる。 望むようにさせてやりたいとも思う。 けれども神威はしない。それをしないのだ。 今が一番格好の狙い時であるというのに、仮に今この死体がある隣でセックスを求められたとしても拒絶はしつつも流されてしまうかもしれないのに、神威はそれをしない。 それが僅かに高杉の想像した現実と離れていた。 神威は高杉を求めることにも純粋で凶暴だ。 そのくせ触れては来ない。欲しがるくせに、奪う種族であるくせに、高杉を力で支配しない。 思い通りにならない高杉に神威は一瞬悔しそうに唇を噛む、しかし次の瞬間貼り付けたような笑みを漏らしながら何でも無いように振舞うのだ。それが高杉の関心を惹いた。 神威にそうされると思わず触れてやろうかと思うほどに神威に触れたくてたまらなくなる。 欲しいなら奪えばいいと云ってやりたくなる。 奪われるつもりはまだ無かったが、そのぐらいの駆け引きをしたくなる。 相手は子供だ、恋も知らないような年端もいかない子供。 けれども恋など自分も知っているだろうかと高杉は自嘲気味に笑みを零した。 恋も何も識る前に恋など終わって仕舞っている。それは恐らく自分も、神威も。 だからこそ恋だの愛だの理解不能だ。けれども惹かれることがある。 まるで引力のように、惹き合うことがある。 常ならば高杉は強靭な精神力を以って、本能と理性がせめぎあう時に理性が少しだけ勝つ。 神威はその逆で本能と理性ならば本能が勝つ種族だ。 けれどもこういうとき、本当にこの一瞬だけそれが逆転する。 高杉は理性を棄てて神威に口付ける。 一瞬の気の迷い、まかせていいのかどうなのか躊躇するような瞬間。 けれども本能と理性がせめぎあって一瞬だけ本能が勝つ。 掠めるような口付けを神威に落としながら、高杉は無駄なことをしていると苦虫を噛み潰したような気持ちになる。 気分的には下降しているであろうにそれでも身体は止まらない。 髪に指を通しながら、後で結びなおしてやろうなどとどうでもいいことを考えながら、言い訳をするように、頭から何もかもを追い出して神威に落ちていく。 そして神威はそういう時最大限の理性でもって高杉のさせるがままにする。 尊いような透明なような、一瞬だけ見える高杉の本能に気付いたように、どうしようもなく惹かれるくせに高杉には自分から触れないのだ。 壊したくないそれが宝物のように。 まるでこの一瞬が永遠のように。 この逆しまの意識の中昇り詰めていくように。 それは落ちていく感覚に似ている。 真実、落ちているのだとはその時は互いに気付かなかった。 逆転現象。 |
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