高杉に仕事だと云われれば神威は何も云えない。 高杉の邪魔をすると後が面倒であったし、其処で彼の機嫌を損ねるようなことはなるべくしたくは無かった。 だからこそ神威は神威なりに最大限良い子であったし、腹心の阿伏兎からすれば卒倒しそうな(事実阿伏兎は眩暈を覚えていた)辛抱強さを以ってこの退屈な時間を過ごしていたのだ。 だからこそもう限界に近かった。 もう五日も高杉に会っていない。聲すら聴けないというのだから我慢の限界だ。 暇つぶしにと連れて来られた任務先で好きなだけ殺して良いと云われても神威の気分は晴れなかった。 別れ際にいつものように意味深な笑みを浮かべていたのが思い出される。高杉は決まってこういう笑みを浮かべる時は意地悪になる。 何か神威には知られたくないことがあるのだ。ずっと高杉を観察していたのだからそのぐらい神威にもわかる。 だからこそ余計に気になった。 高杉が何をしているのか、或いはミリョクテキな彼のことだ、先日会った桂とかいうあの男にでも会っているのか、或いは別の誰かなのか、幕府を転覆させると云って憚らない彼はその為なら何だってするだろう。そんなことは百も承知だ。 けれどもその内実を自分が、自分だけが知らないのは神威は気に入らなかった。 勿論名目上は鬼兵隊の頭目である高杉に命を助けられた春雨第七師団の団長が高杉の地獄に手を貸すというだけの構図だ。 しかし実際のところ神威は高杉に恋をしていると先日自覚したばかりであったし、そしてその初めて訪れた壊したいのか壊したくないのか、けれども尊いような透明ななにかのような、或いはどろどろとしたどうしようもないようなともすれば気が狂いそうな想いを持て余してもいる。 神威は唐突に動いていた手を止め目の前に立っている殺すべき相手に背を向けた。 その神威の様子に気付いた阿伏兎は焦ったような聲をあげる。 「団長ぉ?」 「帰る」 神威が背を向けたのをいい事に襲い掛かってくる気配をかわして、神威は背後の天人を殺した。 歩いていて邪魔な小石を退かすような仕草でいとも簡単に殺す。 そして阿伏兎に向かって一言云い放った。 「高杉は何処?」 漸く会える。 久しぶりに会ったら何を云おうとか、どんな話を強請ろうとか、何か食べさせて貰おうとか、高杉の煙管を吸う姿を見ていようとか、そんなことをつらつら考えてわざわざ辺境の星に降り立ったというのに、神威は不機嫌だった。 阿伏兎に調べさせた高杉の居所は例にも漏れず、彼が懇意に使っている攘夷派の料亭であり、そして想像以上に厳重な警備で、彼を追っている真選組だとかいう組織の所為かとも思ったがどうも人に知られたくないことがあるようで、神威のことを知っているであろう高杉の部下でさえ神威を阻もうとした。 殺すよ、と一言云えば、結局彼等は道を開けたが、それでも高杉の部下の忠誠心は厚い。 奥へ行けば行くほど押し通ろうとすれば阻む者が現れた。 それを押しのけて、或いは途中の何人かを殺してしまったかもしれない。ただ神威は前に進む。 そして目的の部屋に辿りついた時に全身が凍った。 襖を開けると一瞬の、沈黙。 高杉は神威の姿を視止めると、何も云わずに煙管の灰を落とした。 神威が見たかった仕草だ。確かに今会いたかった男が目の前に居るが状況が頂けない。 だって目の前には会いたかった高杉が男とひとつの布団に入っている状況だ。 どう見ても事後であり、そして漂う空気が全てを物語っている。 「それだれ?」 ねえ、と神威が甘い声を零す。 聲だけならまるで優しい甘えるような聲だ。 「無理矢理?だったら、そいつを俺が殺す」 「そうじゃなくて合意なら、」 どうせ決まってる。久しく聴くその聲に高杉は笑みを漏らしながら心地よいその怒りを聴いた。 「あんたを殺す」 勿論そいつも。 ぐしゃり、と手の中で何かが潰れた。 「殺してから云うんじゃねぇよ」 久しぶりに聴く互いの聲は耳触りが良かった。 けれども神威の心は真っ白になっている。怒りでまるで頭が沸騰して何もかもが白くなるような感覚だ。 「資金元の一つだ、殺してしまいやがって」 勿体無ぇ、とぼやく高杉がちっとも勿体無さそうに見えるから神威は其処で少しだけ溜飲を下げた。 いつの間に殺して仕舞ったのか、勿体無いことをした。理性があればもっとゆっくり殺したのにと神威は些か後悔する。 高杉にこれが触れたのだと思うとたまらなく気が狂いそうだ。 これがあの桂という男だったらまだこうはならないだろう、あれはきっと神威の入れない高杉の地獄を知っている。 だから其処に手を出すことはまだ出来ない。いずれは殺したにしても今はまだできない。 けれどもこれは違う。この男はたかだか資金などの為に高杉に許されたのだ。そう思うと神威の怒りはまた沸いてくる。 「あんたも殺していい?」 「やりたいなら」 いとも簡単に死を許す高杉が許せない。神威は少し唇を噛んでから、顔に笑みを戻した。 表情だけならあどけない少年のそれだ。 「厭だよ、あんたはまだ殺さない」 どさりと重くなった傍らの死体を高杉の隣から退ける。血が畳に飛び散るけれどそんなことはどうでも良かった。 神威にとって大事なのはそんなことでは無い。 「いつもこんなことしてるの?」 そう問えば高杉は何でもないように、後から入ってきた部下を制し、そして遺体を運び出させた。 どうせその遺体ですら真撰組の所為だと裏工作するのだろう。 何処までも高杉は計算している。 「いつもってわけじゃねぇよ、ただその方が有利に進むことがある」 情報も、金も、と高杉は言葉を足す。 「情報や金が要るなら俺が出すよ」 「それはてめぇの領域じゃねぇだろ、夜兎が」 そう云われると言葉も出ない。高杉は春雨では無い。 口を出すな、と暗に釘を刺されて神威は不機嫌になった。 今確かに隣に会いたかった男が居るのに、この男はひとつも神威の思い通りにはならない。 それがいつもは楽しいけれど今は憎くて仕方無かった。 高杉が自分の与り知らないところで誰かと寝ている、それはわかっていたことであったが、眼にすれば許せるものでは無い。 鳳仙のことを色に狂ったと散々莫迦にしてきたが神威とてもう人のことを云えた義理では無かった。 今なら一つに固執するかつての師の気持ちが分かる。 吉原という地下都市を作り、太陽と呼ばれた女を閉じ込めた気持ちがよくわかった。 一瞬頭の片隅で高杉を吉原に閉じ込めようかとも思う。 吉原は神威の手中にあったし、出来ないことは無い。 けれどもそれは出来ない。神威が欲しい高杉はそうでは無い。神威は高杉を壊せない。 そんな神威の葛藤を知ってか知らいでか高杉は楽しそうに口端を歪め神威の髪を撫ぜた。 絡められた指にその匂いを感じながら神威は急速に落ちていく感覚に捕らわれる。 あ、と思った時には高杉の唇が神威に触れている。 戦場でしたような口付けでは無いそれ、最初にしたような一瞬触れるだけの掠めるような口付け。 尊い一瞬が永遠になるようなそれ。 この男は何だろうと思う、神威の中身を見透かしているくせ、身体を与えない、なのに、こうしてどうしても返せないような透明な何かを寄越すのだ。 その一瞬の真実に今この瞬間だけは確かに高杉は神威の物なのだという確信が持てた。 それを自覚した途端、神威は自分が途方も無いものに触れているのではないかという錯覚を覚える。 このまま、この男と居ると知らないものを知っていく、わからなかったことが色がなかったものが色を付けていく。 変わる、変わって行く。 落ちていくその感覚に、神威はどうしようもないような泣きたい様な感覚と刹那に味わったことの無い感情を覚えた。 落ちる、落ちていく、悪くない、変わるのに恐れなど無い、けれどもそれを失ったら果たして何処にいくのだろうか。 そんなことを思いながら神威は触れるその微かな真実に手を伸ばした。 着地点が見えない |
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