※「あなたが好きだと云っている」続き。


目の前の光景に阿伏兎は唖然とした。
言葉を失うとはこのことだ。辺りを見回すと手の空いた者達は否が応にもその景色が眼に入っている。
全員どうしていいのか、やや困惑したそぶりで呆然としているので見かねた阿伏兎が自分の部下達に手で指図して船の用意をさせて辺りを散らした。
傍らを見ればそれはあちらも同じだったようで罵声を浴びせようとしている来島と呼ばれた女が銃を持ち出して暴れている。
それを抑えるのは高杉の腹心である河上万斎と呼ばれた男だ。
暴れたくなる気持ちも分かるというものだ。
何せ目の前では死体の山の上で激しく口付けを交わす、うちの上司とあちらさんの頭が居るのだから。

春雨の阿呆提督派についていた残党狩りに此処に降りたのはつい数時間ほど前だ。
雲の子を散らして逃げていったそれらを最後のひとりまで狩るのは粛清でありこの世界のルールだ。
だからこそ互いの部隊を投じ殲滅作戦を遂行した。神威は高杉と同じ戦場だということでいつもより余計に張り気っていたようだが、一体全体何がどうなってこうなっているのかさっぱりわからない。
高杉も時折楽しそうな哂い聲まで潜ませるものだから、あんたたち、ねぇ、そこでなにやってんの?死ねば?と云いたい程度には頭を抱えた。
無邪気に彼らが睦み合う様は見ようによっては綺麗ではあったが、矢張り上に立つ者としては頂けない。
溜息を吐きながら、河上と名乗った男を見遣れば同じことを考えていたのか、僅かに頷いた。
「やれやれ・・・あー、やだやだ」
そう呟きながら傍らで虫の息であった敵の頭部を踏み潰す。
全く以ってこんなのも仕事のうちなのだからたまったものでは無い。
「何してやがんだこのすっとこどっこい!」
場所考えろよ、と言葉を投げて、ごん、と団長である神威の頭を殴れば、互いの世界に没頭していた二人が現実へ戻ってきた。
ああ、面倒くさい。この後どうなるのかなんて目に見えている。
「阿伏兎、邪魔しないでよ」
低い声で、殺気すら纏っている上司の聲に厭な汗が流れる。いつもいつもこの団長の暴走を止めるのは阿伏兎の役目であったが、残った腕の一本もこの上司に持っていかれそうだ。今度こそ義手を入れなければ駄目だろう。別に惜しくは無い、だが神威の為に死ぬ覚悟はあっても神威の所為で死にたくはねぇなぁ、と今更ながらに想いながらせめて命があれば、最後の腕一本で済めば一体手術代がいくらかかるか計算し始めた頃に、救世主が聲をあげた。
「帰るぞ」
高杉だ。高杉を見れば神威の下から抜け出したようで背後の万斎が背中に羽織を掛けている。
それさえも様になるというのだからつくづく嫌味な男だ。
その魅力が分からないでもないので更に阿伏兎は苦虫を噛み潰したような顔になる。
高杉のおふざけはいつものことなのかそれをを責めるでもなくつくづくよく躾られている部下達だと感心するくらい高杉の鬼兵隊は落ち着いていた。
「もっとしたかった」
俺の言いたい事わかった?と犬のようにその高杉の後ろに擦り寄っていくのは神威だ。
その後姿に更なる厭な予感を覚え阿伏兎は眩暈がした。
キスだ。あれは。激しい感じの情欲さえ潜ませたそれ。
気付くまいと思っていた。漠然と欲しいと云っても、漠然と犯りたいと云っても、高杉は神威よりずっと大人であしらい方も上手い。だからこそそんな過ちは侵すまいと思っていた。
そして神威は決してそれが初恋だと気付かないのだと思っていた。だからこそ高杉の全てを尊重する神威は高杉を壊せずにいたのだ。
神威の恋は始まる前に終わっている。手に入らないと神威は本能で知っていた筈だ。
けれども、状況が変わってしまった。まるで向かい風が急に追い風になって仕舞ったように、神威は気付いて仕舞った。
高杉が好きだと気付いて仕舞った。
これが年端もいかぬ只の少年だったのならいい、けれども神威は夜兎であり、残虐で凶暴な種族の中でもとびきり強い能力を持つ少年から青年になろうかという年頃の男だ。
手に入らないのなら彼は殺すだろう。
それもいい、いっそ殺してくれれば或る意味それは永遠では無いか、結構だ。
けれども、もし殺せなかったら?
万一高杉が、どういう気まぐれか今のように神威の口付けを許し、その身体を許し、高杉の一部分を神威に与えて仕舞ったら?
「不毛だ・・・・・・・」
思わず口に出た。
不毛だ、不毛すぎる。どうにもできない。行き着く先は一つしかない。さっさと高杉が死ぬか、神威が飽きるかすればいいが、今のところ神威は高杉しか欲しがらないし、また高杉も神威を許容して仕舞ったら手に手を取って蜜月のように寄り添って仕舞ったら、そう思うとぞっとした。
この二人の行き着く先は結局地獄しかない。
地獄、結構だ。地獄こそ己の生きる場所だ。
けれども高杉の作る地獄が果たして、阿伏兎の望む地獄なのかはわからなかった。
それは確かに神威の望む地獄にはなるだろう、けれども変わってしまう。
神威は変わって行く、これは予感だ。
前を歩く神威を見れば、無邪気に高杉の背を追っている。
絶望的に寄り添おうとする彼等はこの地獄をより深くする気がした。
未だに愚痴を零しながらも阿伏兎が神威に付いていっているのは成長が楽しみな男であるからだ。どこまでも純粋に破壊するその存在の傍らに有り続けてそれを見てたい。
そして其処で命を落とすことこそが本望である。自分は夜兎なのだ。戦場で死ぬことこそ全てではないか。
けれども、今その戦場に蝶が居る。
ひらひらと、それは彼を誘い、別の場所へ連れて往く。
其処はきっと今よりももっと深い場所だ。
シンプルに殺し殺される世界だけでなくもっとどろどろとした何か。
そしてそれは神威を変えて仕舞うだろう。
彼の知らない感情を沢山教えるのだろう。
そう思うと、ぞっとする。
変わって欲しくないのか、或いはその変わる様に期待しているのか、それすらももう自分にはわからない。
「手に手を取って、この地獄か・・・・・・」
目の前には血の池地獄、死体の山で、その中で、彼等は口付ける。

優しく、甘く、或いは謳うように、
いっそ心地良いほどの滑落、
それは、まるで楽園のような気がした。


地獄巡りを
いたしましょ
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