一連の動作が終わった直後のことだった。

高杉の鬼兵隊が春雨の旧阿呆提督の残党達の狩りをしていたところだった。
勿論神威の第七師団もその残党狩りに参加している。好きなだけ殺しても良いというのだから当然参加しないわけが無かった。
高杉も参加するとあっては神威の高揚は量り知れない。遠くに見える高杉は肩慣らしをするかのように綺麗に刀を奮う。その飛び散る鮮血がこの地獄に相応しくて、神威は思わず喉を鳴らした。自分も思うままに力を奮って目の前の敵の頭蓋骨を手で潰す。ぐしゃりと飛び散った血と肉の残骸を退かしながら殺戮に没頭した。
たまらなく最高に気持ち良い瞬間だ。この時ばかりは、神威は殺戮にしか意識が向かない。心の中をあれ程占めていた高杉のことが僅かに疎かになる。恐らくそれは本能に意識のベクトルが偏っている所為かと思う。
そう思いながらも以前ならもうすっかり殺戮に浸って仕舞って殺してはいけない相手も殺してしまって阿伏兎に叱られることもあったのに不思議と高揚する殺戮の中でそれでもまだ高杉のことを考えられるのだと、神威は己に感心した。そうして一度高杉のことを思い出すと彼は今どうしているのだろうと、徐々に殺戮に陶酔する意識から理性が働くレベルまで意識が戻ってくる。
ふいに、辺りを見渡せばあらかた残党が片付いたところで、目の前には血の海と残骸が散らばっていた。
沢山居た筈の敵は既に残骸でしかなく、あれからどれ程殺したのか、遠くに見えていた高杉の姿も見えない。
背後に居るはずの阿伏兎を振り返れば阿伏兎も終わったようで部下を纏めているようだった。
「高杉は?」
咄嗟に阿伏兎に問えば、面倒くさそうに顔を顰めた後、神威に布を投げた。拭けということなのだろう。手も顔も腕も血の色だ。こんな姿で顔を出せば高杉はどんな顔をするだろう、そんなことを考えながらも、阿伏兎の解答を待った。
阿伏兎は何事か連絡を取っているようで、恐らく高杉の鬼兵隊の連中なのだろう。彼はそういった手回しが夜兎の癖に上手い。
「団長、あっちだ」
阿伏兎が指を射した方向に云われるまま神威は血を拭った布を棄て、落ちていた傘を拾った。
どうせこの場所には太陽など無い。光射さぬ場所にしか生きられない者達の巣窟だ。不要であったが夜兎にとって傘はトレードマークのようなものである。防御も攻撃もできるのだからこれ以上の武器は無いだろう。その傘を腰のベルトに収めながら神威は云われた方向に向かった。
「高杉は終わったかな」
戦場で刀を奮う彼は綺麗だった。できれば意識を棄てる前にもっと見ておけばよかったと神威は少し後悔した。後悔というのはいつも後からついて来るのだから後悔なのだ。ああ、仕舞ったと思いながらも未だに神威の歓心を奪って止まない高杉の所へ向かう。
途中僅かに生き残りらしい者達が死体の底から出てきて、死んだ振りでもしておけばいいものを神威に牙を向くので神威はまるでそれらを散歩するように止めを刺しながら地獄を歩く。
悪くない、悪くないな、と神威は思った。
高杉の作る、高杉が求める地獄は居心地がいい。楽しくて酷く愉快だ。
其処にある高杉を自分だけのものに出来ないのだけが残念ではあるけれど悪い気はしなかった。
高杉は神威に何も云わないが、矢張り戦力的には神威の力を宛てにしている。それに高杉自身が神威を僅かながらでも必要としている節があった。どんな形にせよあの男に欲しがられるというのはたまらなく気持ち良い。
だから、だ。神威は遠眼に高杉の姿を見つけたとき、ただ純粋にあの男が欲しいと思った。
血の池に凛と立つあの可哀想な男。
夜兎でも無いのに夜の底を歩くあの孤独な侍。
闇の中、光に触れられない者達が惹かれて止まない淡く光る暗闇の輝き、それに魅せられて、一瞬油断した。
高杉自身も油断していたに違いない。現に彼は煙管に火を点そうとしていたところだ。
その瞬間、死体の山が盛り上がり、一筋の線が高杉を掠めた。

寸での処でかわしたが、高杉の頬から下る血に、彼の眼を覆う包帯が切れて空に舞う様がスローモーションで描かれる。
後は何が起ったのか自分にもわからなかった。
立て続けに三人が高杉に襲い掛かる。高杉が刀を抜くより速く神威の身体が動いた。
一人を潰し、高杉を傷つけた男の足を砕き、もう一人の胴体を裂く。
血の雨が降る中、高杉を見れば高杉は更に後ろに居たらしい二人を斬った。
神威は最初に高杉を傷つけた男の顔を掴む。足を駄目にした男は尚も手で抗おうとしたがその手も潰した。
「厭だな」
「すまねぇな」
高杉は落とした煙管を拾い新しく火を点す。
煙りを燻らす様はこの地獄の中で一際綺麗だ。
男に綺麗だという表現をするのも初めてだったが純粋に神威は高杉のその仕草が好きだった。
子供らしい憧れだったのかもしれない。
けれども高杉を見れば頬からは一筋の血が流れ彼を覆う包帯は無残に散って仕舞っていて、僅かにその下が視えている。
ぐぐ、と神威は捕らえた男の顔を掴む手に力を込めた。
「ぐ、あ」
僅かに呻くそれが気に入らなくて喉を潰す。
「酷ぇな」
殺してやれ、という高杉が気に入らない。
傷つけられた高杉を見た瞬間身体が慄えた。
全身が途方も無い怒りに呑まれる。血液が沸騰して頭がくらくらするような感じ。
本当なら今にも死にそうな男を神威は直ぐにでも怒りで殺して仕舞いそうだった。
けれども僅かばかり残った理性でどうにか慄える手を止める。
( 慄えてる? )
そして気付いた。
自分が微かに慄えているのだ。
震えは武者震いのようなものでも無く、ただ神威を揺らす。
頭を殴られたような衝撃に神威は愕然とした。
「厭だな・・・俺はあんたがこんなになるのを見たくないみたいだ」
高杉の煙管から煙が空に溶ける。
それを眺めながら神威はこの男が失われることに本能的に恐怖を感じた。
「もっとこの地獄で遊んでいたいからさぁ、赦せないんだよね」
ぐしゃり、と掴んだ男の頭蓋骨をした。
飛び散った血を高杉は何の感慨も無く見つめている。
神威は散ってしまった彼の包帯を拾い、高杉に近付いた。

吐息がかかる距離で高杉を確認する。
そして彼の頬に流れる血を舐めた。その一瞬、高杉の目が神威の目線と合わさった。
それを見て神威は全身が崩れそうになる感覚を味わう。
高杉は生きている。生きて今自分の目の前に居る。

まるで慄えるようだ。
魂というものがあるのなら今確実に自分は慄えている。
全身で、何もかも全てこの魂が高杉を求めて止まない。
知らなければ良かった。
でも知って仕舞った。
或いはあの時高杉が、神威に口付けなどしなければ神威は永遠に気付かなかったのかもしれなかった。
神威が触れた唇は少し乾いていて、そして血の味がする。
もう一度高杉に口付けると今度は舌が絡んできた。
思わず死体の上に押し倒せば、高杉が我慢し切れないと聲を上げて哂った。

「おいおい、てめぇ、何盛ってんだ」
何がしたいんだ、と問う高杉に、神威は「わからないの?」と問い返す。
「わかんねぇよ、クソ餓鬼」
くつくつと哂う高杉に神威は必死さを押し隠しながら笑みを零した。
「じゃあ教えてあげる」
もう一度噛み付くように口付ければ楽しそうに高杉は喉を鳴らす。
まるで獣のようだ。けれどもその獣のような咬合も悪くない。
吐息を交わしながら全身で求めるように口付ける。
「わかってくれるまで何度でもするよ、だから」


あなたが好きだと
云っている。
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