その匂いに神威は顔をあげた。 ふわっとした香りに誘われるままに扉を開ければ案の定シャワーから出たばかりの高杉と鉢合わせた。 かろうじて着物を羽織っているものの湯気だって未だ髪からは水滴が滴っている。 神威の姿を認めた高杉は僅かばかり顔を顰めそれから「ナンだ?」とだけ問うた。 「なんかいい匂いがしたからさ、あんたでもシャワーなんて使うんだ」 「当たりめぇだろ」 当然と云わんばかりに高杉は少し投げ遣りに言葉を返しながら乱暴に髪をタオルで拭った。 その仕草があまりに色っぽくて神威は思わず手を動かす。 動かすと云ってもやんわりとした動作では無い。本能的に獲物を捕らえるような動きだ。 一瞬の攻防はあっさり決着が付き、高杉はバランスを崩し床に倒れこんだ。 其処にすかさず神威が乗る。ものの一秒もかからなかった動作に高杉は油断した自分を内心叱咤した。 「何しやがる」 睨みつけたものの神威は意に介した風もなく、否、それどころか呆けている。 ついでに退かそうとするが夜兎は頑丈で一ミリたりとも動きそうに無かった。マウントポジションを取られて仕舞ったのは不覚だ。高杉は身じろぎすらできずに神威に乗られている無様な格好になる。 「おい、退け」 退け、ともう一度神威に云えば、神威は漸く我に返ったのか、高杉をまじまじと見つめた。 そして何を思ったのか鼻先を近付けてくる。 「いい匂いするね」 くん、と匂いを嗅ぐ様が獣のそれを彷彿とさせる。 「犬かてめぇは」 神威はそのまま高杉の左目に鼻先を近付けた。包帯は外しているのだから当然中身が露になっている。 一瞬殺そうかと思ったが、その仕草があまりにも犬っぽい仕草だったので莫迦らしくなり結局そのままにさせた。 ( 何考えてんのかわかんねぇが、 ) ( 飽きるだろ、そのうち ) 五分ほど好きにさせれば案の定神威は気が済んだのか高杉を拘束する力を緩めた。 「気ぃ済んだか、ガキ」 「うん、気は済んだよ、高杉はいい匂いがするしとても美味しそうだ」 「冗談じゃねぇ」 神威が云うと冗談に聴こえないから性質が悪い。人食の習慣は夜兎にあったかと記憶を探るが矢張り無い。しかしこの目の前の夜兎ならやりかねないとも思う。 神威はどうにも持て余していた。高杉という存在に惹かれているもののそれがどういった感情に分類されるのか上手く片付けられないのだ。高杉は面白い、今は無理でも思う存分そのうち殺し合いたい相手だ。それだけの筈で、共に地獄を歩む相手の筈だ。しかしそれ以上に神威は感じたことの無い衝動を高杉に感じていた。 「ええと、これって何だっけ、なんか知ってる気がするんだけど・・・」 「あ?だから退けって」 高杉の言葉を無視して神威は思考を巡らせる。高杉と居ると頭を使うことが多くていけない。多分高杉の頭がずっといいから神威はそんな高杉の内心が知りたくて頭を使うのだと思っている。 「そうだ、あれだ」 「あン?」 もう面倒臭い、と高杉はウンザリしながら、机の上の煙管箱を神威に取らせた。 未だ神威に上に乗られている無様な格好なものの、拘束が緩んで高杉が身じろぎする程度のスペースはある。 渡された煙管箱から煙管を取り出し、葉を詰め火を点ける。一服したところで、神威が云い放った。 「セックス、」 「それがどうした」 「あんたと居るとそういう気持ちになる、どっちかっていうと衝動に近い、」 「それで?俺とやろうってのか?」 「いけない?」 笑顔で云う神威は見た目こそあどけなさの残る少年だがその中身の性質の悪さは知っているつもりだ。 まあ悪くない、顔も嫌いじゃない、強い男は好きだ。神威はそういう意味で魅力的ではある。けれども願い下げだった。 「てめぇ、童貞だろ」 「あり、わかった?」 「俺ぁ、童貞とやる趣味はない」 きっぱり云い放つ。過去に一度誰とは云わないが童貞と過ちをおかして以来童貞とやる面倒臭さは身に染みている。自分好みに調教するという趣味は高杉には無い。遊び慣れた少なくとも童貞でない相手がいいし、どうせ抱くなら女の方がいい。男として当然の矜持であった。 「何故、」 「やらねぇって決めてんだ」 「昔誰かとやったの?」 「・・・・・・」 答えずに煙管を吸い込む高杉に拗ねたのは神威だ。この仕草だけなら充分に子供らしかった。 「多分さぁ、俺あんたの星に行ったら其処にいる地球人皆殺す自信あるな、あんたと寝たかもしれないかと思うと」 「くだらねぇ、昔の話だろ」 「今も繋がってるかもしれないじゃん」 図星だ。この子供は妙に鋭い。しかし自分の性生活まで暴露する必要も無いので高杉は何も言わなかった。 これ以上の面倒は避けたい。 「じゃあ俺が童貞じゃなかったらいいの」 「まあ、考えておいてやる」 「ふうん、」 下から見上げるくせ偉そうに云う高杉が神威は嫌いでは無い。むしろ自分が高杉に惹かれているばかりか性的興奮を覚えていることにやや驚いた。殺したい殺し合いたいという感情はあれどこんな風に思った相手は初めてだったからだ。 一度阿伏兎に筆おろししろとそういう場所に連れて行かれたことがあったが結局、身体の反射運動として勃つことはあっても女相手にそれをすることが理解できずに相手を殺して終わってしまった。その時の阿伏兎の盛大に嫌そうな顔が記憶に新しい。要するにまだその時でないか自分は誰かと交わることがないかぐらいにしか考えていなかった。けれども今神威はその衝動を理解した。 高杉の匂いに惹かれて本能のままに高杉を押し倒している。 「でも何で俺あんたがいいんだろ」 「知るか」 高杉に煙りを吹きかけられても腹も立たない。神威は高杉に鼻先を近付けてそれからその心臓に耳を置いた。 規則的な高杉の心臓の音が心地良い。 「退けよ、重い」 「もう少し・・・ねぇ、普通は女に感じるものだよね、なんで男のあんたなんだろ、夜兎でもないし」 夜兎に感じるならまだわかる。強い者の論理というのが夜兎にはある。相手が自分より強ければ何をされても仕方ない。暴力的な論理だったが夜兎の中で強さは絶対だった。だからこそ未だ若い、少年から青年になるかならないかというような年齢の神威がこの春雨第七師団のトップに君臨しているのだ。けれども高杉にこの論理は通用しない。高杉は女ですらなく立派な男で恐らく一回りは年上でその上人型であるものの辺境の星地球の侍にしかすぎない。 「それこそ俺の知ったこっちゃねぇよ」 高杉はそれの何処がおかしいのか聲をあげて哂った。いつものようなニヒルな笑みでなく心底おかしそうだ。 その顔をぼんやり見つめながら、高杉を手にしたらどんなに楽しいだろうと神威は考える。 「でもあんたは綺麗だ」 高杉は何も言わなかった。無言で煙管を吸う仕草がたまらない。そう、阿伏兎がよく云うあのセリフだ。 「そそられる」 突然神威は自分の感情を理解した。 「好きなのかな」 「黙れよガキ」 高杉に惹かれている。手に入れたい、欲しい、食べたい、食べれない、殺したい、殺せない、高杉の失ったもの全てを破壊して飲み込んでしまいたい、でも自分では駄目だとも神威は理解している。自分がやったのでは高杉は結局満足できないのだ。高杉は高杉とその過去が作った地獄の中で無いと駄目な人間なのだ。其処に神威の入る余地はなく、いつもそれが歯痒い、最初から最後まで高杉が自分の物でないのが嫌だ。けれども奪えば高杉を構成するその全てが無くなってしまう。力で手に入れれば消えて仕舞うと理解している。これは本能的な理解なのかもしれなかった。要するに神威は高杉の歪んだもの全てが好きなのだ。其処に自分が手を加えればそれは自分の好きな高杉の姿ではない。それがいつも悩ましかった。 それでも目の前の男はたまらないほど綺麗だ。 目が、好き、漆黒の濡れ羽の髪が好き、仕草が好き、低い聲に惹かれる、その発言ひとつひとつがミリョクテキだ。 高杉を構成するパーツ、匂い、空気、存在、その全てが神威の歓心を奪っていく。 「あんたが死んだら貰うよ」 「あン?」 高杉の疑問をはぐらかしながら神威は立ち上がる。そして何事もなかったかのように微笑んだ。 「童貞、何処で棄てれるの」 「女ひっかけるか風俗行け」 その言葉通り後日遊びついでに高杉によって神威は風俗店に連れて行かれるが結局、何もせずに終わる。 阿伏兎には高杉とセックスしたいから童貞棄ててくると云った手前、バツは悪いが神威の本心なのだからどうしようもなかった。 「やっぱりあんたがいいみたい」 「面倒臭ぇ」 この男の心底嫌そうな顔を見るのは初めてだと、神威は思った。 童貞なんて 面倒臭い。 「ねぇ、あんたが死んだらさ、あんたの死体頂戴」 高杉は何も云わずに煙管を吹いた。煙りがゆらゆらと天井に登っていく。 手に入らないと分かっている、神威は自分の望む形でこの男を得ることはできない。 だからこそ抜け殻でいい、高杉という魂が無くなった抜け殻でいいと思う。 本当は全部、その全部が欲しい、いつか我慢できなくなって殺してしまうかもしれない。けれども今はそれでいいと思えた。 高杉の亡骸をこの腕に抱くことを考えて、それは悪くない考えに思えた。 「死んだらな」 「セックスしていい?」 「生きてるうちにそれはやれ」 うんざりした顔の高杉に今度こそ神威は聲をあげて笑った。 |
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