哲学的思考/※海月×山吹
山吹が帰宅すると電気が点いていた。
海月だろう、今日は海月が早かったらしい。
スーパーに寄っていたので当然といえば当然のことだった。
鍵を開け、家に入ると海月がいつもの位置で本を読んでいた。
「今日は、帰るのか?」
海月は少し頭を振ってから手短に答えた。
「いや、今日は借りる」
「風呂入れてくれる?」
海月は黙って立ち上がり風呂の準備にかかった。
山吹は手際よく今日の夕飯の支度をする。
料理をするのは比較的好きな方だ。
山吹は生来の几帳面さで部屋は勿論、生活そのものが
その年の若者にしてはかなり綺麗にする性質だ。台所も綺麗に片付いている。
少し考えてから今日は手の込んだものではなくざっとできるものがいいと
思った。そんな気分だった。
軽い気持ちで中華にしようと思い、ざっと材料を切って
炒める、さほど時間もかからずに二人分の夕飯が出来た。

「あ、ビール買ってきたよ」
机の上に出すと海月と二人でプルタブを開けた。
ビールを飲みながら海月と食事をする。
山吹は比較的この時間が好きだ。
海月は機嫌がいいとビールに付き合う、そういった時はわりとよく話す。
雑談であったり彼の持論であったりであったが殆どは討論や勉強の話だった。
「昔はお前とこんな風に大学で出会うなんて考えたことがなかったなぁ」
軽く山吹がぼやけば、海月は少し考えてから、ぐい、とビールを呷った。
「そうでもない」
少しの沈黙の後に海月は答えた。
「え?」と思わず聲を上げたのは山吹だ。
海月はそうでもない、と云った。
山吹と大学で出会うのが前提だったのだろうか、一瞬そんな莫迦なことが
浮かぶがそれは有り得ないだろう。もっと別の意味だ。
海月とは高校も別だった。一緒だったのは中学までだ。
山吹が大学へ上がっている間、海月は三年間海外に居たのだそうだ。
留学ではない、と以前海月が云っていたので留学では無いのだろう。
時折、ふ、と一週間くらい消える海月を思って、恐らく放浪していたのだろうか、と
推測するが、山吹は海月にそれを訊くことは無かったので真偽のほどはわからない。
海月は本を手に壁に背を凭れる形で座っている。
山吹はソファに座り、じ、と海月を見た。
酒が入った所為だろうか、普段自制していることを考えて仕舞う。
そして漠然と自分と海月について山吹は考えるのだ。
まるで先にある何かを探るように、じ、と考える。
海月はそんな山吹の視線に気付いたのか、ふ、と「さっちゃん」と呟いた。
正確には聲にはなっていない、唇が微かに動いただけだ。
空気が静かに揺れただけだ。
それだけのことなのに、山吹は一瞬真理に辿りついて仕舞った気がした。
駄目だ、と自制するのに思考は既に歩き始めている。
認めてしまったら楽だろうか、海月が自分をどう思っているのか、
答えに言葉を付けて仕舞ったら楽だろうか、
しかし、山吹は思うのだ。
結局どうあっても海月の思う方向へと自分は流されるのだと、
それは自分が海月という存在を切って捨てられないからだ。
この居心地のいい空気を手放せないからだ。
海月という存在は常に山吹にとって貴重な存在だった。
逆に云えば山吹は海月にとってもっと特別な存在であると気付けない。
気付けない、それ故に、最強のカードを持っている癖に使えないのだ。
海月の思うままに流される。
酷く不思議な関係だと思う。
答えを求めないが故に、互いの存在はいつもはっきりしているようで曖昧だ。
大事と云えば大事であるし、互いの意思を尊重しているといえばそうとも云える。
山吹はビールを飲み干して、その距離を確かめた。
適度に保たれた互いの距離は時々酷く近くなり、時々ずっと遠くになる。
まるで禅問答だ。答えを出すまいと決めているのに
思考は常に動いている。目で対象を追っている。
哲学だ、漠然と山吹は思った。
これは海月の哲学なのだ。
いつか、例えばあと七年経った頃にはお互いの何かが進んでいるかも
しれないし、進んでいないのかもしれない。
しかし今はこの居心地のいい空間で充分だ、と山吹は考える。

この適度な温度の中で緩やかに、緩やかに思考する。
僕らは互いに思考する。
互いの間にあるものが何なのか、
しかしこの事象は複雑に見えてもっとシンプルなものなのだろう。
けれど山吹自身がそれを認めまいとするように、複雑に思考していた。
海月の手が不意に伸びた。
それを受け止めて、ああ、口付けが降りてくる、と山吹は眼を閉じた。
確認するように降るその温度を受け流して、及介、と呟いた。
海月はわかったように頷いて、その哲学を実行した。
徐々に激しくなる行為の端に、或いは日常の隙間に、
けれども僕らは思考する。
互いの間にあるその何かを。
<<<menu