※直哉13歳、主人公=北条 八十(やそ)6歳。


母屋と云えど此処は奥であり、この場所は本家から
この分家である北条邸へ引き取られた直哉と
分家の一粒種の直哉の従兄弟にあたる八十(やそ)
の二人の空間であった。
最初は離れを用意されたのだが、八十(やそ)が直哉に
酷く懐いたのでそのまま弟の部屋のあった母屋の奥が
直哉の部屋へと急遽替えられた。
故に二人の部屋は襖一枚で隔てられているだけで、
廊下に出ずとも互いの部屋を行き来できる。
まして八十はまだ6つになったばかりの
幼い子供で、何のことは無い、共に過ごす相手が
母親から直哉に変わっただけのことである。
けれども直哉はこの幼い弟をこの上なく大事にしたし、
弟も突然出来た兄である直哉を慕った。
まるで世界は二人だけのもののように
この旧い家の中でただ無限に広がっていたのだ。

直哉は中学にあがったばかりだ。
いつものように帰宅すれば小さな弟が
玄関の前に座っていた。
「ただいま帰りました」
「お帰りなさい、直哉さん」
義母である叔母が顔を出す。
小さな弟は早速直哉に遊んで貰おうと直哉に着いて回った。
「おかえりなさい」
「また此処で待ってたのか、お義母さんのところに
居ろと云ったろう?」
小さな弟の手を握り、鞄を抱え直すと
義母が申し訳なさそうに口を開いた。
「ごめんなさいね、八っちゃん、ずっと此処で直哉さんを
待つってきかないの」
「いえ、でもこうなると八十の部屋が玄関になりそうだ」
と揶揄するように云えば、義母は朗らかに笑って、
「そうですね、じゃあそうなっても大丈夫なように、
今度から玄関に八っちゃんの遊び場をつくりましょうか」
なんて云うのでつられて直哉も笑った。
そのまま八十の手を引いて部屋へと歩きだす。
おやつの時間まではまだ時間があるから、
部屋で宿題を片付けながら八十の相手をすればいいだろう、
そう思っていたのに、八十は直ぐに遊んでもらえると
思っていたらしく、「お庭に出たい」と駄々を捏ねだした。
あんまりにも強請るので「じゃあ少しだけだよ、俺も直ぐ行くから」
と諭して先に縁側へのガラス扉を開ける。
八十は置かれていた小さな靴を履いて直哉と八十の為に整えられた
小さな庭で遊び始めた。

それに安堵して着替えて鞄の中身を片付けていると
突然八十の泣き声が聴こえる。
慌てて直哉が外に出ると弟の姿が見えない。
泣き声を頼りに足を向ければ庭の奥まった木の下で八十が泣いていた。
「どうした?」
「うぇ、、、っ」
「八十、見せてみろ」
手を握りしめて泣くのでそっと小さな掌を開かせると
八十の手に棘が刺さっている。
「ああ、棘だ、そこらに触ったんだろう」
「うぇぇえ、、」
泣きながら直哉にしがみ付く、痛みに吃驚したのだろう。
泣きやむ気配は無かった。
「ほら、じっとして、」
直哉は丁寧にその小さな手に刺さった棘を器用に抜いた。
抜けば小さな手から少し血が溢れる。
「念のため消毒もしよう」
救急箱を取ってくるから、と云っても八十は直哉から離れようとしなかった。
直哉は仕方無い、と八十を抱きあげ居間に居るはずの
義母の元へと向かう。
向かう道程で、直哉は優しく泣きじゃくる弟を慰めた。
ぽんぽん、と背中と撫ぜ、大丈夫、と囁く。
「ごめんね、怖かったね、もう大丈夫」
「うぇっ、ひっく、、」
「俺の目の届かないところへ行っては駄目だよ」
「う、んっ、、」
ぎゅうと、八十は直哉にしがみついた。
直哉は少し溜息を洩らし、痛いの痛いのとんでいけー、なんて
言葉をかける。我ながら自分に苦笑するが
弟の為だ。言葉一つで弟が泣きやむのなら安いものである。

「ほら、泣きやんで、お義母さんがおやつを用意してくれてるよ」
「おやつ?」
「うん、手当したら一緒に食べよう」
「うん、なおやと食べる」
「今日は特別に俺のを半分あげる」
「ほんと!?」
八十はぱあ、と顔をあげる。
今の今まで泣いていたから顔がぐしゃぐしゃだ。
直哉はその顔を拭いながら八十の目尻に溜まった
涙を唇で掬った。
「今日のおやつはなんだろうね」
「なんだろうね」
弟は手が痛いのももう忘れてしまったのか、
直哉に抱かれている安堵感なのか、
少し機嫌がよくなったようだ。
それにほっと息を漏らし、直哉は八十を抱いたまま
長い廊下を歩いていく。

「カップケーキ!」
「カステラかもしれない」
「ううーん、おかあさんなにくれるだろう?」
「そうだね、楽しみだね、ほら着いた、八十、降ろすよ」

そうして直哉は居間の義母の元へ連れて行き
八十の怪我を診せた。
「すみません、少し目を離したら八十が・・・」
「いいのよ、棘くらい刺さっておかないと、危ないことだと覚えられないわ、
でも少し庭の樹の手入れもお願いした方がいいかしらね」
義母は慣れた手付きで八十の手を消毒して、
絆創膏を貼り付けた。
「もう平気?」
「うん、大丈夫だよ、痛かった?」
「ううん、もう痛くない」
「そう、良かったね」
そんな遣り取りをしていると義母が八十と直哉におやつを
出してきた。
「さあ、直哉さん、八っちゃんも、おやつよ」
義母は籠の上に子供の手にも
丁度いいサイズの焼きたてのカップケーキを差し出した。
「カップケーキだ!」
このところ八十はこのカップケーキが大のお気に入りだ。
義母は心得ているのか、八十好みの子供っぽい味のものを作った。
「良かったね、じゃあ俺のを半分あげる」
「あらあら、お夕飯入るの?」
義母の言葉に八十は少し考え、
そして名案が浮かんだのかにっこりと笑った。
「じゃあ直哉お兄ちゃんにぼくのを半分あげる」
八十の無邪気な発言に、義母と直哉が同時に笑い、八十は何がおかしいのか
わからないまま、その焼きたてのカップケーキを美味しそうに頬張った。


甘いカップケーキ
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