※直哉24歳、主人公=北条 八十(やそ)17歳。
アダ名=ルナ(篤郎命名)


「あれ、」と篤郎は八十(やそ)の机を覗きこんだ。
教室に鞄が置いてあるということはどうやらまだ
帰っていないらしい。
しかし机の上は八十にしては珍しくまだ片付いていなかった。
「囲碁?」
高校生には不釣り合いな本が置かれてある。
なんだろう、と思って思わず手に取ってみても
中身はどうも囲碁の布石らしいがルールをよく知らない
篤郎にはさっぱりだった。
ぱらぱら捲っているうちに待ち人が帰ってきたようだ。
職員室に用事だったらしい。
「で、何で囲碁?」
この学校の中でも際立ってお坊ちゃん育ちな
友人は有数の旧い名家の出であり、また篤郎の尊敬する
ナオヤという天才プログラマーの従兄弟でもあった。
思慮深い友人は少し考える素振りを見せてから、
たいしたことは無いんだ、と微笑する。
「先生に薦められて、」
先生とはこの場合学校の先生では無い。
八十の家の家庭教師達のことだ。
生活ぶりを聴いているとお前はどんだけ箱入りなんだ、と叫びたくなるが
(実際、叫びはしないもののツッコんだことはある。その時八十は
困ったように微笑した)
「囲碁もやってんのか、」
ほえー、と感嘆の溜息を洩らせば、違うんだ、と彼にしては珍しく
曖昧な否定をした。

「これはほんの手習みたいなもので、書道の先生に時間が余った時に
教えて頂いたり、あとは直哉従兄さんとも・・・」
「ナオヤさんもやるんだ、」
些か驚く、まあ直哉にとってはチェスだろうが将棋だろうが
お手のものだろう。
「負けてばかりだからどちらかと云うと指導碁に近いよ、
今は定石を勉強中」
本を手におどけた様子で云うので、篤郎は思わず笑って仕舞った。
固そうに見えてユーモアがあるのも八十の魅力の一つかもしれない。
ナオヤさんに勝てるといいな、と声援をおくってその日は別れた。

後日、プログラムの組み方の点でわからない部分があったので
学校帰り直哉の住居である青山のアパートへ寄った。
後から八十も来るということで
夕飯をご相伴にあずかることになり光栄の至りである。
(ナオヤさんは八十が来ると途端に甲斐甲斐しくなる。普段は
コンビニ弁当でも買って自分の分を持参しなければ当然篤郎の分など無かった)
「そういえば、」
「何だ?」
画面に向かって高速でキーを打ち込む直哉の腕に
惚れぼれしながら、篤郎はぼんやり思い出した。
「囲碁はどうなんスか?ほら、ルナがやってるって云ってたんスけど」
「ああ、あれか」
直哉は一瞬目を細めてから、別に、と言葉を続けた。
「手慰み程度のものだ、」
「はあ」
直哉は必要性を感じないと簡単に話題を切って仕舞うので話題が続かない。
あ、と篤郎は言葉を繋いだ。
「でもナオヤさんならチェスでも将棋でもカードゲームでも負け無しっぽいですよね」
あはは、と笑いながら冗談めかしに(いや、きっとこのひとは負けたことが
無いだろうから、冗談にはならないだろう)
云えば、今度は意外にも「そうでもない」と返された。
「勝てない種類のゲームもある」
主語が抜けているがこの場合、直哉にとっての従兄弟である八十のことだ。
あの直哉が八十とやって勝てないゲームなどあるのだろうか、と
訝しんで顔を見上げると画面に向かっていた視線が篤郎の方を向いた。

そしてこん、こん、と整えられた爪でキーボードの左隣に
置かれたコーヒーマグを弾いた。
何度かこれを目撃したことがあるからこれは直哉の癖だろう。
「例えば、ポーカーや麻雀だな」
「え?」
なんで?どちらもポピュラーなゲームだ。
「理由訊いてもいいっスか?」
直哉は冷え切ったコーヒーを飲み干すと、
このひとにしては珍しく少し罰が悪そうな顔をした。
「八十とポーカーをすれば、殆どの確率で最初からロイヤルストレートフラッシュを
決められる。子供のころから何度やってもカードの切り方に工夫をしてもハナから
揃っているものを出される。麻雀も同じで三回に一回は聴牌は当たり前、国士無双で
ツモられたこともある、こういった定石や戦術に運が上回ることのあるゲームでは
大抵八十が勝つ」
ハナから揃えられていては流石に俺も手が出せない。
と云ってからタイミング良く直哉の携帯が鳴った。
どうやら待ち人である八十らしく、
わかった、と頷いてから、サイドに置いてあった家の鍵を手にした。
「迎えにいってくる」
適当に待っておけ、と云われて、篤郎は何故か、はいっと返事をして
背筋を伸ばした。
バタンと鉄の扉が閉まり、しん、と静まり返った広い部屋には篤郎一人きりだ。
付いていけばよかったかな、と思いつつ、
今度八十とカードゲームでもしてみようかと、
そんなことをつらつら考えた。


幸運に愛される男
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