※直哉18歳、主人公=北条 八十(やそ)11歳。


教室を出ようとすると引き止められた。
振り返るのも面倒だったので振りかえらずに
「何?」
とだけ問うとクラスの女子から包みを差し出される。
うんざりだ。
直哉は頭を振って内心溜息を吐き、少しだけ
振り返る。
「そういうのは貰わない主義だ」
バレンタインなどいっそ滅びればいい、とさえ
思いながら直哉はさっさと帰宅すべく靴箱へと向かう。
そこでまた盛大な溜息を吐くことになるのは必然だった。

がらがらと落ちてくる束に辟易する。
何処をどうやって押し込めたのか、チョコレートの包みの束である。
鍵の無い靴箱がいっそ憎い。
見兼ねた通りすがりのクラスメイトが拾ってくれた。
「相変わらず凄いな・・・」
「ああ、云、」
断ってるんだけど、と雑談をしながらそれらを拾う。
一番大きそうな紙袋に一纏めにするところまで手伝って貰った。
「去年も凄かったよな、先輩とかまで」
うらやましーと云うクラスメイトに何なら代わってやろうか、と
云いたくなる。何がバレンタインだ、一方的に気持ちを
押し付けられるなど不愉快極まりない。
直哉に好意を向けるのはこの世でただ一人であればそれでいいのだ。
「今年はその分下級生から増えた」
包みを手に取って見るとクラスと名前が書かれてある。
一年の女子のようだった。
「俺、男からも渡されそうになったことある」
冗談っぽく云えばクラスメイトは「うっそ?マジで?」
などと笑い声をあげる。
マジ、と云えば「お前貰いそうだもんなー・・・」
と納得されるだけに冗談にもならなかった。
「さて、とこれでいいか」
直哉はノートの端を千切り、ペンを取り出した。
「北条?」
『遺失物、各自早く回収すること』
と書かれたノートの切れ端を紙袋の一番上に置いた。

「おい、お前まさか・・・」
「当たり前だ、こんな何処の誰が寄越した物かわからないものなんて
遺失物に他ならん。知らない人間の手作りもあるんだぞ気色悪い、
俺は絶対に受け取らない」
「要るなら持って帰ってくれ」
勿体無い、という言葉を無視して直哉は学校を出た。
うんざりする、煩わしい、早く帰って弟の顔を見なければ安心出来ない。
ついでにおやつにパンを買って行ってやろう。
家の者が利用する老舗のパン屋で素朴な味が美味しい。
実際直哉もよく利用した。
其処のあんパンは弟の大好物である。
さっぱりして甘すぎない感じは確かに美味しかった。

パン屋へ寄って手際良く会計を済ませると
軒先で呼び止められる。
「ナオちゃん!これ、持って行って」
少し上品な感じの妙齢の女性が直哉を呼び止めた。
パン屋の女将である。(女主人というよりは女将だ)
「これは?」
「今日バレンタインでしょう?お得意様だから、八っちゃんと食べてね」
流石にこれを断るわけにはいかない、
何せ此処は家の用達であったし、弟も義母も良く利用する。
有難う御座います、と受けとってから直哉は漸く帰宅した。

「ただいま帰りました」
門を潜り玄関を開けると玄関にまで甘ったるい匂いが漂ってくる。
ぱたぱたと駆けて来る音は恐らく義理の母である叔母であった。
「お帰りなさい、直哉さん」
品の良い義母がにこやかに微笑み、直哉を迎えた。
紺格子の紬を着ているところを見ると台所で作業中であったらしい。
直哉は手にしたパン屋の包みを義母に差し出した。
「これ、井森屋の女将さんから頂いたので、あんパンは八十(やそ)に」
「あら、まあ、じゃあ八っちゃんを呼んで後で頂きましょうね」
玄関を上がると漸く待ち望んだものが視界に入った。
「お帰りなさい!」
「ただいま」
まだ11の弟は相変わらず小さくて可愛い。
直哉にとってこの弟があればそれでいい。
溺愛していると云っても過言では無い。
自分の想いが歪んでいることも疾うに悟った。
それでもこの小さな弟の手を握ると満ち足りた気分になる。
「今ね、チョコケーキ焼いてるんだよ」
「貰ったやつを溶かしてるんだろ」
これも毎年のことだ。
断り切れなかったものや、直哉宛に郵送で送られてくるものも多い、
弟である八十(やそ)も小学校で貰うのだ。
食べきらないこともままあるので義母は毎年こうしてお菓子に再加工する。
「お母さんがあんまり沢山食べると駄目だって」
「そうだね、俺もあんまり甘いのは苦手だな」
八十(やそ)の幼い手を握り長い廊下を自室に向って歩き出す。
「お母さんのケーキは嫌い?」
「ううん、義母さんのケーキは甘すぎなくて好きだよ」
「パン屋さんのは?」
「あれも食べれるかな」
「じゃあ、ぼくの貰ったチョコも食べない?」
「それは八十のだろう?」
弟は不安そうに直哉を見上げた。
どうやら直哉と食べるのを楽しみにしていたようだ。
「じゃあ、貰おうかな、少しだけね」
柔らかい髪を撫で、笑ってみせると
ぱあ、と弟の顔に笑みが広がる。
部屋に戻り制服をハンガーに掛け、
手早く私服に着替えてからいくつかの包みを持って来た八十を膝に乗せた。
「これは柚子ちゃんから、これはともちゃんから、えーと、」
ごそごそと取り出したそれらはなんとも可愛らしい小学生らしいサイズ
であったが、成る程弟はモテるらしい。他にも貰った分が
あるだろうからこの分だと将来は有望である。
渡した相手の名前を聴きながら直哉は小さな弟を抱き締めた。
「食べてもいいのは一つだけだよ、あとでケーキがあるからね」
「うん」
八十は小さな手で包みを開く、
中に収まった弟の掌より小さなチョコを一つ摘んで
直哉に差し出した。
「あげる」
あーん、とされれば口を開けるしかない。
口に入れれば酷く甘ったるい味がした。
にこにことチョコを一つ丁寧に口に入れた弟を腕に抱きながら
あんパンは明日のおやつになりそうだな、と
直哉はぼんやり考えた。


2月14日
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